NHK-BSでオンエアしてきた『列島縦断 鉄道12,000kmの旅〜最長片道切符でゆく42日』が、とうとうこの日、ゴールの肥前山口駅にて終了。5月6日の稚内出発日はこちらも旅に出ていたため、ビデオをセットをしておいたら2日目だけ放送時間が変更されて録り逃した…なんてこともありましたが、それ以外は毎日欠かさず見続けてきたわけで。
鉄道好きからすると「ツッコミが足りない」「間違ってるぞ」てな部分も少なからずあったけれど、やはり旅はいいなぁと(^^;; 毎日の放送駅や途中下車地も練られていて、それなりのアドバイザーがついていたんでしょうね。どれだけのものが出来上がるのかと思っていましたが、ある意味では予想以上だったかも。もともと“鉄”より“旅”派だった自分には、なかなか感じ入るものがありました。
一筆書きの最長片道切符の旅、いい響きですよね〜。子供の頃から憧れていた旅でもあり。フツーにやれば2ヶ月はかかるだけに、結局、今の今まで実現できていない夢ですが。
そのきっかけは、1972年に発行された『のんびり行こうよ 16,000キロ鈍行列車の旅』(夏攸吾・著/弘報出版)を読んだこと。最長片道切符の旅の本と言えば1979年発行の『最長片道切符の旅』(宮脇俊三・著/新潮社)が有名ですが、氏が旅した1978年より6年前に、同じことに挑戦して本を出した人もいたんです。当時の旅のルートは枕崎→広尾で、総距離は12,771km。旅の途中で各地の行き止まり盲腸線に寄り道をしているので、サブタイトルのように16,000kmの旅になってます。全国で赤字ローカル線が次々と廃止されたにしては、今の最長ルートと大して距離が変わらないのも意外? 廃止された多くが枝葉の盲腸線で、一筆書きルートに無関係だったからでしょうか。。。
そのルートをあらためて見ると、現在とは隔世の感がありますねー。ゴールとなった北海道・広尾駅ですら、広尾線の廃止で今は存在しませんから。今回の『列島縦断 鉄道12,000kmの旅〜最長片道切符でゆく42日』では一筆書きルートに入らず特別扱いで旅をした四国も、当時のルートではちゃんと一筆書きになるんですね。仁方−堀江間の国鉄・仁堀連絡船、宇野−高松間の同・宇高連絡船を利用しているので。仁堀航路はとうの昔に廃止され、宇高航路も瀬戸大橋の開業で廃止されてしまいましたが。また、北海道へ渡るのも青函連絡船。何たって、(山陽)新幹線が岡山までしか開業していなかった時代ですからねぇ。ちなみに、只見線の全通で最長ルートが大幅に変更されたのも、その前年の1971年でした。また、新幹線以外は全て鈍行・普通列車を利用しているのも大きな違い。まさに「のんびり行こうよ」で、素晴らしすぎる旅です(^^;;
まぁ、これだけローカル線廃止が相次いだ今となっては、その魅力も半減してしまいましたけど…。それに、現在の最長ルート自体も、例えば只見線を通らなかったり、起終点の南側が中途半端な肥前山口だったりと、今ひとつ魅力に欠ける部分がありますね。やっぱ、枕崎←→稚内でないと…とか思ったり。松浦線の第3セクター化(松浦鉄道)でルートが変わったんでしょうか。
とは言え、やはり一度は体験してみたい旅、かなぁ。
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