旅にっき 【2004.05.05-11/岩手〜青森・下北半島】 *PART2

5月5日に岩手県東和町でLove Yours、8日に青森県六ヶ所村でりんご娘.のイベントがあるため、それを組み合わせて下北半島へブラり旅。今回はクルマで。


 2004.05.07

 大間→佐井→脇ノ沢→むつ

 昨日は時間の関係で風間浦村を素通りしてしまったため、いったん国道279号を下風呂温泉まで戻る。

 下風呂温泉は国道と街中を通る路地との間に旅館や商店が軒を連ねる、井上靖の作品『海峡』の舞台として知られるその知名度からすれば小規模な温泉街。その路地の急坂を上った突き当たりに、共同浴場の新湯がある。手前の坂道途中には公民館が建っていて、その駐車場を使用する。外来利用者はそうするように、ガイドブックなどに記載されているもので。新湯、もう一つの共同浴場・大湯とも、ちょっとした駐車場が脇にあるのですが、そちらは地元の人専用ということ? ま、公民館から新湯へは徒歩2分、大湯へも徒歩3分なので、素直に従いましょう(^^;;


*(左)温泉入口(大畑側から) (中)温泉街(大間側から)。左は海、右は山肌にへばりつくように旅館、共同浴場が並ぶ。 (右)奥正面が新湯

 で、まずは新湯へ行ってみる。昔ながらの共同浴場といった風情で、脱衣場もレトロな雰囲気。浴場は板張りで、浴槽はもともとは木製? だったものを上からコンクリで固め(?)水色に塗ったもの。いや〜、これはいい! ザブン! とはいかず、かなり熱いと聞いていたもので“そろーり、そろーり”と浸かってみる…あ、熱いっ。。。とても身体まで浸かれず、足だけ入れてはお湯を上半身に掛け…その繰り返しで慣れてきてから、ゆっくりと浸かってみる。ふぅー(^^;; 熱いけれど成分濃厚な感じで、いいお湯です。無色透明でしょっぱい塩味。完全自噴の源泉そのままだそうで、ありがたやありがたや(笑)。


*新湯

 続いて、2〜3分ほど歩いてもう一つの共同浴場・大湯へ。こちらのほうが老舗で、源泉も新湯とは別(泉質は同じ)。やはり風情のある昔ながらの共同浴場で、浴槽が2つあること以外は新湯と同じような作り。で、新湯の熱さで慣れたから大丈夫だろうと浸かってみると…あちちちっっ。熱いなんてもんじゃないっす。モノの本には、大湯は源泉そのままの熱い浴槽と、少し冷ました浴槽とがあり、冷ましたほうと新湯が同じぐらいの熱さ…と書かれていたのだけれど…とてもじゃないけど浸かれません(^^;; お湯は新湯よりも濃厚でやや白濁気味…らしいけれど、あまりの熱さにそんなことを感じている余裕はナシ(味見は塩味)。そもそも、2つの浴槽とも同じ熱さじゃん。水道の蛇口はあるけれど、締められたままだし。。。入浴したのが午前10時過ぎ。朝風呂のお客さんが済んで無人の時間帯だっただけに、水が止められていたのかもしれないです。お湯を身体にかけながら何とか5秒だけ浸かってみるも、すぐに飛び出す。脱衣場で何か腕が痛いなぁと思って見てみたら、肘の部分を火傷してました(T_T)


*大湯

 おかげで身体中が火照っていて(苦笑)、脱衣場の冷蔵庫から(もちろん)リンゴジュースを取り出してグビグビ。でも、お金を払おうと思ったら番台のおばちゃんの姿がない。困ったなぁ…と脱衣場を見回すと、何やら小冊子がたくさん置かれている…。《にゅーぽけっと》というこの小冊子、中を開くと地域の学校の卒業式の模様や、地元の**教室やら何やらが紹介されていて、いわゆる地域コミュニティ誌的なものらしい。が、裏表紙は…“大間原子力発電所 工事の状況”。発行元は電源開発(大間原子力建設準備事務所)。なるほどねぇ。“北通り(下北半島北部)の元気を応援します。”と記されたこの小冊子に偽善めいたものを感じてしまうのは、人間がひねくれてるからですからねぇ(苦笑)。
 しかし、大間に原発が建設中なんですね。そう言えば、今朝も大間の市街でダンプカーを何台も見かけたっけ。お隣の風間浦村佐井村をも巻き込みながら、大間町は第二の六ヶ所村になっていくんでしょうか…。そう言えば、大間町って今どき公式サイトがないんですよねぇ。


*(左)《にゅーぽけっと》表紙 (右)裏表紙

 あ、おばちゃんが戻ってきた。外で掃除をしていたらしい。
 お金を払うと「あら〜、待っててくれたの、ごめんなさいね」。はい、待ってました(^^;; おかげで新たな発見もありました(苦笑)。

 再び国道279号を大間方面へ戻る。途中、桑畑集落の小高い丘に立てられているのが、桑畑温泉の村営日帰り温泉施設《湯ん湯ん》。国道沿いに大きな看板が出ているのでわかりやすく、桑畑温泉入口のバス停もあり。廃校となった桑畑小学校の跡地だそうで、2002年12月1日のオープンだけにまだ真新しく、休憩室や浴室も明るく開放的でキレイなもの。若干白濁気味ながらほぼ無色透明、塩味で、ややぬるっとした感じがひじょうにいいお湯です。熱さも適温ですが、源泉は34度のためボイラー加熱しているそう。ガラス張りの浴室の外は展望テラスになっていて、津軽海峡が一望に見渡せる。うーん、ここはいいですねぇ。せっかくならテラス部に露天風呂も…泉温が低いからちょっと無理かな。冬は吹雪の吹きさらしになるだろーし(^^;;


*(中右)敷地内には桑畑小学校跡碑が。 (右)風間浦村の特産品・布海苔を麺に練り込んだ《布海苔そば》(\300)を食す。うま〜(^o^)


*(中右)展望テラス (右)テラスからの展望

 すっかりふやけた後は(笑)、大間崎へ。本州最北端の碑の周囲には、さすがに観光地らしく、他県ナンバーのクルマやバイクが何台も。写真を撮っている観光客が何組もいて、この旅で初めて、フツーの観光地に来た感じがする? 俗化してしまっていて、昨日の尻屋崎に比べて感動がないなぁ。まぁ、本州最北端に立ったという自己満足ですかね(^^;; で、これまた当然のように本州最北端のみやげ物屋で記念品と《本州最北端到達証明書》を買い、本州最北端の食堂でマグロ・アワビ・ウニ丼(\2,000)を食べたりするわけです(苦笑)。

 ここは、NTVザ!鉄腕!DASH!!』の《進め!つれたか丸》企画でも長瀬が挑戦した津軽海峡マグロ一本釣りで有名な町・大間。本当はガイドブックにも載っているマリンハウスくどうでマグロ丼を食べるつもりだったのに…周辺をブラブラして店の前に立ったのが13時5分過ぎ。玄関には“食堂は終了しました”の札がカラーン。おぃー。本州最北端の碑の付近には食堂が3軒並んでいるのだが、もう1軒もやはり営業終了。店内には客が見えたので、2軒とも13時きっかりで昼の営業は終了!? なんだかなぁ。おかげで営業中のもう1軒(実はここが“本州最北のめしや”)は満席の大繁盛。客はいずれも余所者・観光客ばかりだし、他2軒のやる気のなさには呆れましたねぇ。多忙だったに違いないGW明けで、休みたいんでしょーけど。
 で、肝心の大間マグロのお味は…うーん、昨晩の刺身定食のほうがウマかったかなぁ。ちなみにウニは、以前に礼文島で食べたウニ丼(\2,000)のほうが上です(きっぱり)。何にせよ、大間崎でマグロ丼を食べようと思う方は、昼時きっかりに行かないと食べそびれますんで、どうかひとつ。

 大間では、函館とを結んでいる東日本フェリーの乗り場にも立ち寄ってみる。敷地はだだっ広いけれど、出札・待合室はプレハブのような小屋がポツンとあるだけで拍子抜け(^^;; 先ほどの《にゅーぽけっと》によるとフェリー存続の署名運動が起きているらしいけれど、ヤバイんですかね?

 大間からは昨日も六ヶ所村東通村で走った国道338号に入り、佐井村へ。ちなみに大間まで走ってきた国道279号は、海を越えた函館市内につながってます。いわゆる“海上国道”というやつで、正式には野辺地−函館間を結ぶ国道なんですね。また、大間から佐井→脇ノ沢→むつへと下北半島の西南部外周となる国道338号も、函館−上北町を結ぶ海上国道だったり。下北半島は付け根から先端まで、この2つの国道が(むつ市内でクロスして)外周を形成するようになっています。

 で、佐井村ではまたまた温泉(^^;; 村内唯一の温泉、千金温泉共同浴場に立ち寄ろうと思ったのだけれど、場所がいまいちわからない。原田地区の小高い丘にあるというガイドブック情報を信じ、山側(進行左側)を見ながらクルマを走らせていくものの、何の案内表示もなし。原田地区は国道に面して家が建ち並んでいるだけで、山側にも海側にも奥行きがない集落(平地が狭い)ため、そもそも山側に入っていく脇道が存在しないのだ。で、集落の外れ近くまで来た頃に…これか? という細い路地が。その路地に入ってみたものの、何やら工場(コウジョウではなくコウバ)のようなものがあるだけで、それらしい雰囲気はない。うーん…。と、ちょうど原付に乗った奥さんが通りかかったので尋ねてみると、「あ〜、この先ですよ。私も行くから連いてきて」。そ、そうですか。道はすぐに砂利道になり、その行き止まりに小さな小屋が建っている。こ、ここか。。。
 この千金温泉。館内の表示を見ると、なぜか経営・運営は東京・新宿の会社。なぜに? もともとは地元で鉱山を経営されていた方が私財を投じて採掘したものらしく、それが名前の由来なんでしょーね。休憩室も浴室もこじんまりとしたもので、地元の人の社交場と言った雰囲気でした。ちなみに先ほどの奥さん、こちらのクルマのナンバーを見ながら「東京からですか?」。数年前まで多摩センターのほうにお住まいだったそうで、道理でキレイな標準語です。その後もあちこちで話しかけられたように、なぜか下北では“以前は東京に住んでいた”奥様が多いようで…東京で結婚した後、ダンナ様の故郷にやってきたのかしらん。皆さん、東京ナンバーを懐かしむような雰囲気だったので。。。

 村の中心地・佐井集落を抜け、次の長後集落までは海沿いの快適なドライブルート。国道279号と比べると300番台の国道だけに、路面整備は今ひとつですが…。
 途中には願掛岩という観光名所もあり、駐車スペースや売店、トイレなどが整備されています。ここには“鍵掛け縁結び”という不思議なものが…そもそも願掛岩とは、展望台右手の“女願掛け”、左手の“男願掛け”という海中に没する2つの岩山を男女の縁結びの神として信仰していたものだそう。古くは鍵掛け岩とも呼ばれていたもの。で、それにちなんで鍵掛けネットを設置し、佐井村の新・観光三景の一つとして整備、年に一度は願掛けまつりを開催するとか(案内板より)。このテの“金網への鍵掛け”=“縁結び”って風習、けっこう各地にありますよねー。神奈川県平塚市の湘南平こよなく夜景を愛する人へ)とかね、何度か行きましたけど(^^;;
 でも、その“佐井村/新・観光三景”についての説明がどこにもない…一つは仏ヶ浦なんでしょーけど、もう一つは?


*(左)佐井村の各施設には青森ヒバ製の案内表示が。 (中右)女願掛け岩 (右)男願掛け岩


*(中)鍵掛け縁結び用の、穴あき案内板。この穴から後ろの鍵掛け金網をのぞくらしい (中)鍵掛け用金網 (右)反対側から見た男願掛け岩

 のんびりとしたドライブルートから一変、下北交通バスが入る最後の集落(と言っても1日2往復)長後を抜けた途端、道路はいきなりの山越え、狭いワインディングロードに変貌していく。次の福浦集落までは人間の生活感がまったくない山中を走る感じで、バスが来ないのも納得…。このあたりからは山がそのまま海に落ち込み、その海岸線(崖)が入り組んだリアス式の地形になっているため、道路も山越えするカタチにならざるを得ないんでしょうね。
 急カーブの連続にちょっと疲れてきた頃、今度はぐんぐんと下り勾配&カーブで標高が下がっていき、目の前に入り江が広がったところが福浦集落。確かに、周囲の山々と崖地を見渡しても、ここにしか人は住めませんねぇ。。。その入り江のわずかな平地に家が密集している感じの漁村にも、小中学校と簡易郵便局があるのでした。ある意味、外界から隔絶された空間でしょうから…。ここのおばちゃんは親切で、次の牛滝集落の簡易局に電話をしておいてくれると言う。時刻は既に15時過ぎ。おばちゃんによると牛滝まで45分はかかるそうで、局が閉まる16時ギリギリなんですぅー(^^;;


*(左)福浦簡易郵便局 (中)集落から山側を望む (右)福浦漁港

 てゆっか、ここ福浦でもいい加減すごい立地なのに、そこまでクルマで45分かかるお隣の牛滝集落って…。牛滝は佐井村最後の集落(福浦から約13km、長後から約21km、村中心部から約30km)で、お隣の脇野沢村へも人間が入らないエリアを山越えルートで何十キロと辿るしかない、陸の孤島のような場所。以前は道もなく、船でしか到達できない場所だったわけで。。。現在でも、冬季は道路が閉鎖されるため、脇野沢側からの交通手段は船(下北汽船)のみ。それも、冬季は時化で3日に1度ぐらいしか運航されないらしい。。。
 時間がないので、かなり過激なワインディングロードをとにかく飛ばす。道はさらに狭くなり…と思ったものの、あちこちで拡幅整備がされているようで、コーナー&急勾配の連続ではあるものの、それほどの悪路でもない。やはり、途中に仏ヶ浦という景勝地があり、佐井−脇野沢間を走り抜ける(余所者の)クルマが多いからでしょう。ただ、道路が整備された跡はまだ真新しく、ちょっと前までは“陸の孤島”に近かったことがうかがえる…。
 仏ヶ浦見物は後回しにして(通過して)先を急ぐ。仏ヶ浦を過ぎると道は下り勾配となり、どうやら峠は越えたらしい。山の視界が開けた先には海もちらちらと見え始め、牛滝集落はもう近いよう。と、突然、キタキツネに遭遇。道路の真ん中に座り込んで日向ぼっこ…かと思いきや、よく見ると左前足の先端がない…。まともに歩けないようで、これではエサもとれないはず。おそらく、人間からエサをもらおうと道路に出てきたんでしょうね。クルマを止めると近寄ってこようとするし。でも、食べ物を何も持っていないんだよな…例え持っていても、与えていいものかどうかがわからないし。。。後ろ髪を引かれる思いで後にする。


*(左)左前足はワナにでも引っかかったのか… (右)国道から見る牛滝集落の全景

 小さな漁村・牛滝集落には30分ほどで到達。ここも福浦集落と同様の立地で、周囲の山はさらに険しい。正直、よくここに人間が住み着いたものだ…などと思ってしまう(謝)。でも、ちゃんと小中学校があるんですね。校庭では子供たちが元気に遊んでいたり、商店や地区センター(?)の建物なども真新しく、集落の雰囲気は決して暗いものではありません。むしろ、先ほどの福浦集落より明るい感じ? 牛滝漁港は周辺地区と比べても漁獲高が高いそうで、交通の便は“へき地”でも、辺境の地の寒村…というイメージは集落内にいる限り薄いかも。簡易郵便局のおじさんも、ごくごくフツーに貯金事務処理をしてくれました。年に何人かはこうしたひねくれ旅行貯金派が訪れるのかもしれません(^^;;
 ただし、子供達はこちらのクルマを見て不審そうな顔をしてましたけどね(^^;; 国道は集落からかなり離れたところをバイパスしていくため、わざわざ集落内まで入ってくる余所者はよっぽど物好きか、それこそ不審者でしょうから(苦笑)。


*(左)国道338号から牛滝集落への分岐点 (中左)分岐点から集落方面を望む(右が山越えに向かう国道) (中右)集落内 (右)牛滝簡易郵便局

 ちなみに、ここ牛滝小中学校は本州で唯一の“へき地5級校”(へき地学校の等級で最大等級)に指定されているそうです。この“へき地5級校”は日本全国でも3校しかないそうで(2003年現在)、ここ牛滝小中学校の他は、北海道新得町トムラウシ・富村牛小中学校、熊本県泉村樅木・泉第八小学校の2校のみ。なお、こうした牛滝(小中学校)への訪問記やへき地校情報は、HEYANEKOの旅心のページさんの《廃村と過疎の風景(2) 》に詳しくまとめられています。

 さて、時刻も既に16時をまわり、そろそろ陽も傾きかけてきた。仏ヶ浦へ戻ろう。
 仏ヶ浦は下北半島を代表する観光スポットで、津軽海峡の荒波と風雪が海岸線の凝灰岩を削って作り上げた、一種の彫刻作品のようでもある景勝地。佐井や脇ノ沢(福浦・牛滝)から観光船が出航しているものの、今回は時間の関係で陸側から行くことに。国道から少し降りたところに駐車場とトイレが作られ、そこから海岸まで遊歩道が整備されている。って、この遊歩道がすごい。最初はダラダラと林の中を抜けていくものの、徐々に急勾配となり、後半は崖っぷちに掛けられた木製の階段で…もう、無理矢理に海岸まで降りていく感じ。その昔は船でしか行けなかった(道路からは降りられなかった)はずなので、観光客のために佐井村が整備したんでしょうね。ご苦労様です。ガイドブックには駐車場から徒歩5分などと書かれていますが、下りで10分弱、上りは15分近くかかりますねぇ。帰りの上りはかなーりキツかった…。足腰に不安がある人は船で行きませう(^^;;


*(左)国道338号の仏ヶ浦付近 (中)駐車場にはこんな看板が… (右)駐車場のすぐ下には扉を閉ざした茶店が。営業は夏季のみ?


*(左)途中には「土砂崩れで通行止め」の看板が (中左)確かに、道が消えてます… (中右)新たに作られた階段 (右)海岸から降りてきた崖を見上げる

 で、その仏ヶ浦は。。。確かにすごいところですねー。これは一見の価値あり、でしょう。山の緑がそのまま海に落ち込み、その先端だけが浸食による造形美を放つコントラストの異彩さ。海岸線に広がる、浸食で異様な姿となった巨岩。無人だったこともあり、しぶきをあげる津軽海峡の荒波を眺めながら、小1時間ほど孤独感に浸ってました。小さな入り江を渡り、岩をよじ登り、ちょっとした冒険気分になってみたり(^^;; 行けるところまで行ったところで潮が満ち始めたらしいのを感じ、慌てて戻りましたけど(苦笑)。陳腐な感想ですが、大自然の驚異の中で、自分がすごくちっぽけなものに感じられましたね。。。


*(左)海岸には観光船用の船着き場が。以前は海から眺めるだけだったものを、船を降りて見物できるよう、無理矢理に桟橋を作ったという感じ。
*(中)桟橋は波に洗われてます… (右)桟橋から。船を降りるとこんな風に見えるはず


*(左)立派なトイレがあって驚き (中右)(右)こんなところを歩き、岩をよじ登っていくと…


*こんな光景が広がってました。

 さぁ、そろそろ行こうかと歩き始めると、階段のところで一人旅風な男性とすれ違う。駐車場まで戻ってみると、埼玉ナンバーのアウディA3が1台止まっていた。ほぉー、埼玉から一人旅なのか…などと思っていると、先ほどの男性が戻ってきた。どうやら、さっと一回りしただけで帰ってきたよう。向こうは向こうで「東京ナンバーのBMWでの一人旅か…」などと思っているはずで、どちらからともなく軽く会釈(^^;;  仏ヶ浦を出発し、再び牛滝を通過すると、“海峡ライン”と呼ばれる国道338号は海から離れ、山間の丘陵地帯へと進んでいく。途中で写真を撮っていると、先ほどのアウディが猛スピードで走り去っていった。やはり脇野沢方面へ抜けるのだろーか。。。
 牛滝から先、脇野沢までの海沿いには仏ヶ浦のような海岸線が続き、人間を寄せ付けないエリアになる。もちろん道路もない。丘陵地〜山間部を抜ける国道338号沿いにもまた、脇野沢村(商工会)の源藤城集落までの間に、人間が暮らす場所はない。。。はずなのだが、川内町の畑集落〜町中心部へとつながる県道253号(長後川内線)との分岐点まで来ると、民家が数軒建っている。え? と思いつつ近づいてみると、いずれも人の気配はなく、廃屋のよう。手元の1996年発行の地図にも集落名は記載されていないので、それ以前に人がいなくなったのでしょう。つまり、この廃屋は少なくとも10年近く、このままの状態なのか…。よく見ると、台所だったらしい窓越しに洗剤やらスポンジのようなものが見えて、生活感が残ったままになっているのが物悲しい…。
 この集落跡の周囲には、それまで(それから先)の山間部、林間部がウソのような丘陵草原地帯が広がっている。柵で囲われた牧場跡らしきエリアや牧舎だったらしい建物も残り、かつては放牧などが行なわれていたのでしょうね。海から離れているため風もなく、海沿いの漁村に比べればはるかに生活しやすい環境に見えるのですが…。

 このあたりは佐井村でも最南端、川内町との町境に近い場所でもあり、村の中心部とは山越えの連続で数十キロの距離。そうした利便性の悪さが、廃集落となった要因なのでしょうか。もっとも、実際の生活は川内町側と密接な関係だったのだろうと予想されますが。牛滝・佐井村中心部方面と、川内町への県道253号は年間通行可能ですしね。写真を撮っている間にも、牛滝集落で見かけたクルマが1台、川内町方面へ走り去って行きました。

 いっぽうこちらは、冬季閉鎖となる国道338号を脇野沢へと急ぐ。路面は立派な2車線が続くものの、クルマの通った形跡と言うか、人間の足跡のようなものがほとんどない。生活道路ではない、観光客向け(&林業のため)に開通した区間だけに、観光シーズンの一時以外、交通量は激少なのでしょう。数十キロに渡って人の暮らしが存在しない山間部にやたら立派な道路だけが伸びているのは…何とも違和感のある光景でした。結局、脇野沢までの間、見かけたクルマ(人間)は皆無。。。“この先、電話あり”の標識に少しホッとしたりするも、そこは見晴らしの良いところに作られた展望台。あるのはベンチと、電話ボックスが建っていたらしいコンクリート台座のみ…。携帯はもちろん圏外で、こんなところでエンジントラブルでもあったら…と、ゾッとする。


*(右)脇野沢村の入口には「ようこそ」の表示と閉鎖用ゲートが…

 どんどん山を下り、ようやく脇野沢村の源藤城集落まで来たときには、正直、ホッ。ようやく、人の暮らす空間まで来たのか…と。ちなみにここ源藤城までは、脇野沢本村から脇野沢交通のバスが1日2往復、走っています。以前は田名部−脇野沢間のJRバスが延長運転していたものが、(延長部分を)廃止。村の補助で地元会社による代替輸送がされているものの、その存続も危ういよう。まぁ、この山間の集落までJRバスが来ていたこと自体、すごいことなんですが。
 源藤城からほどなく、道の駅わきのさわに到着したのは17時ちょい過ぎ。このあたりは猿の生息(世界)最北限地で、世界最北限の猿・ニホンザルが飼育されている野猿公苑、イノシシの里などが隣接しているはず。が、道の駅の営業時間は17時まで。建物は無人となっていてどうしようもない(さらに食堂は15時で閉店だと…)。道の駅って、どこも閉まるのが早いですよねぇ。。。
 なので、国道をほんの100メートルほど脇野沢本村寄りに走ったところにある脇野沢温泉・脇野沢村保養センターへ。本日4湯目の立ち寄り入浴(^^;; って、この前の千金温泉入浴が同じ日の昼過ぎだとは思えないほど、濃い道程だった。。。温泉は営業が20時までと閉館が早く、この時間帯は仕事終わりで来た人たちの入浴ラッシュ。4〜5人も浸かればいっぱいな浴槽(タイル貼り)がちょこんとある、小さな浴室は満員。顔見知りの人たちが何やらしゃべっている(理解不能)横で、ふぅーっと湯に浸かる。塩味でちょっとぬるっとした感触もある無色透明な湯は、なかなかいい感じ(^o^)

 さて。。。そろそろ今夜の宿を考えなければ(苦笑)。この日と翌日は(長めの)GW最後の週末とあって、出発前に調べたむつ市内のホテルはどこも満室。行程が定かではなかったので、むつ市内まで行けば何とかなるはず…と思って動いてきたのだけれど。もう少し早い時間なら脇野沢か川内で宿を探しても良かったけれど、明日が六ヶ所村なことを考えると、なるべく東へ行っておきたいところ。
 脇野沢本村まで来た頃には夜となり、あとは国道338号をむつ方面へ突っ走る。19時過ぎにしては交通量もそこそこあり、人里に降りてきたんだなぁ…とミョーな実感が(苦笑)。途中、むつ市に入ってすぐの城ヶ沢で城ヶ沢(温泉)グランドパークに立ち寄ってみるも、宿泊はやっていないとのことで退散。温泉ガイドブックなどには宿泊可になってるんですけど…。ロビーには入浴受付の他にフロントらしきものがあるものの、そちらはもう長いこと使われていない感じ?
 で、いよいよ困ったなと思い、ガイドブックや下北半島のパンフレット類など、あちこちで広告を見かけたパーク下北へ電話してみると、空室あり。やれやれ。となれば、あとは食事。脇野沢からずっと食事のできる店が見つからず、空腹のままむつ市内へ…JR大湊駅そばでガイドブックに載っている食事処・ねぷた亭を見つけたので、入ることに。時刻は既に21時近く、他に店を探す気力もなかったですからね。夜は飲み屋風になる店内は、食事のみでもOK。常連らしい客が1人、店主とカウンターで酒を飲みながらナイター中継(巨人×広島)に見入っていました。どうやら巨人ファンらしい。日本全国、どこへ行っても野球=巨人なんですねぇ。


*下北名物・味噌貝焼き定食、刺身などもついて\1,000。お味はなかなか。お店のおばちゃんも親切ですた。


 パーク下北

《ビジネス民宿》という肩書きのパーク下北は、むつ市内中心部、田名部のバスターミナルから大畑方面へクルマで5分ほど。着いてみると、建物の前にはトラックやワンボックスが止まっていて、駐車場は満車。500メートルほど離れたところにも駐車場(ただの空き地)があり、そこにクルマを止めて戻る。何となく、いや〜な予感。1泊\3,500だしなぁ。。。
 宿は老夫婦が切り盛りしているようで(運営管理は別会社)、おじいさんはとっても親切。ひょっとして超家庭的ないい宿かも? 玄関はスニーカーでいっぱい。何でも高校の大会があって運動部の遠征が来ているとか。確かに、洗面所や廊下はトレーナーやパジャマ姿の女のコだらけ。じょ、女子部なのか(^^;; それ以外は長期滞在の工事関係者などが多いようで、1人だけビジネスマン風な客を見かけたぐらい。観光客は皆無なよう。

 部屋(アウトバストイレ)は4畳半ほどの広さにベッドが一つ。部屋の設備に大きな不満はないものの、遮音性は限りなくゼロ(苦笑)。とっとと寝るしかないなと思ったものの、ちっとも寝付けず、おまけに背中が痛くなってくる。これは大阪のビジネスホテル中央新館でも感じたのだけれど、ベッドにはシーツがかかっただけなので(敷き布団がない)、寝心地が固いんですねぇ。それで背中が痛くなるらしい。おかげでほとんど寝られないままの朝5時頃…あちこちからバタン!バタン!というドアの開閉音と、きゃーきゃー騒ぐ声が響き渡る。部員たちは5時起床なのね…(T_T) 「食事ですよ〜」てな声にまたドタドタドタドタ…。それがようやく収まったと思ったら、隣室から“ぐぉー”と強烈なイビキ(T_T) さらに1時間ほどすると工事関係者などが動き出したようで、また騒音が…。それでも結局、7時頃には意識を失ったようで、掃除らしいガタガタ音で目覚めたのが9時過ぎ。ウロ〜っとしながら準備をして部屋を出ていくと、館内はもぬけの殻状態で、チェックアウトしていない客は自分だけらしい。。。うぅぅ。
 居心地が良ければ連泊も…と思っていたのだけれど、きっぱりと諦めました(T_T)