近鉄バファローズの終焉/藤井寺球場、閉鎖決定

[Sports] BaseBall

 11月30日は、近鉄バファローズ最後の日。
 オリックスと正式合併される12月1日を前にして(30日に営業権譲渡)、公式サイトが「リニューアル中」に。

球団公式サイトをご覧の皆様へ

 いつも球団公式サイトをご利用いただきありがとうございます。
現在、12月1日スタートの『オリックス・バファローズサイト』のリニューアル作業を行なっておりますので、ホームページをご覧いただくことができません。
皆様には大変ご迷惑をお掛けいたしますが、ご了承いただけますようお願いいたします。
今後はオリックス・バファローズへの応援、よろしくお願いいたします。

 リニューアル作業期間は11月26日〜12月1日で、新規オープンは12月1日14時だそうな。
 片や旧オリックス・ブルーウェイブ公式サイトは、現時点で既に消滅。これまでは、そのブルーウェイブ公式サイトで新生《オリックス・バファローズ》に関する情報提供が為されていたため、近鉄ファンの神経を逆撫でしていたんですよね。どうやら、今後はbuffaloes.co.jpドメインを残す方針なのかと。

 いっぽうで、藤井寺球場の今後にも動きが。
 球団が保有する管轄権は、12月1日から近鉄本社に移譲される予定。その直前の11月29日に、小林哲也(最後の)球団社長が「藤井寺球場を来年1月で閉鎖する」と発表。球団が存続するうちに駆け込み発表したかのようで、イヤな感じ。
 球場併設の合宿所も、1月末で閉鎖に。球場跡地の転用用途は、未定。

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 藤井寺球場は、1928(昭和3)年の開場。
 近鉄の前身・大阪鉄道によって、沿線開発の一環として作られたもの。当時は都市労働者の住環境にスポーツ・文化施設を併設させた《花苑都市》という郊外住宅開発計画がもてはやされ、藤井寺球場も「沿線住民と開発のため」の「鉄道会社としての文化事業」として建設されたんですね。阪急のように、最初から「球団ありき」で球場(西宮球場)と地域開発を推し進めたプロジェクトではないと。
 こうした背景も、後の近鉄球団に「プロに徹しきれない」甘さと中途半端なアマチュアリズムをもたらし、運営を圧迫する要因となったわけですが。
 何にせよ、これで球場は閉鎖に。
 駅から球場まで続く線路沿いの道に、選手名を掲げたのぼりがたくさん並んでいた光景も、今は昔。スタンドでは河内弁のヤジが飛び交い、観客と一塁側コーチスボックスの相手コーチが口論になることもしょっちゅう…。そんなノスタルジックな情景が、歴史と記憶の彼方に消えてしまう。
 数多くのファンが惜別に駆けつけたウェスタンリーグ最終戦では、「多くの観客が入ると床が抜けてしまう可能性がある」と、外野スタンドが入場禁止にされたとか。球場の老朽化は、深刻な状況らしいですね。周辺住民と訴訟になりながら増設された照明(ナイター)設備も、このまま取り壊される運命なのでしょうか。

 1997(平成9)年に本拠地が大阪ドームとなってからは、一度も訪れる機会がなくて。
 閉鎖・取り壊しとなる前に、再度、その姿を目に焼き付けておきたいなぁ。
 もう一つの本拠地だった日生球場も、1996年シーズンを最後に取り壊されてしまいましたからね。
 近鉄バファローズの「生きた証」が、次々と消えていく…。
 大阪球場や西宮球場のように残骸をさらす姿も不憫ですが、せめて藤井寺には、近鉄バファローズの歴史を残す記念館でも作って欲しかった。近鉄バファローズ・ファンが抱き続けてきた想いを、無駄にしないためにも。
 って、今の近鉄にそんなことを望めるわけがないか…。

コメント

  1. 匿名 より:

    藤井寺球場が閉鎖

    近鉄の本拠地だった藤井寺球場が、来年1月いっぱいで閉鎖されるらしい。
    学生時代よく、野茂対清原のガチンコ対決を藤井寺まで足を運んで見に行ったものだ。狭いグラウンド、暗く汚いスタンド、座りにくいシートとお世辞にもいい球場とはいえなかったが、「大阪の下町

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