東京→高松
3連休初日と湾岸戦争勃発による保安体制強化(最上級らしい)のため、羽田のチェックイン機、手荷物検査が大混雑。おかげで離陸が30分遅れる。うーん、こんなときに出かけるもんじゃない。
こちらは早朝のJALだったので問題なかったものの、ANAのほうは午前中からコンピュータトラブルが発生し、ほとんどの便が運休になったそう。おかげで、羽田はさらなるパニックになったらしい。
伊丹空港からJR伊丹駅へバス移動するのは、初めてのこと。やってきた伊丹市交通局のバスはフツーの路線バスで、乗客は数名。快速便もあるようだけれど、たまたまこの時間は普通便のため途中停留所でも乗降があり、伊丹駅には15分ほどで到着。けっこう便利なルートではあるものの、ちょっと本数が少ないかなぁ
伊丹からは青春18きっぷを利用し、尼崎−姫路−岡山と乗り継ぐ。
飛行機の岡山便、高松便がともに満席だったため、苦肉の策での乗り継ぎなのですが(苦笑)。
青春18きっぷ移動での西の難所とされる山陽本線:姫路−岡山間は、相変わらずの混雑ぶり(T_T)
姫路で新快速を降り、地下道を渡って隣のホームへ行ってみると…。10:04発1413M(山陽本線経由)と10:07発1913M赤穂線経由が並んで発車を待っていて、1413Mのほうはやっぱりの4両編成。ドア付近まで、朝の通勤電車並みの超満員。。。
岡山到着は25分違いなので、後続の1913Mに乗車することに。1413Mに比べればマシなものの空席はなく、通路まで人がうじゃうじゃ。しかもその大半が岡山まで乗り通すとは…。関西から岡山方面への移動には便利な時間帯なので、赤穂線1913Mが本線1413Mの補完列車的な役割を果たしているとも?
ただ、可哀想なのは赤穂線各駅からの乗客で、満員の車内を見ては、皆、目を丸くしている。山陽本線筋の編成両数を増やせば解決することですが、青春18きっぷ客のためにそれはね。無理でしょ。それよりも、乗客を新幹線に誘導することのほうが優先事項でしょうから。
岡山からの瀬戸大橋線は、初乗車。
岡山まで満員だった乗客はどこへ消えたのか、発車を待つ12:11発・快速《マリンライナー27号》はガラガラ。
これなら余裕だと、名物駅弁の祭ずしを買って食べ始めると…。発車が近づくにつれ、どんどん乗客が増えて満員に。げげ。車内で弁当なんか食ってる奴は自分だけ。他の乗客の支線が痛い(T_T)
車内の大混雑は茶屋町まで。瀬戸大橋では、海上を走る光景に素直に感動(^^;;
と同時に、あまりの船の多さに、瀬戸内海の海上ラッシュは噂通りなんだなぁと納得。
さて、高松に着きはしたものの、とりたててビジョンがあるわけでもないので(苦笑)、とりあえず琴電の高松築港まで歩いてみる。約5分ほど。
【↑ JR高松駅】
駅前のバス停には、レインボー循環バスと市内循環ショッピングバスの表示が。市内循環経路は東回り、西回りともほぼ同じなのに、レインボーは200円、ショッピングは100円と差があるのはなぜ? ともに30分間隔の運行で、空白の時間帯を補完しあっているらしいけれど…。乗客と運転手の会話によると、いったんは廃止が検討されていたものの、少なくとも11月までは運行継続が決まったそうな。
高松築港駅から城跡の玉藻公園を回り込んだところには、宇野行きフェリーの桟橋が2社並んでいるのも見える。競合していて採算が合うのでしょうか(片道380円・往復700円)。。。
【↑ (左)高松築港駅 (右)瓦町駅・志度線ホーム】
高松築港駅からは瓦町乗り換えで琴電志度線に乗り、屋島へ行ってみることに。
駅ビル+立体化された瓦町駅は、地方小私鉄のイメージからは想像できないほど整然としたターミナル駅。その垢抜けた雰囲気には、正直、驚かされました。ただし構内の構造は複雑で、瓦町が通過駅となる琴平線・長尾線は本線として同一ホームを使用するいっぽう、瓦町が起点の志度線は別路線扱いで、行き止まりホームが異なる場所に設けられている。
車両は緑&白の新色にカラーリングされた旧・名古屋市営地下鉄のもので、ちょっと残念。車両の世代交代が急速に進んでいるようで、各線とも見かけた車両のほとんどがこれでした。志度線は旧型車壊滅?
ただ、帰路は瓦町(始発)からの高松築港行きが旧型車編成(1000型120+750型760)で、ラッキー。釣鐘式モーターの唸り音、ガタガタ感が郷愁を誘いますね。
【↑ (左)瓦町駅にて。1000型120(琴平側) (右)同編成を高松築港駅にて。750型760(高松築港側)】
*ことでん旧型車両 (公式サイトより)
*1000形(120)、3000形(300・315・325・335)、5000形(500)
高松琴平電気鉄道開業時から走り続けている車両で、1000形と3000形は大正15年に、その増備型である5000形は昭和3年にデビューしました。いずれも半室運転台で3扉車です。1000形は汽車曾車で5両が製造され、当時は戸袋窓が楕円形になっていました。また、車内はニス塗りから水色のペンキ塗装に変更されています。
3000形は日本車輌で5両が製造され、外観は1000形とほぼ同様であるが、相違点は窓枠が1000形にはRがついているのに対して3000形は角張っているほか、ウインドヘッダーが取り付けられています。また、パンダグラフは当初から琴電琴平寄りに設けられています。
5000形は加藤車両で3両が製造され、当時は付属車で片運転台でした。1000形・3000形との相違点はテールライトが正面窓上部に移動され、前面貫通扉は横引きになったほか、戸袋窓は当初から原型のままです。その後、昭和28年からは電動車に改善され、同時に両運転台化されました。
昭和42年から1000形・3000形の更新改造工事が始まり、戸袋窓・貫通扉・乗降扉の更新がされたほか、1000形はパンダグラフが高松築港寄りから琴平寄りに変更されました。一方、3000形では315号が運転台の拡張工事を行いました。さらに335・345号は昭和58年に860号や890形などの単独Tc車と組むために主電動機のパワーアップをおこないました。
琴平線の大型車導入に伴い長尾線・志度線への転出は平成2年に完成しました。この間に、昭和51年に志度線にて1000形同士(110号・140号)が正面衝突事故で廃車となりました。
また、5000形520号は琴平線1070形投入に伴い昭和59年に平成10年からの長尾線・志度線600形投入に伴い、1000形100号・130号、3000形345号及び5000形510号がそれぞれ廃車となりました。
*750形(760)
備南電気鉄道(のちの玉野市営電気鉄道)のモハ100形を種車に、昭和40年にことでん入りした車両です。
モハ100形は昭和26年に製造されたが、昭和39年に玉野市営電鉄は赤字対策により同線は軌道車化されたために余剰となりました。その後、昭和47年に同線は廃止となった。
ことでん入り当初は琴平線で運転され昭和43年に貫通扉を取り付けたのち、昭和49年から51年にかけて長尾線・志度線に転属しました。
750・760、770の3両が導入されたが、昭和53年に770号が長尾線内でダンプカーとの衝突により大破し、現場解体で廃車となり、750号も平成11年600形導入に伴い廃車となり、現在760号のみが営業運転しています。
屋島駅から屋島登山鉄道(屋島ケーブル):屋島登山口駅までは、だらだらと坂道を登ること徒歩5分。やけに広い道幅と、両脇に連なる商店の活気のなさ、ケーブルカー駅周辺の半ば休業状態の旅館、長らく営業していないと思われる食堂…。かつての賑わいを想像させる光景が、今となってはかえって哀愁を誘いますね。屋島登山口駅舎も時代もので、それはそれでいい味を出してはいるのですが…。
【↑ 琴電屋島駅】
【↑(左)駅前からケーブルカー駅・屋島方面を望む (右)屋島登山口駅】
頂上まで道路が整備されていることもあり、今どき電車&ケーブルカーで行く酔狂な客は少ないのでしょう。15分間隔で運転されているケーブルカーに乗り込むと、乗客は数組。いちおう3連休初日なので、これでも客は多いほうなのかも…。
車両はかなり年期が入っている半鋼製車で、《義経号》《辨慶号》という泣かせるネーミングの2両。屋島山上駅までは858メートル、約5分で到着。運賃\700(片道)/\1,300(往復)。
【↑ (左)辨慶号 (右)義経号】
山上駅からは遊歩道が整備され、案内板によると一週約4kmほど。貸し自転車の看板を見かけたものの、アップダウンがあるので自転車だとかえって辛いのでは? とりあえず歩くことにして、源平合戦跡(らしいところ)まで行って引き返す。
この間、展望台らしき場所があってもまともな案内板はなく、数件の宿泊施設もすべて休業中。既に朽ち果てかけているものも多く、何とも寂しい光景が広がっている。風光明媚な景色は時を経ても変わらないけれど、どこもかしこも“20年前の観光地”という哀愁感を漂わせている姿には…。屋島には子供の頃に旅行で来ましたが、あの頃はもっと活気に満ちていた記憶が。。。
【↑ (左)屋島山上駅 (右)壇ノ浦を望む】
高松に戻った後は、高松築港駅から香川県民ホールまで歩き、RNCボーカル&ダンススクール発表会を鑑賞。
その後は三越周辺まで歩き、繁華街の中心ライオン通り(琴電の駅では片原町駅が最寄り)に入ってみる。
東西南北に伸びる商店街は真新しいモール街で、路面も整備され美しく整然とした印象。風俗店がほとんどなく客引きも数人程度と、地方都市にしては治安も良さそう? CDショップを覗いてみるも、変わったものは四国のインディーズバンドのCDが数枚ぐらい。夜7時で商店街の半分が閉店しているのには驚いたけれど、飲食店は開いている様子。
で、やはり。高松へ来たからには讃岐うどんを食べなければ!
ライオン通りに入って最初の店、ガイドブックでも有名な川福本店で、釜揚げ天ぷらうどん(1100円)を頼んでみる。上品な味で美味しいけれど、総じて「こんなもんかいな」という印象。店内は見るからに観光客風な家族連れ、小団体で混雑していて、落ち着かないし。。。
そのまま中新町まで15分ほど歩き、ホテルへ。
この間、ずっと繁華街の中心部(モール街=ライオン通り)を歩いていくのだけれど、その繁華街が駅からもバス停からも離れている。そのため、繁華街からどこへ行こうにも、15分程度は歩かなければならないんですね。
高松市内の移動手段を考えてみると、高松駅と瓦町を中心に市街地が南北に伸びているため、バス路線と鉄道(琴電)も南北移動が中心に。街が南北に延びれば伸びるほど東西方向の移動手段が必要となるはずなのに、それがない。街中で見かける原チャが(地方都市にしては)異様に多く感じられたのも、そうした不便さ故なのかも。
そんなライオン通りを抜けた先で、路地の片隅に建つ讃岐屋という小さなうどん店が目にとまる。店の外まで客が並んでいて、気になるぞ。。でも、さすがにうどん+うどんの夕食はちょっと…。かと言って先ほどの釜揚げ天ぷらうどんだけは腹持ちが寂しく、ホテル近くのなにわ・たこ焼きで18個入り350円のたこ焼き(甘ソース味。“評判!”と書かれたしょうゆ味もあった)を買ってみる。ホテルに持ち帰って食べてみると、これがうまい♪ 客足も絶えない様子で、ひょっとして高松の隠れた名店なのかも(謎)。