津江→小国
朝の山間部を走るのは心地よい。でも雨が…(T_T) 天気予報では晴れのはずなのに。
宿の方によると「津江は雨が多いから」だそうで、確かに、津江エリアを出る頃には雨も止みました。
山深い村だけに、天候不順は当たり前なのでしょう。
ちなみに、中津江村、上津江村の人たちは、周辺一帯を総じて“津江”という名称で呼びます。行政上は上津江村、中津江村に分かれていても、実際の文化圏は“津江”で一括されているんですね。
*上津江村HPより引用
●「津江」という名の由来
かつて神武天皇の代、南国の嶺より訪れた老翁が松の杖で七回四方を指し、その地を現したという説話より「津江」の名をいただく地、上津江。この地は、ブナやモミなどの豊かな木々に覆われた山々と、筑後川の源をなす清流の地として、古くからの自然が息づく美しい里です。
さて、この日の第一目標は、現金調達(苦笑)。前日に現金を下ろせなかったため、宿泊費を支払った残額は数百円(^^;; 昨日シャッターが閉まっていた大分銀行中津江出張所も、今日は開いている!(そりゃ、9時過ぎですから) そこで気づいたのですが、なんと、ATMは店舗内に設置されていた!! てことは、ATMも閉店時間の15時までしか使えないと。納得したけれど、意味のない気がしないでもない。。。。
これで気分も落ち着き、同じく栃原地区にある津江温泉にて、入浴♪ このエリア唯一の温泉は全国でも数少ない硫酸塩泉で、無色透明なお湯に浸かった瞬間から、独特な“ぬるっ”と感を体感することができます。同時に「いいお湯だなぁ」という実感も(^o^) 施設自体は老人福祉センターを兼用した古いもので、露天風呂など洒落たモノはないけれど、かなーりお気に入りの湯になりましたね。湯上がりには昔懐かしい雰囲気が漂う休憩室で、畳にゴロン。幸せ。
名残惜しいけれど、そろそろ“津江”を後にしなければ。
でも、その前に最後の寄り道。上津江村の外れ、熊本県阿蘇町、旭志村と接するエリアに、九州唯一の国際公認サーキット・オートポリスがあるもので。って、津江温泉でエリアマップを見るまで気づかなかったんですけれどね。せっかくここまで来たのなら、見てみたいじゃないですか。
上津江村を縦断する、国道387号線を南下。村内最後の集落までは整備されていた路面も、その後はローカル国道(山道)へと変貌する。フルスロットルでも40キロ出ない急勾配&連続ヘアピンを登り切ると、そこには阿蘇の展望も開ける、広大な高原地帯が待ち受けていました。
そして、そのど真ん中にお目当てのオートポリスが。素晴らしいロケーション! 中には入れないのでゲート周辺を見ただけですが、とにかく広い! 鈴鹿サーキットや富士スピードウェイが、単なる遊園地に思えてしまうほど。機会があれば、ここでビッグレースを観戦したいですね〜。
【↑ (右)左写真の正面ゲートを背にすると、広大な駐車場と雄大な景色が広がっている】
さぁいよいよ、“津江”とのお別れ。
と…。あれ? エンジンがかからないぞ…。今朝から何度か“パンッ”という不完全燃焼のような音がしていたけれど…。よりによってこんな人里離れた、携帯(ドコモ)も圏外なところで…。何度か試すうちに無事にかかり、ホッとしたけれど…(不安)。
来た道を戻り、中津江村・栃原から国道387号線を快走して熊本県・小国町の中心、宮原を目指す。エンジン不調が気になるけれど、どうしようもない。小国まで行けばバイク屋の一件ぐらいあるだろうし、何かあればそこで大休止…には、なりたくないな。
途中、郵便局がありそうな勘がして黒淵という集落に寄り道してみると、いい感じの簡易局がありました。で、その横の路地には“鍋ヶ滝”という案内表示が。かなり気になったものの、エンジン不調と時間の関係もあって先を急ぐことに。
小国町宮原まで来ると、“津江”ではほとんど見かけなかった県外ナンバーのクルマが目立つように。立ち寄った道の駅・小国ゆうステーションも観光客でいっぱいで、なるほど、黒川温泉など有名温泉地を控えているだけのことはありますね。でも、著名な観光地にありがちなあのザワザワした雰囲気は、どうも好きになれない。。
と、ここでもらったパンフレットに、先ほどの“鍋ヶ滝”の写真&解説が。
高さ9メートル、幅20メートルの鍋ヶ滝。滝の裏を通り抜け、対岸へ行けます。
ぐぁ。寄れば良かった…(T_T)
ちなみに、この道の駅・小国ゆうステーションは、かつてのJR宮原線の終点・肥後小国駅の跡地を整備したもの。片隅にはその名残の駅名票や転轍機、短い鉄路が保存され、館内では宮原線の資料・写真なども閲覧できる。
ローカル線らしい味わいで旅鉄派に人気のあった宮原線ですが、その遺構が現在も数多く残ることから、昨今の廃線跡ブームでも脚光を浴びているそう。小国(宮原)からほど近い山川温泉の周辺にも、アーチ橋が2箇所、かつてのままの姿で残っていました。当時の駅間で言うなら、北里−麻生釣間ですね。見かけはコンクリート橋でも、戦後の物資不足な時代に建造されたため、実体は鉄筋コンクリートならぬ“竹筋”コンクリートだったとか…。
道の駅・小国ゆうステーションでもらった小国ツーリズム新聞『Syuna』によると、大半が未整備のままだった旧・宮原線の線路跡地を、有効活用する動きがあるようですね。《旧国鉄宮原線の跡地活用を考えるワークショップ》の手で、まずは肥後小国−北里間の約4キロを遊歩道化する計画なのだとか。
【↑ 大判なので1面の一部だけスキャン。(発行:小国ツーリズム協会)】