大垣夜行の思い出

[Traffic] Railway

 さて、3月14日のダイヤ改正が近づいてきた。『ムーンライトながら』が不定期列車化される日だ。
 何を隠そう、と言うか、このダイヤ改正にあたってよくよく考えてみれば…なのだけれど、僕は『ムーンライトながら』に乗車したことがない。373系自体は、青春18きっぷの普通列車乗り継ぎで関西方面から帰京する際、静岡19:28発の328M東京行を何度か利用している。でも、それはロングシートよりはマシかなという感覚で、どうしても乗りたいわけではない。むしろ、たまたま都合のいい列車がそれだから…と言ったほうが正しいかもしれない。
 そう。373系、あんまり好きじゃないんです。なんか中途半端にシートが硬く、すぐにお尻が痛くなってしまう。前席との感覚も身長180cm超の人間には半端で、楽ちんでもない。前席にヒザが当たり姿勢を動かせない分、空いている113系などのボックスシートより窮屈な体制を強いられるのだ。JR西日本の新快速:221系や223系のほうが、個人的にはずーっと楽。先の328Mを例に取るなら、18きっぷ組以外にもこの列車を狙っている通勤客が多く、静岡から東京までずっと混雑しているのが当たり前。よって車内の空気もよどみ、何とも言えない(=中途半端な特急用車両らしい?)閉塞感が充満し…。はっきり言って、苦痛なのだ。
 なので、『ムーンライトながら』で長時間乗り続けるなんて、考えたくもない。それが正直な気持ちだった。ダイヤ改正で消える前に記念乗車しておこうか…という気持ちがななかったわけではないけれど、敢えて乗らなければならないわけでもない。

 でも、大垣夜行時代の165系には、よく乗ったっけ。当時は関西へ行く機会も多く、お金もあまりない時代だったから、往復のどちらかには必ず利用していた記憶がある。
 いちばんの思い出は、85年の阪神優勝時。甲子園での日本シリーズ:第3〜5戦を観戦するため大阪へ向かうのに、東京から乗り込んでいった高揚感。異様なハイテンションで一睡もできなかったけれど、他の連中もそうだったらしい。阪神のハッピを着込んだ人間が大量に乗っていて(苦笑)、静岡や浜松など長時間停車の駅でホームに降り立っては、「まゆみ〜まゆみ〜ホームラン」とか「バースかっとばせバース〜ライトーへレフトへホームラン」とか「ここまでとば〜せ、ほりこめほりこめかっけっふ」とかとか熱唱していた。さすがに周囲の迷惑なので、自分は参加しなかったけれど(^^;;
 静岡駅での駅弁立ち売りが消えたのはいつ頃のことだったろう。昔から、静岡の名物駅弁と言えば《ますの押すし》で、さらに大昔は陶器のお皿に入った珍しい駅弁だったんですよね、あれ。最近は《鯛めし》のほうが伝統駅弁とされているらしいけれど。。静岡に着くと、バラバラッと列車から降りた乗客が立ち売りのおっちゃんのところに走ったものです。混雑時など、到着とともにダッシュしないと売り切れてしまったので。
 それがイヤで、浜松駅でのんびりとうなぎ弁当を買ったことも何度か。ホームでの販売はなくても、改札を出ると深夜でも空いている弁当売店があったんですよね。今はどうか知らないけれど。
 浜松と言えば、ゴールデンウィークの【浜松まつり】も思い出。別にお祭りに参加したわけじゃなく、その時期の大垣夜行に乗って浜松に着いたら、駅前広場に集まった族車がクラクションでお囃子を鳴らしながら走り回っていた…という思い出(^^;; 都内じゃ考えられない光景なので、浜松ってすげーなぁ…と思ったっけ。以後、浜松=浜松まつり=族車、という超短絡的な思考が脳裏にこびりついて離れないのも、大垣夜行が作ってくれた記憶(苦笑)。
 あとは、夏休み時期かな。それまで経験がないほど東京発が混雑していて、デッキまで人でいっぱい。後になって、コミケの帰り日なことに気づく。。。ようやく確保できたスペースは運転台と運転台の間の連結器上の渡り板部分。座り込んではみたものの寝られるわけもなく、疲労困憊のまま豊橋で大垣夜行を捨てたことも。1時間ちょっと待って始発の大垣行(確か117系だった)に乗り爆睡した覚えがあるのだけれど、今の時刻表を見ると、『ムーンライトながら』の豊橋着は04:00。始発の米原行快速は06:00発で、2時間も待ち時間がある。当時は、豊橋着がもっと遅かった気がする…と思い、手元に残っているもっとも古い時刻表(95年9月号)を見てみると、大垣夜行375Mの豊橋着は04:49。始発の大垣行521Mは06:02発になっている。たぶんこれだな。

 とまぁ、大垣夜行は青春だったなぁ、なんて感慨にふけるわけです。

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