旅にっき 【2003.09.20-27/福山〜久留米〜宮崎】

 2003.09.26

この日の行程  竹田市内を観光の後、緒方町、清川町を巡って稲積水中鍾乳洞へ。ととろバス停にも立ち寄り、日向港から川崎行フェリーに乗船する。

 竹田  岡城趾などを市内観光

 いよいよ九州最終日。

 まずは竹田市内観光から。竹田は、戦国時代、初代岡藩主・中川秀成によって築城された岡城を中心に広がる城下町。街のあちこちに城下町らしい小道や石畳、石段、土塀、武家屋敷や白壁が残る、いわゆる古都の趣のある街です。
 と言っても規模は小さいので、あまり大きな期待をしていくとしょぼーん、ですけれど(^^;; 十六羅漢、瀧廉太郎記念館、廉太郎トンネル、殿町武家屋敷、岡城趾など、定番の観光スポットをまわってみる。

 
【↑ (左)豊肥本線・豊後竹田駅 (右)十六羅漢】

  

 『荒城の月』の作者として知られる瀧廉太郎が、少年期を過ごした旧宅を復元している瀧廉太郎記念館。ありがち“ハコモノを整備してみました”的な記念館を想像していたのですが、なかなかよくできていましたね。資料等を陳列するだけでなく、建物や庭などをそのまま復元し、その空気感や、当時の環境が創り出す音まで再現しようとする姿勢が潔い。それだけ地味な施設にはなるものの、ここで時を過ごすことで湧くであろう、創作意欲まで体感できるはずなので。
 ここの管理人(?)のおばちゃんがまた話好きで、延々とビデオを見せられ、話を聞かされ…東京からの観光客など珍しいらしく、長々とつきあわされました(^^;; 面白かったけれど、滝廉太郎に特別な興味があるわけでもないので…。
 滝廉太郎って竹田の出身だとばかり思っていたのですが、違うんですね。生まれも育ちも東京ながら、官吏で大分出身の父親が竹田に赴任したため、ここで少年期を過ごすことになったそう。旧邸の素晴らしい環境も、当時の官邸だからなのでしょうね。田舎の小城下町から音楽の道を目指したことに何となく違和感を感じていたのですが、その経緯を知れば納得。東京音楽学校(現・東京芸大)に進んだのは、本人にとっては既定の進路だったのかもしれません。

 
 
【↑ 土蔵や馬小屋(洞窟)も当時のまま。土蔵の二階が廉太郎の自室だったそう】

 でも、“瀧廉太郎の故郷・竹田”といったイメージ作りには、ちょっとやりすぎな感も否めない。下の写真の、人が通ると『荒城の月』が流れる“廉太郎トンネル”など、ちょっと…(^^;;
 次に訪れた殿町武家屋敷も、思っていたよりも町並みが小規模で、営業車が路駐していたり、市内の抜け道になっていて交通量が多かったりと、ちょっと拍子抜け。だからと言って、生活感のある生きている町並みという雰囲気でもなく…。妙にガランとしていて、今ひとつ風情を感じなかったり。

 
【↑ (左)廉太郎トンネル (右)殿町武家屋敷】

 竹田のいちばんの見どころと言えば、やはり岡城趾。広大な駐車場の周囲に観光みやげもの店が連なり、最低の音質&最大の音量で『荒城の月』が流されているスタイルは、まるで30年前の観光地に迷い込んだかのよう。ちょっと興醒めでしたが、城の構造や立地がよくわかる山城趾は、ただ歩くだけでも興味深かったですね。
 残存する石垣も見事なもので、丸いカマボコ型の石累は全国的にも珍しいとか。深い谷、険しい断崖の上に石垣がそそり立つ姿には美しさすら感じられ、天然の地形を生かした名城だったことがうかがえる。この堅牢な山城を攻略するのは容易ではなかったでしょうね。天正14年、島津藩37,000名の大軍をわずか1,000人ほどで撃退したという逸話にも、納得。

 
【↑ (左)登城口 (右)本丸跡】

 

 市内を一通りまわった後は、名水スポットを目指して郊外へ。
 竹田周辺にはいくつもの湧水地があり、竹田湧水群としても知られている。もともと水にこだわりがあるほうじゃないですが、実際に飲んでみると…なるほど確かに軟らかく、飲みやすくていい水でした。

 
【↑ (左)泉水湧水 右)河宇田湧水】


 
【↑ 途中で見かけた豊肥本線・玉来駅。付近の扇森稲荷神社をモチーフにした駅舎&駅名標】


 竹田→清川  原尻の滝、出會橋

 さて。のんびりしすぎて、竹田を出る予定時刻はとうに過ぎているぞ。。。瀧廉太郎記念館に1時間半も費やしたのは想定外でしたし(苦笑)。その記念館のおばちゃんから強力にお勧めされた(笑)、原尻の滝が目的地。国道502号線を大分方面へと走ろう。
 原尻の滝がある緒方町に入ると、路地沿いに水路が走り、その先に数台の水車が見える光景に出くわす。何の予備知識もなく路地に入ってみると観光案内板があり、ここが【緒方井路(水車通り)】と呼ばれる名所であることを知る。
 路地に沿って立派な土塀のある家が建ち並び、各家の前の井路(水路)では水車が当たり前に回っている。時が止まったかのような、タイムスリップ感を味わえる一角でしたね。井路は江戸時代に造られたそうで、路地の反対側に広がる田園風景からも、各戸が豪農だったことを伺わせます。現存する水車が少ないのは残念ですが、ガイドブックにはほとんど紹介されていないスポットだけに、ちょっと得した気分(^^;; こーゆー小回りが利く旅も、バイクならではのもでしょうね。

 

 国道に戻ると、ほんの数100メートルほどで道の駅が併設された原尻の滝に到着。
 なるほど、“東洋のナイアガラ”と呼ばれるだけあって見事なものです。田園地帯を流れる川に突然、巨大な滝が現れるというシチュエーションも不思議で、滝の上部、水が流れ落ちるすぐそばまで行くことができる。ほんの数十センチ先は滝壺へ真っ逆さまというところまで近づいてみると…こ、怖い(^^;; 幅120メートル、高さ20メートルの滝ですからね。落ちたら、溺れるよなぁ。
 滝壺の真下まで近づくボートツアーもあるらしく、時間があれば体験してみたかったかも。

 
【↑ (右)滝のすぐ上流では、なぜか川の中に鳥居が…】

 道の駅に隣接する【酪農家の手作りジェラート屋】というお店は、お勧め。おいしかったです。

 原尻の滝を作り出す緒方川を遡ると、上流1キロほどのところで原尻橋という五連の石橋を見ることもできる。九州の中央部各地にはこうした古い石橋が数多く残っていて、それを巡るのも興味深いところ。今回の旅も、当初は熊本県内南西部に多く残る、水路の石橋を見て回ろうかと思っていたんですよね。
 原尻橋の上流にも、長瀬橋、緒方橋、鳴滝橋といった石橋が現存しているそう。

 

 
【↑ (左)緒方町内の国道502号線沿いで見かけた沈下橋】

 再び国道502号線を走り、清川村に入る。もちろん、JR豊肥本線・豊後清川駅構内に設置された豊後清川簡易郵便局も訪問。
 ローカル駅の駅舎内郵便局というギミックには、やはり弱い(^^;;

 

 と言っても、清川村へ来た目的はそれだけじゃない。村内奥部の山間部にかかる巨大アーチ石橋、出會橋と轟橋がお目当てなのです。出會橋は大正14年にかけられた橋で、全長39メートル、幅3.9メートル。そのすぐ横にかかる轟橋は、昭和7年に架設された二連アーチ橋。支柱と支柱との距離が日本一長いそうで、この二つの橋が渓谷に並んでかかる姿は、写真で見ても美しいもの。
 清川村の中心部から田舎道の県道410号に入ると、いつしか集落は途切れ、山越えに。嫌がおうにも期待感が膨らんでいく。と、突然、川沿いに田園が広がる小盆地に出る。エ? こんなところに例の2橋があるの? 正直、やや拍子抜け(^^;; 山奥の急峻な地形にかかる橋をかかる橋を想像していたもので。。。
 その疑問は、橋のたもとまで行ってみて解決しました。のどかな田園風景が広がる小盆地は、その先が断崖絶壁になっているんですね。田んぼの端がいきなり崖で、一歩先は谷底なのです。川の浸食による特殊地形なのでしょうが、その光景は何とも言えない違和感に満ちたもの。橋がなければ対岸との行き来は不可能で、なぜこんな山奥に、戦前から立派な橋が架けられていたのか…そんな素朴な疑問を見事に解決してくれました。

  
【↑ (左)出會橋(中)出會橋の上(右)出會橋から見た轟橋】

 地元の観光案内には必ず掲載されているこの出會橋ですが、アクセスに関しては多々問題あり。清川からの県道410号には橋への案内表示がなく、地図にも載っていない橋を目指すのはかなりの難易度。帰宅後に地図を見返しても、どうやってたどり着けたのかがよくわからない。この道でいいのか? と心細くなってきたところで、ようやく到達したのが下写真の地点なのです。
 また、何とか橋のある集落までたどり着いても、集落内に橋の案内、観光的な施設などは一切なし。およそ“観光”の臭いがしない場所なのです。すぐ近くに見えている出會橋への道もわからず、集落内の路地をウロウロ…。一見すると民家に通じる私道のような先が、出會橋なのでした。集落の生活、日常に溶け込んだ橋の姿には、かえって荘厳なものを感じましたね。

  
【↑ 出會橋へ向かう途中で】


 清川→ととろ  稲積水中鍾乳洞を見学して、ととろバス停へ

 この先、県道410号〜主要地方道7号をさらに進めば、尾平越トンネルで大分・宮崎県境を越え、高千穂に至れるらしい。かなり魅惑に満ちたルートだけれど(笑)、今回は時間の関係でパス。夜には日向港からフェリーに乗らなければならないし、まだ行きたい場所が数カ所あるので。
 その次なる目的地、三重町の稲積水中鍾乳洞までは、ここから2つのルートが考えられる。いったん清川村中心部まで戻り、主要地方道45号を南下するか、轟橋を渡った先の県道688号で山越えをし、ショートカットする形で三重町・大白谷から主要地方道45号に合流するかの、二通りのアクセスがある。ここまで来て戻るのもイヤだし、気分的には轟橋を渡って…かな。なわけで、迷わず山越えへ(^^;;

 が、県道688号に入ってすぐ、いきなり道を間違えてしまう。か細い山道の県道から、舗装も真新しい立派な2車線道路が分岐しているんだもの。10キロほどは走ったでしょうか、無人の深山幽谷を大胆かつ豪快に貫き、走り抜けていく道路に生活感は皆無。行き交うクルマはおろか、クルマが通った痕跡すら見受けられない状況に、さすがにこれは違うだろうと。奇跡的に、おそらく“隣家”は10km圏内に存在しないのでは? と思われる民家を発見したので、おそるおそる道を尋ねてみると…やはり。気を取り直して戻ろう。
 しかし、あの民家の住人の方は、いったい何をどうやって生計を立てているのだろう…。自給自足? 猟師?
 戻る途中で道標に気づいたのですが、この、およそ浮きまくっている立派な道路は、《大規模林道 宇目・小国線》(部分開通)の一部だったんですね。九州中央部の山間部にはこうした大規模林道が多く作られているようですが、いったい何のための、誰のための道路なのか? 広域農道と呼ばれる立派な道路が全国で批判を浴びているけれど、あちらのほうがまだ、利用価値があるのでは…。

*全国の大規模林道については、林道評論センターが詳しいです。

 やれやれ…と戻ってみた県道688号のほうは、先ほどの大規模林道とは似ても似つかない悪路。仮にも“県道”なので、ここまで“険道”だとは…。舗装がしてあるだけ、まだ“県道”の権威は保っている? その舗装もあちこちに穴が開き、小規模な崩落箇所は数知れず、崖と川にはさまれた道幅は小型車1台がギリギリ…。おまけに急勾配、連続するS字とヘアピン…。こんなところをスクーターで走っている姿に、自分で違和感を感じましたわ(苦笑)。それでも道中、数台のクルマに出会ったのは驚きで。こんな険道でも、地元では生活道路として成立しているんですねぇ。

 

 主要地方道45号にたどり着いたときには正直、ホッとしました。
 目指す稲積水中鍾乳洞までは、ほど近いはず。この三重町周辺にはいくつも鍾乳洞があるのですが、いずれも著名な観光スポット、主要駅から離れた、アクセスの悪い立地ばかり。こうした機会でなければ立ち寄れないと、ここの訪問はマストなのでした。

 そんな期待感いっぱいで訪れた稲積水中鍾乳洞。でも、想像していた雰囲気とは何か違う…。入口の看板は赤錆び、数百台は収容できるであろう広大な駐車場にはクルマが1台だけ。哀愁感に満ちた、もの悲しい光景が広がっていて。。。全国的な鍾乳洞ブームに湧いた昭和40〜50年当時は、駐車場が観光バスで埋まったんでしょうね。

  
 

 解説によると、この鍾乳洞は20万年前の氷河期から発達し、85,000年前の阿蘇の大爆発で入口が塞がれたもの。昭和51年の発見当時は、地下水が充満した地底洞窟、まさに“水中鍾乳洞”だったとか。ダイバーによる潜水作業で一部が排水され、見学できるようになった今も、足下には轟々と地下水が流れ、いくつもの地底湖が広がっているそう。でも、暗闇では地下水の流れもよく見えない。足下からは、確かに川のような轟音が聞こえてくるのだけれど…。
 水路上に鉄製の通路を渡した見学コースは、川の上を歩いているような奇妙な感覚。両側は鍾乳洞の壁なので、歩ける通路幅は1メートルほど。その圧迫感と、足元に広がる妙な開放感とが、何とも言えない雰囲気を醸し出している。あの感覚は、他の鍾乳洞では味わえないものでしたね。
 残念だったのは、水深40メートル以上の地底湖・示現の淵などが、鍾乳石の割れ目からごく一部しか見えないこと。コバルトブルーの水面が幻想的なものの、「巨大地底湖と地下水の濁流を味わえる!」と期待していただけに、スケールの大きさを体感することができず物足りない。。
 異質な雰囲気を味わえる鍾乳洞ではあるものの、その本当の凄さを体感するには、それこそ泳ぐか、潜るしか手がないのでしょう。ボート探検なら可能でも、安全上、観光客向けの実現は不可能か…。

 何となく消化不良のまま、出口へ。入場者には地下水のペットボトルサービスがあるので、有り難くいただきました。でも、竹田の名水のほうがおいしいかな?
 入場したのが16時15分頃だったので、出てきた頃にはもう17時の閉館時間。自分が出てくるのを待っていたように、係員の人たちが帰り準備を始めている。駐車場にあったクルマは、彼らのものらしい。洞窟内では誰にも会わなかったけれど、客はゼロですか…。閉鎖されないことを願います。



 そろそろ気になる、日向市からのフェリー出航時間:22時。先を急ごう。
 でも、その前に立ち寄らなければならないところが1箇所。この先、宮崎へと県境越えする手前の宇目町には、あの“ととろ”バス停があるもので♪
 主要地方道45号を戻り、先ほどの県道688号との分岐も通り過ぎ、そのまま進めば“ととろ”を経由して国道326号に出られるのだけれど、気になるのがあの《大規模林道 宇目・小国線》。この先で再び、前途を横切っているんですね。今度は地元の人に尋ね、林道経由で国道に出られること&そのほうが早いことを確認済み。
 しかし…。先に迷い込んだ区間同様、10キロ以上に渡って1台のクルマも、一件の民家も見かけない。。。快適かつ豪快に走れる、楽しいツーリングルートではあるものの、これでいいのだろうか。コマ切れに部分開通しているため実態がわかりにくいけれど、例え宇目−小国間が全通しても、集落も何もない山間部ばかりを走り抜けるルートに、いったいどれだけの需要があるのだろう。

 宇目町に入り、国道326号線に合流すると、久しぶりに“自動車文化”を感じましたね(苦笑)。
 その国道上に「→ととろ」などの表示があるわけもなく、たぶんここかなぁ? と思って右折し、しばらく走ると分岐点が。ここにはちゃんと「→ととろ」の標示がありました。

 

 有名な“ととろ”バス停の所在地は、大分県南海部郡宇目町南田原轟。待合所の壁に貼られていたバス停名の由来説明によると、地名の“轟=とどろき”が訛って“ととろ”になったとのこと。
 このバス停にやってくるバスは佐伯と木浦を結ぶ大分バス木浦線で、運行は1日3本(平日。土休日は1本)のみ。佐伯行き最終便が通過したばかりらしく、ちょっと残念。本当はバスに乗って来るのがいいのだけれど、この便数では…。大分バスのHPにはトップにこの“ととろ”バス停の写真が掲載され、専用のページが用意されるほど注目されているようですが、だからと言って運転本数を増やすわけにもいかないのでしょうね。
 道沿いの小川の上に建てられた待合室(というか小屋)は、かなり老朽化しているため、中に入ると小屋自体が川に崩れ落ちそう(^^;; なので外から眺めるだけにしておきました。もっとも、誰が持ち込んだのか不明らしいトトロの看板が待合所の主と化しているため、入ろうにも狭くて入れない。。。中でバスを待つ人など、いないのでしょう。
 この“ととろ”バス停がここまで注目されるようになったきっかけは、ある少女が母親と一緒に描いたトトロの絵を小屋の中に貼ったこと…との噂もありますが、そのコは今どうしているんでしょうね。ちとできすぎた話でもあるし、本当?

 

 近くにはトトロの森という場所もあるそうで、樫の木の枝にトトロ人形がたくさん置かれているとか。でも、場所がわからず探索は断念。帰宅後に調べてみるとバス停よりもちょっと先にあるようで、気づかないわけだ。
 周辺はのどかな山村といった雰囲気で、わずかばかりの田んぼと民家が十軒ほど。各戸の窓から夕食の支度らしい明かりや煙が漏れる中、夕暮れ時の風情を味わいながらボーッとしていました。時間にすれば10分程度ですが、何の物音もしない静寂がずいぶん長い時間にも感じられて。いいところだなぁ。


【↑ 宇目町の観光パンフレット】


 ととろ→日向  木浦名水館に入湯後、バイク不調に

 バス停前の道路は日之影方面へ抜ける旧道(主要地方道6号線)で、少し戻った“→ととろ”の標示がある分岐点からは、立派なバイパス道路が伸びている。先ほどの大規模林道よりもさらに立派な道路で、トンネルで山中をぶち抜いては山奥へと進んでいく。
 実は分岐点に“名水の湯・木浦名水館”の看板があり、それに惹かれて奥へ進んだと。温泉情報は知らなかったけれど、まぁ行ってみようか。今日は一湯も入浴していないし、例え温泉でなくても入浴施設があるなら、フェリー乗船前に一浴びしておきたい。木浦は“ととろ”バス停を通るバスの終点でもあり、どんな町なのか見てみたい興味もあって。


【↑ 木浦への道。この辺りまでは道も良かったけれど…】

 立派なバイパスはやがて細々とした旧道に戻り、集落もない山間部へと分け入っていく。路面は荒れ、道幅も狭い。本当にこんなところをバスが走れるのか? と言うか、この先に集落があるのか? と不安になってきた頃、ようやく木浦に到着。
 路地のように細くなった主要道6号線沿いに、民家が折り重なるように連なった小さな集落:木浦。もともとは鉱山の街で、江戸時代から金、銀、錫などが採掘され、かつては錫の産出量日本一を誇ったとか。麓から遠く離れた山奥に、なぜ忽然と集落が…と思ったけれど、なるほど。かつては人口数千人だった鉱山の街が廃鉱とともに廃れていくのは、全国各地で見かける寂しい光景です。。。

 肝心の木浦名水館は、やはり温泉ではないそう。近くの蓮光寺湧水を湧かしたお湯だそうで、なるほど“名水の湯”ですか。まろやかなお湯で、温泉でなくとも満足満足。木をふんだんに浸かった館内には風情があり、こじんまりとはしているものの明るく開放的で、なかなか良い施設です。山奥の小さな集落に(失礼)、これだけの施設があるとは正直、驚きです。

 

 管理人のおじいさんは、自分が東京から来たことを知ると大驚き(そりゃそうでしょうね)。さらに止めてあるリードを見てまた大驚き(苦笑)。湯上がりには麦茶をサービスしてくれ、しばし歓談(^^;; 素朴で静かないいお湯には、また入りに来たいところです。隣には郵便局もあるんだもの。もちろん閉まっているので、再訪を誓うと(爆)。今度は集落の先を、日之影方面へと抜けてみたいですね。
 ちなみに、近隣(と言っても遠い)入浴施設・藤河内“湯ーとぴあ”も、おじいさんによるとやはり湧水を湧かしたものだそう。でも、調べてみるとそちらには単純泉(冷鉱泉)との表記が…? おじいさんにとっては、温かい水でなければ同じ“湧水を湧かしたもの”なのかもしれない。。。

 おじいさんに「気をつけて」と見送られ、あとは日向市を目指すのみ。
 突っ走って延岡あたりで食事をすれば、ちょうどいい時刻になるはずだったのだけれど…。
 先ほど登ってきた山道(主要地方道6号)は、既に真っ暗闇。リードの心許ないヘッドライトでは前方の一部しか見えず、突然現れるヘアピンに急ブレーキの連続。カーブの向こうは崖なので、落ちたら一巻の終わり。ガードレールなんてものはないし、下り急勾配でスピードは出るし、怖いのなんの。途中で1台だけすれ違った対向車は、山中に突然現れたスクーターにさぞ驚いたことでしょう(^^;;
 何とか無事に山を下り、国道326号線に戻ると、あとは快走(激走)。宇目町は県境の町なので、すぐに大分・宮崎県境が迫ってくる。10キロ以上も人家が一軒もない山中を、快適な2車線道路&トンネルで抜けていき、やっぱり国道を走るのは楽だなぁ…と思ったそのとき。

 何の前触れもなく、突然エンジンが止まってしまった。

 前日の午前中に始動できなかった後は、調子も良かったのに…。

 エンジンが止まる=ライトも消える。ちょうど峠のサミット付近、平坦路だったので惰性走行を続けるも、周囲は真っ暗闇な山中。急に明るくなったと思えば大型トラックがクラクションを鳴らしまくり、かすめるように爆走して行く。ヤバ。。。テールランプもついてないんだ…。二度三度とセルを回すうち、ようやくエンジンが始動。また止まってしまっては困るので、大人しく速度を抑えて…。フェリーに間に合うのだろうか…(不安)。
 横目で見ながら通過する道の駅・宇目はもう真っ暗。隣接するPC斜張橋“唄げんか大橋”は美しい橋のはずだけれど、真っ暗闇ではよくわからず。エンジンをかばいながら、時間を気にしながら必死で走っているので、例え見えても景観を楽しむ余裕はないでしょうね。
 なんとか峠を下って延岡市に入ると、田舎道ばかり走っていたせいか、とてつもなく大都会に思えてしまう(苦笑)。交通量も増え、制限速度以下で走っているとアオられまくりで怖いのなんの。すっかりペースが落ちたため食事時間もなくなり、途中で弁当を買い込み日向市を目指す。
 日向港(細島港)は、国道10号から日向市の手前を左折した先。国道や途中には“フェリー”の標示があり、迷うことなく21時ジャストに到着。トラックやコンテナの積み込みが遅れているようで、乗船まで1時間近く待たされることに。結局、出航自体も20分遅れ。


 2003.09.27

この日の行程

 日向→川崎  マリンエキスプレス

 マリンエキスプレスは、日替わりで宮崎、日向と川崎とを結ぶ長距離フェリー。曜日によって高知や紀伊勝浦に寄港する便もあるけれど、この日、金曜夜発の便は川崎直行。22時出航で翌日17時30分に到着するという、かなりの俊足ぶり。往路で無人車航走したオーシャン東九フェリーは、徳島に寄港するとは言え、東京−新門司間を二晩かけて航行するわけですから。
 乗船したのはパシフィックエキスプレス。二等船室はじゅうたん式の雑魚寝部屋で、横になるとディーゼルエンジンの振動と騒音がダイレクトに背中に伝わるため、辛い。。。船内の構造をよく見ると、機関室のある船内後方に二等船室があり、二等寝台や一等クラスの船室は機関室から離れた前方なんですね。なるほど、こうした船室配置にも等級の差がつくわけだ。

 昨晩は23時頃に部屋のテレビが消え、それとともに眠ったらしい。かなり疲れていたはずなので。
 でも、風邪なのかすごいセキをする客のおかげで深夜に目が覚め、さらに明け方からは別のファミリーの子供(しかも3人)が騒ぎ始め、ほとんど寝られず。カゼはともかく、子供連れで二等船室に乗る=他の客に迷惑をかけることを前提で乗っているという自覚がないのか?
 寝不足な上に、身体のあちこちが痛く、しかも痒い。毛布にかぶれたようで、ちゃんとクリーニングしているのか? あの薄汚れた絨毯も怪しい…。今度乗るときは寝台にします。

 

 午前中は、展望ロビーのソファでボーッと過ごす。操舵室の案内ツアーがあったけれど、ひどい頭痛で行く気力もなく(残念)。寝不足+カゼなのか。頭痛薬がないかと案内所(閉店中の売店)へ行ってみると、「販売用なんだが、あるかな…」などとブツブツ言われながらもバファリンを二錠、手渡される。売店の開店時間は昼間の1〜2時間だけなのだから、買いたくても買えないじゃないか。まぁ、渡されたバファリンは私物だったようなので、文句も言わず有り難くいただきました。
 午後からは、多目的ルームのようなところで映画鑑賞。作品は『千と千尋の神隠し』(笑)。バファリンが効いたのか頭痛も弱まり、半分寝ながら面白く見ました(^^;; この部屋は円形ステージをソファで囲むような構造で、一昔前の観光ホテルなどにありがちな歓楽ルーム。そこにプロジェクターを設置し、DVDを上映してくれるのですが、RGB調整が狂っているようでひどく赤っぽい絵だったなぁ。ちなみに観客は、わずか6人(^^;;
 朝食・展望ツアー・昼食・映画と、全ての催しに参加すると日中のタイムスケジュールはびっしり。丸一日の乗船時間を退屈させないよう、会社側も乗客サービスに努めているのでしょうが、どれも中途半端な印象はぬぐえなかったり…。かと言って、何もなければそれこそ時間を持て余すよなぁ。。。

 

 長距離フェリーはその多くが大赤字に苦しみ、廃止縮小が相次いでいるのもわかるような気がする。自分にしても、長距離フェリーに乗るのは10年ぶり、既に廃止された東京−苫小牧便への乗船以来なので。関西から九州へのフェリーはそれなりに好調なようだけれど、距離が短い夜行便で、寝るだけですからね。気軽に利用できるのでしょう。港と最寄り駅との送迎サービスも充実しているようですし。
 それに比べて東京−九州間のフェリーは、オーシャン東九フェリーマリンエキスプレスとも送迎はなし。長距離で時間もかかり、クルマ(バイク)利用者以外にメリットはないのかも…。運賃は2等でも\12,000、寝台なら\14,000ちょっい。決して安くはないですから。



 川崎港には40分遅れで到着。相変わらず50キロ以下で走行し、自宅を目指す。
 東京は、バイクもクルマも多いなぁ…。