旅にっき 【2004.05.05-11/岩手〜青森・下北半島】 *PART1

5月5日に岩手県東和町でLove Yours、8日に青森県六ヶ所村でりんご娘.のイベントがあるため、それを組み合わせて下北半島へブラり旅。今回はクルマで。


 2004.05.05

 東京→八戸

・東北道・浦和本線:5時30分→釜石道・東和IC:10時30分。(安達太良・長者原SAで休憩)

 早朝から大雨の中、東北道を突っ走る。福島県に入る頃には雨も上がり、緊張感も解けてボーッとした感じで走り続ける…郡山南ICにさしかかると、高速に上がってくるクルマが見える。んー、白のセドリックのセダンかぁ…って、ここで気づけよ(^^;; 集中力が完全に切れてましたね。バックミラーに赤色の回転灯が写り、ようやくハッとしたときは後の祭り。覆面に止められ、温情で28kmオーバー。反則金\18,000(T_T) 減点3点(T_T) しかし、朝7時前から取り締まりするかねぇ。

 いきなり出鼻をくじかれた感じで、失意の中を宮城県から岩手県へ。


*宮城県・長者原SAで岩出山産家庭ハムを使用したスペアリブ(\630)の朝食。激うま〜。

 花巻JCTから釜石自動車道に入り、終点の東和ICへ。この区間は2002.11.07に開通しただけに、真新しい路面の対面通行。とりあえずその先の遠野市までは延伸されるようですが、どれだけの需要があることやら。交通量は激少。

 東和ICを降りると、すぐ隣が道の駅とうわで、東和温泉も隣接している。そちらには後で立ち寄ることにして、まずは目的地、Love Yoursのイベントが行なわれるオートレジャーランド東和(北成島地区)を目指す。が、道がよくわからない。電話ではものすごく簡単そうに、インターから5分と言われたものの、東和町の中心部とは反対側に走っていくと、やがて民家が途絶え、どんどん山の中へ…携帯のも圏外になりがちな中、なんとか誘導してもらいながらたどり着く。いちばん肝心な分岐点に何の案内表示もないんだものなぁ。4月29日に開業したばかりなので、まだまだ不備が目立つ感じ。

 ここ、オートレジャーランド東和は山の斜面を切り崩して作られた四駆&バイク(オフ車)用のオフロードコースで、広大な敷地を生かした大胆なコースレイアウトはかなり本格的なもの。首都圏近郊ではとても作れないだろうと思われるコースは個人(&有志)による手作りだそうで、敷地総面積は12,000坪。山の斜面をジムニーが何台も走っている様は壮観でした。もっとも、難易度の高いコースを攻めているのは、レンタル用の改造車がほとんど…かと思いきや、中に1台、自分のランクル70で攻めている猛者が。なかなかの腕前にしばし見とれてました。や、昔は四駆に乗っていた時期もあるもので(^^;;

 イベント終了後は再び東和IC方面へ。と、道すじに“ケヤキ(欅)一本彫の成仏としては日本一”兜跋(とばつ)毘沙門天立像(国指定重要文化財)の看板が。早速、その像が展示されているという三熊野神社の境内へと入ってみる。毘沙門祭りで開催される全国泣き相撲大会の土俵や、かつて天立像が納められていたという成島毘沙門堂などを見た後、最上部にある展示館へ。と、ここまでは無料だったものが、天立像の保存展示館だけは有料(^^;; 像は高さ4.73メートルで、平安時代に朝廷が勢力を伸ばしてきた時期に、北方守護のために作られたものだとか。圧倒的な存在感にしばし見とれる。。。(内部は撮禁)


*(左)三熊野神社 (中左)泣き相撲大会の土俵 (中右)成島毘沙門堂 (右)毘沙門をイメージした(?)東和町内の街灯

 気分も落ち着いた後は道の駅とうわまで戻り、東和温泉に入浴。温泉はJR東日本が展開するホテルチェーン、フォルクローロいわて東和も併設されている立派なもの。でも、JR釜石線土沢駅より徒歩約13分ってのは、JR利用が前提な(はずの)フォルクローロチェーンにしてはアクセスが悪くないですかねぇ。送迎もあるようですが。
館内は明るく清潔で、広々。なかなか立派な施設です。浴場は明るい内湯になかなか広めの屋根付き露天風呂があり、公共施設にありがちな無機質すぎるものではない、温泉として楽しむ感覚も取り入れられていて快適。さすがにGW中の休日だけあって人も多い。湯は無色無味無臭で、ちと物足りなかったけれど(^^;; 源泉100%らしいけれど、単純泉なので。

 町の中心部からほど近いところには、JR釜石線の土沢駅があるので立ち寄ってみる。ここは、宮沢賢治の『銀河鉄道の夜』で描かれる岩手軽便鉄道の始発駅だったそうな。ちなみに、この路線には《銀河ドリームライン釜石線》という愛称もあったりします。駅自体はそんなメルヘンちっくなものではない、フツーにのんびりとした雰囲気の有人駅で、ちょうど北上方面への列車が到着する時刻だったこともあり、乗客の数も10人ほど。東和町の中心駅として、しっかり機能しているよう。

 さて、ここ東和町には、隠れた観光名所(?)があるらしい。と言うのが、その名もミステリー坂。上り坂に見えるのに、クルマのギアをニュートラルにするとなぜか坂を下がっていく…というスポット。観光ガイドブックなどにはまず載っていないのだけれど、たまたま東和商工会のサイトで目にしたため、面白そうだと行ってみることに。給油した町内のガソリンスタンドで場所を尋ねると「あぁ〜」という感じですぐに教えてくれ、なかなか有名な場所らしい!? 場所は、町の中心部から国道283号を遠野方面へ数km、下の写真(左)の脇道を(遠野方向へ向かって)右に入って4kmほど。
 で、看板に書かれているとおりに試してみると…あーら不思議、確かにクルマがするすると動きだし…。でも、よく見れば下り坂なんですけど(苦笑)。50メートルほどゆるやかな下りが続き、その先が上り坂になっているため、パッと見ではずっと上り坂のように…見えるか? けっこう人気(?)な観光迷所らしく、試している間にも秋田や宮城など他県ナンバーのクルマが数台やってきては、やっぱり同じことを(笑)。見ていると皆、しゃがみこんで路面に顔をくっつけるようにしながら傾斜具合を確認してるんですねぇ。。。って、数分前には自分も同じことをしてたんですが(^^;;


*(左)この看板が脇道の目印 (中右)(右)角度を変えて見た同方向。どう見える?

 とまぁ、のんびりと東和町で時間を過ごした後、国道283号に戻って遠野方向へ。目指したのは、お隣の宮守村にあるめがね橋。国道と宮森川をまたぐJR釜石線のアーチ型橋梁で、大正4年に架けられた(現在の橋梁は昭和18年に改修)ものだそう。これまた『銀河鉄道の夜』のモチーフになったとされる橋ですね。
 橋は道の駅みやもりのすぐ横にあり、駐車場から橋近くの川岸までは歩いて降りられるように歩道が整備されてます。川岸〜川の中には、ちょっとしたミニライブが開けそうな石造りステージ&客席も作られているものの、ほとんど使われている形跡はなさそう。けっこう優れモノなロケーションなので、こーゆーところでLove Yoursのイベントでもできれば面白いのになぁ。

 その道の駅では、変わったものをふたつ発見。まずひとつめは、握りたておにぎり専門店・銀むす亭岩手県中小企業団体中央会のビジネスモデルとして開店したものだそうで、運営&おにぎりを握っているのは地元の主婦の皆様。ウッド建築の開放的な飲食スペースもあり、店構えもなかなかいい感じ。宮守村特産のわさびを使った《岩のりわざび》《わさび味噌》などのメニューもあり、その2つを注文してみる(各\150)。店内で食べる場合は、お茶とお新香付きなのも嬉しいところ。で、お味は…うまー。米も厳選、炊き方にもこだわったというだけのことはありまする。ランチに良さげな、銀むすセット(おにぎり2個+味噌汁+総菜3品=\580)などのメニューもあり。

 発見ふたつめは、いわて型ペレットストーブ。道の駅の館内に実物が置いてあったのだけれど、岩手県産の木質ペレット(廃棄される木の皮)を原料とするストーブで、灰は肥料になるらしい完全リサイクル暖房機器? なんです。窓部等は岩手の地場産業・南部鉄器の技術を用いたもので、2003年から業務用が、2004年秋から家庭用小型タイプが発売されるのだそう。ふむふむ…てな感じですな(^^;; 岩手県工業技術センターと暖房システムメーカー・サンポットの共同開発によるもので、なかなか画期的なものらしいです。こうした、その地域ならではの発想から生まれる環境に優しい機器というのは、余所者からすればちょっと羨ましかったりもするわけで。

 そうこうしているうちに時刻はもう夕方。さぁ、あとは八戸まで突っ走るのみ。と言っても同じルートを辿るのでは面白くないので、宮守村大迫町紫波町と国道396号(旧釜石街道)を走り、盛岡南ICから東北道に。信号のほとんどない丘陵地帯を行く快適なドライブルートは、予想以上に交通量が多くて驚き。GW最終日の夕方ということもあるんでしょーが、遠野・釜石方面と盛岡市内とを結ぶメインルートになってるんですね。
 盛岡南ICからは、暗闇の中をひた走る。東北道から八戸自動車道に入ると、いきなり道路規格が1ランク落ちた感じがしますねぇ。路肩も狭いし、コーナーや勾配も中途半端にあって、路面もやや荒れ気味。中央道と同じような感覚かな。無事に終点の八戸ICまで走り通し、八戸市街でやや道に迷いつつ、八戸駅近くのホテルオーシタ新館にチェックイン。


*八戸IC出口にて。八戸など南部地方の民芸品・八幡馬の模型。

 八戸はJR八戸駅と中心街(JR八戸線・本八戸駅周辺)とが離れていて、馬淵川をはさんでクルマで10分ほどの距離感。このテのロケーションにありがちな通り、八戸駅周辺は今ひとつ寂れていて、繁華街らしきものも小規模。駅裏のホテル付近はバイパス風になっていて、郊外型の大型店舗が並んでいる。ただ、どこも閉店時間が早いようで、何とか見つけた回転寿司に滑り込んだのが20時50分頃。21時には閉店なので、とっとと注文して食べよう…と思っても、ネタ切ればかりでどうにも。。。八戸と言えば新鮮な海の幸と思ったのだけれど、回転寿司ではそのネタも大したことないようで…渋谷の回転寿司のほうがはるかに上かと(苦笑)。ちなみに、ちょっと行ってみた市街中心部=繁華街は、20時過ぎですっかり深夜のよう。大型スーパーの前でおねーちゃんが客引きをしていたり(やたら多い)、昼の中心街と夜の繁華街がごっちゃになったような街並みで、どうもしっくりこない感じ。おまけに、メインストリートが3車線の一方通行(タクシー天下)になっていて、余所者には走りにくい&止めにくい。夜間までやっているパーキングも見つからず、早々に退散しますた。


 ホテルオーシタ新館

 この日の宿泊は、旅の窓口で“八戸市内・LAN接続OK・駐車場無料・カード支払いOK・適正安価(笑)”を条件に検索した、ホテルオーシタ新館。にしても、八戸の(旅の窓口に登録されている)ホテルの多さには驚き。新幹線開業の影響は想像以上に大きいんですねー。逆に言えば、このエリアは八戸以外の宿泊物件がほとんど出てこないので困ったもんだと。宿泊客は皆、八戸に流れてしまう傾向にあるんでしょうねぇ。
 で、そのホテルオーシタ新館。部屋は広くはないものの、必要十分な広さでキレイ。設備も新しく、デスクも広く、イスは背もたれ付きでコンセントも3口、空き冷蔵庫もあって全く問題なし。バスタブや洗面スペースも広めだし、これでシングル\5,000なら言うことなしですね。もちろん、LAN接続もOK。駐車場(地上)も無料だし、館内にコインランドリーのないのが唯一の難点だけれど、外に出れば徒歩2〜3分のところにあるようです。
 また、テレビをつけてみて驚いたのが、青森と岩手の放送局が両方映ること。青森にはCX系列局がないんですが、岩手めんこいテレビが映るため、TX(テレビ東京)系を除けば民放もほぼ問題なしと。地図をあらためて見てみると、八戸って思っていた以上に岩手県境に近いんですよね。なるほど。


 2004.05.06

 八戸→六ヶ所→尻屋→大間

 朝からちょっと問題が生じて、八戸を出る時間が2時間近く遅れてしまう。この日はけっこうな移動距離があるので、ちと不安…。
 八戸市内からは海沿いの県道19号で北を目指す。片側2車線に中央分離帯もある広い道路は、工業地帯を進んでいく感じで大型トラックの交通量がかなり多い。そのためか路面も荒れた感じで、ちょっと走りにくいなぁ。百石町から国道338号に入ると、風景も流れも落ち着いてきて、ようやく旅に出たんだなぁという実感が湧いてくる。二川目郵便局で旅行貯金のかたわら、昨日の違反の反則金を支払い(^^;; 窓口氏に「大変でしたねぇ…お気を付けて」などと励まされ、箱ティッシュなどをいただいてしまう(多謝)。旅先の郵便局では、旅行貯金の通帳を見て一声二声かけられることがけっこうあり、一人旅が多いだけにこうしたちょっとした会話が気持ちをリラックスさせてくれたりする。そうでないと、ヘタをすると丸一日ほとんど口を開く機会がなかったりもするし。

旅行貯金について

 やがて三沢市に入り、いったん国道338号を離れて谷地頭に寄り道すると、それまでの道筋にも案内表示があった斗南藩記念観光村道の駅みさわに隣接)が、谷地頭簡易郵便局の真ん前にあったので立ち寄ってみる。


*(左)観光村前 (中)六十九種草堂 (右)同内部:史実を人形で再現。正面が大久保利通、手前右が廣澤安任だそう。

 明治5年、旧斗南藩士・廣澤安任によって開かれた日本初の民間西洋式牧場の跡地に作られた施設で、開拓時代の資料を展示した先人記念館や、開墾の様子を人形で再現した開拓村などが…あるらしい。と言うのも、この日はGW明けの平日、5月6日。ここの管理運営は三沢市なので、公共施設にありがちな“休日の翌日は休み”パターンだったんですねぇ。開いているのは茶店と六十九種草堂(廣澤安任の住居兼書斎を復元した建物)だけで、ちと拍子抜け。茶店のおばさんも「まだ観光の人も多いのだから開ければいいのにねぇ。さっきも新潟から来た人が残念そうに帰って行ったし」などと。東京から来た、と言うと、数年まで相模原にお住まいだったそうで懐かしそう。

 谷地頭からさらに北へ。三沢市六ヶ所村の境界手前で国道338号と合流する県道170号(天ヶ森三沢線)は、ほとんど交通量がない快適なドライブルートに。


*真っ直ぐな道路に見渡す限りの平原。北海道のような光景。

 が、六ヶ所村に入ると、どうも雰囲気が変わってくる。交通量は少ないし、信号もないし、走りやすく快適なルートではあるのだけれど、どうも周囲の景観がミョーなのだ。丘陵・平原地帯であるはずなのに緑は少なく…かと言って“荒涼とした最果ての地”なイメージでもなく、ただ単に荒れ地が広がるだけといった感じ。で、よく見るとそこかしこに砂利採掘場や廃材・廃車置き場などがあり、そうかと思うと稼働しているのかわからない荒れた感じの**工場、倉庫? がポツンポツンと現れ、もっとも広大な土地を占有しているのは自衛隊の有刺鉄線……村の中心部以外にはおよそ人気がない感じで(沿道に民家のまったくない区間がかなり続く)、ホントに何もないところだなぁと。フツー、何もないところにはそれなりの感慨があったりするものだけれど、それもない。何とも言えない異色な感じ。この地に原発関連施設が集約されたのも、何となくわかるような…。
 六ヶ所村にはまた後日来る予定なので、平日のこの日は郵便局巡りだけをして泊集落から東通村の白糠へ抜ける。そう言えば、村内の郵便局では会話がまったくなかったなぁ…。中心部の街並みも妙に洗練されていたり…やはり、原発関連で首都圏方面からの人の動きが多いのと、一般の観光客などはまず訪れないという特殊性が影響してるんでしょうか。そう言えば、ゆっくり走る軽自動車のせいで流れが悪くなった区間で5〜6台つながった最後尾についたのだけれど、後ろからカッ飛んできた横浜ナンバーのBMW850iが(かなり強引に)全車をブチ抜いて行ったっけ。そうした光景も日常茶飯事なのかもしれませぬ。
 村内の北端、東通村と村境を接する泊集落あたりまで来ると、ようやく風情のある景観が広がり始め、そこから村境を越える区間は国道とは思えない難路。大地が海にストンと落ち込むような崖地エリアなので、ぐんぐん標高を上げて山越えするような形にしないと道路が作れなかったんでしょうねぇ。海沿いの文化圏境になっている場所では、よくあるパターンですが。昔は舟でしか行き来できなかった…と言うか、行き来もそれほどなかったんでしょう。
 村境を越えて白糠集落に入ると、道はクルマ1台がやっとの広さ=集落内の路地的なものとなり、急勾配&急カーブで民家の軒先をかすめるように抜けていく。集落の中心部まで来ると整備された道路&街並みに変わるので、将来は村境までバイパスが作られるんでしょうね。白糠は想像よりもはるかに開けた集落で、釣り人相手なのか旅館や民宿も目立つ。六ヶ所村に比べるとずっと生活感や活気が感じられて、ちょっとホッとしたり。


*(左)泊集落にて。漁業の集落でイカが水揚げされるんでしょうね。 (中/右)泊−白糠間の景観

 小田野沢で国道338号と分かれ、県道248(尻労小田野沢線)に入ると快適なドライブルートが続き、ペースが上がる。それこそ真っ直ぐな道路に一面の平原が広がるなかなかのロケーション。行き交うクルマもほとんどなく、気分いいですね〜。猿ヶ森周辺の右手には海まで広大な砂丘が広がっているはずだけれど、陸上自衛隊の演習地となっているため立入は不可。有刺鉄線越しに、ちらっとだけその片鱗は見えましたが。その昔は立入自由だったそうで、規模は鳥取砂丘並みだとも。

 猿ヶ森では、ヒバ埋没林に立ち寄り。
 約400年前の大津波、その後の砂丘形成でヒバの大密林が埋没、立ち枯れしたものの一部が地表に現れているというもの。県道248号沿いに案内表示があり、従って脇道に入っていくと、小さな猿ヶ森集落を抜け、道の行き止まりに駐車場やトイレが整備されたスペースが。ここから林の中を歩いて15分ほどで、小川に到達する。その川沿いに(川の中に)、約100メートルに渡ってヒバの埋没林を見ることができる。訪れる人も少ないようで、無人のうっそうとした森林の中を静かに流れる小川と埋没林は、津々とした雰囲気で何とも言えない感じ。そこから先には植林されたらしい松林(防砂林)が続いていて、さらにその先は太平洋のはず。ちょっと歩いてみたけれど海までは距離がありそうだし、まったく無人のこの地で何かあっても、発見されるのは1週間か1ヶ月後…などと考えると不気味になって引き返したと(^^;; 静かな、鳥の鳴き声以外は何も音がしない空間でした。


*(左)林の入口。埋没林へは正面の小道を行きます (中左)途中はこんな感じ (中右)(右)ヒバ埋没林

 途中の猿ヶ森集落はかなり廃れている感じで、生活感を感じる民家は数軒ほど。廃屋も目立ち、その中心部には廃校となった猿ヶ森小中学校が。下北半島の各地ではこうした廃校を数多く見かけたもの。集落と集落とが離れているため、昔は集落毎に学校があったんでしょうね。小学校が現存する集落と廃校になった集落とでは、歩いていても活気や生活感がまるで違う…特にこの猿ヶ森集落は荒廃感が強く、近いうちに無人になってしまうのでは…とも思ったり。。。

 猿ヶ森から先は、まったくの無人地帯が延々と続く。丘陵と平原、林が広がるだけの何もない光景は、それはそれで絵になるものなんですが…ひたすら北へ走り、“←尻屋崎/尻労→”の分岐点から県道172号に入り、尻労集落を目指す。分岐点は何もない丘陵地帯のど真ん中で、ホントにこの先、集落があるのかという感じ(^^;; 夜だったら不安ですねぇ。まぁ、フツーの余所者は迷わず尻屋崎方面へ向かうんでしょーが(苦笑)。
 県道の行き止まり・尻労集落は、東通村内でもポツンと孤立したような立地になっている漁村。漁港を取り巻くように集落が広がり、クルマ1台がやっと、狭く直角の曲がり角が連続する路地の周囲に家が建ち並ぶ…古くからの漁村によく見られる光景ですね。おかげで郵便局を探すのに一苦労(^^;; 県道沿いではなく、その路地の集約する(集落の中心?)ところに、周囲の家と軒を連ねるように建っていました。これまた、昔ながらの郵便局の風情ですね。
 いっぽう、小高い場所にある集落から海に面した漁港へ降りるように、真新しく立派なループ橋(みらい大橋)がかかっていたのには驚き。漁港整備で大型車でも乗り入れたんでそか。ダンプを通すためだけに作られたような立派な橋に、何とも言えず…。それとも、これが将来は尻屋方面とつながる道に? 県道の終点は砂利道〜資材置き場になって行き止まり。ここから先、尻屋方面への道はなく、断崖絶壁に阻まれて徒歩でも無理なよう。
*『気まぐれ列車の時刻表』(種村直樹・著)参照。日本列島外周の旅で尻屋→尻労(徒歩)を目指したものの、途中で断念されています。


*(左)尻労郵便局 (中)みらい大橋(北側・尻屋方面を望む) (右)尻労集落の外れから南側・猿ヶ森方面を望む

 尻労集落の外れで海を眺めていると、いきなりパトカーが現れてビックリ。東京ナンバーの輸入車が小さな漁村の路地を走り回っていたのだから、目立つことこの上ない。まさか不審者として通報されたのでは…と思い、こちらから「尻屋崎へ行きたいんですが」と切り出してみる。「それなら同じ方へ行くから連いていらっしゃい」と親切なお言葉。考えてみればここ尻労に交番があるわけもなく、尻屋崎へ向かう途中、岩屋集落の交番からの単なる巡回だったよう(^^;; しかし、岩屋からここ尻労まではかなりの距離。広大な面積の警備を担ってるんですねぇ。で、道に迷うこともなく岩屋へ。もちろん制限速度で走ります(^^;; 下北半島内ではどのクルマも制限速度を大幅にオーバーして走るのが当たり前。フツーに走っても80kmぐらいはすぐに出てしまうほど、快適な(?)ルートばかりなので。ネズミ捕りなどはまったくないようで、東京の道路なんて道路じゃないよな…などと不謹慎なことを思ったり(苦笑)。

 岩屋でパトカーと分かれ、尻屋崎へ。親切なおまわりさんに「ゲートが17時で閉まるからね」と聞いていた通り、尻屋崎の入口には道路を寸断するゲートが。周囲の草原には尻屋崎の名物でもある寒立馬の群れが20頭近くいて、観光客が遠巻きに写真を撮っている。中でも、子馬をかばうように寄り添う両親(?)の親子連れ3頭が印象的でした。


*(左)岩屋側ゲート (中左)寒立馬の親子 (中右)ゲートから尻屋崎へ (右)灯台と《本州最涯地 尻屋崎》石碑

 ゲートから尻屋崎までは2〜3km。灯台が建つ地には《本州最涯地 尻屋崎》の石碑以外、何もない草原・丘陵地帯が広がり、それがそのまま海に落ち込んでいる。確かに“最涯の地”だなぁ…と実感するようなロケーション。で、何よりすごかったのはその強風。海から吹いてくる強風には、立っているのがやっと。ヘタに吹き飛ばされればそのまま海の藻屑…あわわわ。何とか吹き飛ばされずにクルマへと戻り、反対側のゲートへと向かってみる。尻屋崎への道は岩屋側、尻屋集落側にそれぞれ入口ゲートが作られていて、夜間は立入禁止になるらしい。たいていの観光客は岩屋側ゲートから灯台まで来て帰ってしまうらしく、尻屋側に伸びる立派な道路には人気がまったくない。草原と海しかないロケーションは、ますます最涯の地らしい様相を濃くしていく…何とも日本離れした光景で、この“何もなさ”を体感できただけでも、ここまで来た甲斐があったなぁと思わせるモノ。
 反対側のゲートに到達した頃はもう16時半過ぎ。そろそろ戻らなければ。。。ちなみに、尻屋側のゲートは1時間早く16時に閉鎖。閉じこめられた際は東通村役場へ連絡を…と電話番号が記載されているものの、ゲートは無人で電話もなし。携帯は圏外。岩屋側のゲートには管理事務所があり有人、公衆電話もあるので、出られなくなることはなさそうですが。管理人の方は17時近くなると入っていくクルマやバイクをチェックし、それが出てくるのを確認してから家路につく模様。


*(左)草原がそのまま海に落ち込む特異な地形 (中)尻屋側ゲート(尻屋集落方向)。右側は旧道? (右)同ゲート(尻屋崎方向)

 そんなこんなで灯台まで戻ってくると、もう周囲は無人。そのまま岩屋側ゲートへ向かうと、1台のバイクとすれ違う。どうやら彼が本日最後の来訪者。ゲートでは管理人らしき方が所在なげにゲートにもたれ、寒立馬の群れを眺めていました。バイクの彼が戻るのを待っているんでしょうね。先ほどの親子連れ馬も、今度はぽくぽくとのんびり道を渡り、仲間の馬とともに草原の奥へと消えていきました。
 そうそう、その前に、灯台からゲートへの途中にも小さな群れが。こちらも堂々と(のんびりと)道路を歩きながら、両側に広がる草原で草を食べている…行きにはいなかったので、彼らも陽が落ち始めると人間がいなくなることを知っているんでしょうね。その頃になると安心して道路まで出てくるよう。クルマですぐ横まで行っても知らん顔だし、人には慣れているものの、やはり人間がいないほうが…ね。ちなみにこの寒立馬、一時期は9頭まで激減したものの、現在は保護対策により約30頭まで増えたとか。てことは、この日に見た2つの群れでほぼ全て…? 子馬は1頭しか見なかったので、貴重なのかも。

 さて、下北半島でもこのエリアと言えば、風力発電でも有名なところ。その強風ぶりも体感しましたからね(^^;; 岩屋集落周辺の丘陵地には、その巨大風車が何本も。。。そばまで行ってみると、デ、デカい…(驚)。ぐるんぐるんと勢いよく回転するサマは圧巻ですた。


*岩屋ウィンドファーム。風車は風力発電の本家・デンマーク製だそう。

 陽もだいぶ暮れかけてきたので、今夜の宿泊地・大間を目指す。それなりに交通量の多い県道6号(むつ尻屋線)から県道266号(関根蒲野沢線)に入ると、いきなり今回の旅で初のダート。真っ直ぐ伸びる道路はその後も舗装路とダートの繰り返しで、行き交うクルマもほとんどなし。10km近く民家(と言うか人の気配)がない区間が続き、荒野の真ん中で自分がどこにいるのか感覚がなくなってくる。

 で、ようやく人家が見え、集落らしきところに入ったと思ったら…いきなり踏切が。え? という感じで地図を見ると国道279号にぶつかる直前で、そこは関根集落。踏切も道床も残っているものの、踏切部以外の線路は撤去されている。そーか、これが廃止された大畑線(旧国鉄→1985.07:下北交通に移譲→2001.03.01:廃止)の跡だ…と気づく。そのことにしばらく気づかないほど、自分のいる空間が非現実的になっていたんですねぇ。。。


*(左)関根集落内、旧・陸奥関根駅−旧・川代駅間の踏切 (中左)川代方面 (中右)陸奥関根方面

 その踏切から数百メートルほどの距離にある、旧・陸奥関根駅跡も訪れてみる。国道279号沿いの(現在の)関根郵便局前から脇道に入り、200〜300メートルほど行った突き当たりが旧駅跡。駅舎などは全て取り壊されサラ地となっているものの、草むしたホームはそのまま。駅横に建つ旧・陸奥関根郵便局の廃屋が物悲しい。鉄道廃止とともに国道沿いに移転したのでしょうね。そんなことを思っていると気分はどんどん落ち込んでくるし、駅前の家で飼われている犬が不審者が来たとばかりにワンワン吠えまくるので、早々と退散することに。
 その帰り道。駅近くの雑貨屋の自販機でタバコを買おうとすると、硬貨を何度入れてもチャリン…と戻ってきてしまう。。。店の人に聞こうにも、営業しているのかどうかわからない雰囲気で人気はなく、諦めて大間へ向かう。鉄道、駅の廃止とともに、何か時が止まってしまったかのような空間だった…。


*陸奥関根駅跡 (左)旧・樺山駅方面 (中左)駅舎跡と旧・川代駅方面 (中右)ATSがそのまま残る (右)旧・陸奥関根郵便局

 むつ市から大畑町風間浦村に入る頃にはとっぷりと陽も暮れ、あとは海沿いの国道279号を突っ走るのみ。交通量はけっこうあり、むつや大畑から大間方面へ帰るクルマが多いよう。その流れは時速80km程度と速く、コーナーでちょっと速度が落ちようものなら、アッという間にアオられ状態に(^^;; ひぇ〜、こっちは初めて走るルートなんだからさー、海に転落したくないんですけど。。。んな感じで下風呂温泉も素通り。ここにきて、朝の八戸でのタイムロスが響いてくる。というのも、大間では大間温泉海峡保養センターに立ち寄り、食事をしてホテルにインするつもり。このテの施設のレストランはだいたい19時か19時半には営業を終えてしまう。それまでに到着しなければ、見知らぬ土地で一人、居酒屋にでも入らなければならなくなる…他に余所者、観光客向けの店が、その時間に開いているとは考えにくい。。。

 でもって、何とか到着したのが19時10分。受付で尋ねてみると、レストランはラストオーダーが19時15分とのこと。ひぇ〜、間に合った。とりあえず、刺身定食を頼んでみる。大間と言えばマグロだけに、マグロとトロ、イカ、ホタテの盛り合わせで\1,200。お味も上々、なかなか満足(^o^)

 さぁ満腹になったところで、あとは温泉で疲れを癒すだけ。浴場は広く、岩風呂風な湯船が4つ。橋や小川(?)も作られ、屋内の庭園風呂といった風情。大きな湯船は濾過しているらしく透明な湯で、小さな湯船は源泉らしい、やや赤褐色めいた湯(熱い!)。いずれも食塩泉らしくしょっぱい味で、よく温まる感じ。なかなかいい湯ですが、浴場の広さの割には一つ一つの湯船があまり大きくないのが難点。大きな湯船がでーんとあったほうが、入浴者には使いやすいかも。時間帯的に入浴者が多いこともあり、今ひとつ落ち着けない感じがしないでもない、かな。


 サンホテル大間

 この日の宿泊は、サンホテル大間。下北半島の西北部では唯一、旅の窓口に登録されている宿泊施設。その旅窓では、この日はまだGWの延長期間となるのか、むつ市内のホテルは全て満室。このサンホテル大間にしても、4日の段階で8日の土曜までに空室があったのはこの日だけ。下風呂温泉での宿泊も考えたけれど、到着が夕食時刻を過ぎそうだし、混雑時は嫌われる一人旅。簡単に予約できるところでしておいたほうが無難かな、と。大間で余所者、観光客が宿泊するならここらしく、駐車場には他県ナンバーのクルマがズラッと並んでいる。やはり、かなり満室に近い状況なよう。。。

 ホテル自体は、まぁ、こんなものかなという印象。シングルで予約した部屋はツインのシングルユースで、サブベッドはベッドカバーされず、ソファー代わりに使えということらしい(苦笑)。デスクも冷蔵庫もドライヤーもなく、ただ寝るだけですね。リニューアルされたらしくキレイなのはいいけれど、内容的には一昔前のビジネスホテル風でしょーか。来訪者数に対して宿泊施設が少ないエリアだけに、1泊\5,250なら良しとしませう。また、ここ大間は青森の放送局の他、北海道(函館)の放送局も映るんですねぇ。前夜の八戸では岩手の局が見られ、この日は北海道。。。テレビを見ていると、自分が青森にいる実感が薄くなったり(^^;;