旅にっき 【2003.11.03/弘前】

 2003.11.03

この日の行程

 東京←→弘前  菊と紅葉とりんごを追い求めた日(笑)

 今回の青森往復では、青森空港へのJAS便を初利用。マイルが貯まっていたので、JAL・JASの《10,000マイルで国内線特典航空券キャンペーン》をしっかり使わせてもらいました。
 行きの便はそれなりに混雑していたものの、帰りの便は3連休最終日の夜にもかかわらず4割程度の搭乗率。ほぼ同時運航(5分遅れ)のスカイマーク便はと言えば、カウンターが気の毒になるほど無人…(^^;; 羽田−青森便の利用客って、こんなに少ないの?
 そのスカイマーク:青森路線は、11月末で運航休止になるとか。ANAが撤退した路線を引き継いだのが今年4月のこと。それからわずか7ヶ月で休止とは…。平均搭乗率は4割を切っているそうで、青森便の低人気を物語っている。。。JAS便にしても、青森便は特便割引の値引率が低く、羽田からだと札幌や福岡へ行くより高くついてしまいますからね。慢性満席状態の東北新幹線《はやて》に、乗客が流れるのも不思議ではないか…。

 
【↑ 青森空港では、ねぷたの壁画が出迎えてくれる】

 交通網の近代化が遅れ、所得面での地域間格差も小さくない北東北では、速い交通機関=割高=贅沢品という概念が根強いのかもしれません。その最たるものが飛行機だと。こうした概念と交通近代化の遅れは相互リンクする現象だと思いますが、移動の基本があくまで鉄道である根底には、雪国という特殊性もあるのでしょう。
 いっぽう、青森空港は青森、弘前どちらへもほぼ等距離に立地し、津軽方面へのアクセスも悪くはないはず。弘前だけでなく、五所川原への連絡バスも運行されていますし。が、こちらはさらに航空機が不利。
 東北新幹線がまだ盛岡までだった頃、弘前出身の知人から「帰省には新幹線と盛岡−弘前の高速バスを利用するのが当たり前。新幹線が八戸まで伸びても変わらないはず」だと言われ、なるほど…と思った覚えがあります。
 その八戸延伸後も、津軽エリアへの利便性は一向に改善しませんからね。前回の弘前行では申し訳程度に運転されている特急《つがる》にも乗車しましたが、弘前−青森間の利用率は、正直、目を覆う惨状で。八戸から青森を迂回しなければならない鉄道では、盛岡からの高速バスに太刀打ちできない。このことはJR側もわかっているはず。
 つまり、青森空港のライバルは盛岡からの高速バスだと。航空機と高速バスがライバル関係にある地域は、全国でも珍しいケースなのでは。高速バス>鉄道>航空機という力関係では、搭乗率の低迷、就航路線の撤退も致し方ない? 新幹線が青森まで延伸されれば青森便にも割安運賃を導入せざるを得なくなり、そこで初めて、鉄道と高速バス、航空機が対等のライバル関係になるのか…。青森空港から弘前へ向かう空港連絡バス(弘南バス/750円)車内で、そんなことを考えていました。



 空港連絡バスに乗車したのは、自分と連れを含めてわずか5人(^^;; 補助金なしには運行できない路線でしょうね…。急行便扱いなので、停車するバス停はごくわずか。。。と、浪岡から区間乗車する乗客があったのは驚きでした。各地の空港連絡バスは“空港−駅”間の移動専用が当たり前ですからね。こうした区間乗車ニーズのある路線は、珍しいかも。
 そう言えば自分も、北海道を旅した際、厚床から中標津まで根室標津空港の空港連絡バスに乗車したことがありました。一般の路線バスを待っていたら、停留所時刻表に未掲載の空港連絡バスが来たので…乗っちゃったと(^^;; こちらも、途中乗車を認めている珍しいケースかもしれませんね。

 弘前バスターミナルで土手町循環100円バスに乗り換え、市役所前で下車すれば、目指す弘前城の表玄関・追手門はすぐ目の前。弘前城は《菊と紅葉まつり》の真っ最中で、そのイベントのひとつ、城内植物園でのりんご娘ステージが今回の目的。

 
【↑ 菊まつりとしては、福島・二本松のそれにはかなり及ばない…】

 
【↑ でも、“菊と紅葉”の組み合わせは確かに美しい】

 

 イベント終了後は弘前城を散歩し、天守にも登ってみる。7〜8年ほど前にも登城しているはずだけれど、記憶があまり…なもので(^^;; 天守自体は三層構造の小規模なもので、柱や急階段などに現存天守としての趣を感じさせるものの、内部はお約束の資料館。この展示資料にも目を引くものがあまりなく、だから記憶に残っていないのか…(苦笑)。城好きで、とりわけ戦国時代〜幕末の東北の歴史に関心があり、かつて『信長の野望』では必ず津軽為信でプレイしていた(笑)自分からすると、どうにも物足りないんですよね。
 現在の天守は、津軽藩九代藩主・寧親(やすちか)の時代、文化7年(1810年)に“隅櫓の改装”を理由に再建されたもの。まさに立地は隅櫓で、天守があるべき場所ではないし、小規模なのはそのため。当時は幕府によって厳しく“一国一城”制が規制され、天守の再建にもそうした理由付けが必要だったのでしょうね。大規模な天守再建もできず、こうした“櫓の大規模型”としてしか着工できなかったと。。それでも、東北地方で(と言うか東日本で)唯一の現存天守ですからね。貴重な存在として重要文化財にも指定されています。なお、本丸跡(現在は公園)に建てられていた当初の天守は五層で、寛永4年(1627年)に落雷により消失したとか。

 
【↑ 天守と追手門(一般的な大手門を、弘前城では追手門と称している)】

 

 その後はいったん弘前駅(相変わらず改装中で仮駅舎)に戻り、連れと別れて津軽藩ねぷた村へ行ってみることに。
 駅案内所でバス路線を確認し、駅前のバス乗り場へ。オバチャンたちがおしゃべりに夢中になっているベンチの横に立っていると、近づいてきたバスが減速しただけで通過してしまう。へ? そりゃね、オバチャンたちは近づくバスに立ち上がろうともしなかったけれど…(T_T)
 結局、15分ほど待って次のバスに乗車。方面毎にバス停が設置されているので、同じバス停に行き先の違うバスが来るわけですね。で、先ほどのオバチャンたちを見ていてわかったのだけれど、乗りたいバスが来たらベンチから立ち上がるなり、何かしら「乗るぞ!」という意思表示をしない限り、バスは通過してしまうのが慣例らしい。
 でも、途中のバス停ならともかく、ここは駅前のバスターミナル。余所者からすればバスが止まって当たり前、でしょ? 正式な起点は徒歩数分のバスターミナルでも、駅前だって起点でしょ? 弘南バスに悪しき慣例があるなら、とっとと改善して欲しいですね。
 ようやく乗り込めたバスは郊外まで行く路線だけに、普段から市内中心部の乗降がほとんどないらしい。何やらノンストップ特急バスのような飛ばしようで、停留所案内のテープも遅れ気味。誰も降車ボタンを押さない&乗車客もいないので、とにかく停留所案内を聞き逃さないようにと耳をすます。案内所で教えられた津軽藩ねぷた村最寄りのバス停は、亀の甲町角。その停留所案内が流れた瞬間、「あ、ここか」とボタンを押す。や、速攻で押しましたから。でもね、まさにボタンを押している瞬間に…バスは停留所を通過していくのでした。え?
 フザけんなよ、案内が流れ終わらないうちにバス停じゃん。案内を聞いてボタンを押したのでは、間に合わないじゃん。それでも運ちゃんは知らん顔。当たり前に次の停留所で降ろされる。勘弁してくれよー。
 結局、停留所一つ分をとぼとぼ歩きましたとさ。歩いたところは弘前城のお堀沿い。観光客向けの散策ルートでもあるので、それはそれで悪い気分じゃなかったですが…弘南バスの印象は最悪。路線バスを利用する観光客など滅多にいないのかもしれないけれど、皆無ではないはず。しかも、その大半は遠方からの(土地勘のない)利用者でしょ。弘前は観光地なのだし、もう少し考えて欲しいですねぇ。
 この余分に歩いた区間には弘前城亀甲門、石場家、仲町武家屋敷街など観光スポットも点在していますが、これらは以前にも見ているのでパス。まっすぐ津軽藩ねぷた村を目指す。

 
【↑ (左)弘前城のお堀沿いにバス停ひとつ分、歩く。 (右)津軽藩ねぷた村】

 苦労しながら到着した津軽藩ねぷた村は、正直、うーん…。思っていた以上に小規模で、肝心のねぷた展示も青森市:ねぷたの里のほうが上でしょう。“津軽藩”と銘打っていながら、津軽藩に関する資料展示がないのも残念で。ひっきりなしに観光客が入ってくるものの、皆、「なーんだ」という顔で出て行くのが何とも言えません(苦笑)。ちなみに、来場者は100%クルマ利用でした。

    

 ちょっと残念だった津軽藩ねぷた村からは、100円バスためのぶ号津軽藩ねぷた村−弘前城−りんご公園)が出ているので、乗ってみることに。津軽藩ねぷた村は土手町循環100円バスの路線から数区画ほど外れ、りんご公園は駅から遠い上に路線バスの本数が少ない。この2箇所を弘前城経由で結ぶ路線は、観光に便利な設定ですね。運行も30分間隔と、なかなか意欲的。
 が、残念なことに、始発の津軽藩ねぷた村から乗り込んだ乗客は(自分を含めて)2人だけ。うち1人は地元の用務客らしく、途中で降りてしまう。つまり、“観光用”に利用したのは自分のみ。終点のりんご公園まではかなりの距離があり、これで100円では申し訳ないような。。。大赤字で廃止されなければ良いのですが…。
 やはり、駅やバスターミナルを経由しないことがネックなのでしょう。既存路線に影響が出ないよう、観光客向けに特化した路線設定になったとは容易に想像できますが…。そもそも、弘前駅と起点の津軽藩ねぷた村との間をバス利用しようにも、先ほど自分が遭遇したような状況ですからね(苦笑)。その津軽藩ねぷた村と別の観光地だけを結ぶ路線は、いかにも中途半端で。それとも、郊外のりんご公園までクルマで来た観光客を、市内観光の中心部へと運ぶのが主目的なのでしょうか。りんご公園が、そこまで遠方からの客を呼び込めるスポットだとは思えないけれど。。。

 
【↑ (左)ためのぶ号 (右)りんご公園に到着】

 自分がりんご公園を目指した目的は、りんごの品種一覧や系統図を確認できるのではと思ったから。りんご娘のおかげで、すっかり“りんご好き”に(^^;; でも、そうした資料は小学生向けの解説がちょっとあるだけで、拍子抜け。
 ただ、広大なりんご生産園と、そこに植えられる約1,000本の木(60品種)が自由に見られる構造は面白いですね(本来は体験収穫用)。りんご娘.のメンバー名にもなっている各品種を、その木の段階から堪能できて満足でした(笑)。生産園で一生懸命に樹木の写真を撮っている客など他にいるわけもなく、よほどの“りんご研究家”に見えたでしょうねぇ(苦笑)。

 
【↑ (左)公園内の「りんごを学べる」施設:りんごの家。正直言って、子供向け…。 (右)丘陵地帯に広がる、りんご生産園】

 帰路は7〜8分ほど歩き、りんご公園入口バス停から(一般の)路線バスに乗車。日中しか運行されないためのぶ号は、既に終了してしまっているもので。運行されていたとしても、駅にもバスセンターにも行けないのでは乗らなかったでしょう。

 りんごの研究に関する県内施設では、他に黒石市の青森県農林総合研究センターりんご試験場があります。弘前城と同じく7〜8年前に訪れた際は、研究員の方がマンツーマンで解説をして下さり、とても恐縮した覚えが(^^;; りんごの研究家でもなければ、りんご農家の跡取りでもない自分には、あそこまで“研究解説”されても何のことやら…。かなり専門的な施設なので、観光客向けではないなぁと思った印象も。シーズンオフの真冬に訪れたので、来訪者は数日ぶりだったとか。。。
 現在は資料館も改修され、かなり一般向けになったとも聞くので、近いうちに再訪してみたいですね。

 

 弘前バスターミナルから青森空港への空港連絡バスは、羽田行最終便に接続する終バスの時刻が早すぎ。フライト1時間半前に着いてしまうんだもの。余裕を持ってのダイヤなのでしょうが、何も予定がなければ、それこそすることがない。。。空港内レストランで夕食をとってもなお、時間を持て余して困りました…。

 
【↑ (左)今や幻となった、JASとSKYMARKの文字が並ぶ青森空港の出発案内 (右)JASカラー健在(^^;;】


【独り言】。。。

 早朝の出発直前になって、デジカメのバッテリーを充電し忘れていることに気づく。。。仕方なく、久々にフィルムカメラを持って出ることに。ところが、あまりに久しぶりなので日付(しかもまったく違う日)を写し込んだままなのに気づかず撮影してしまいました…。途中で気づいて消しましたが、画像上の日付は気にしないで下さい(^^;; 弘前行は2回続けて非・デジカメだ…。