竹田 岡城趾などを市内観光
いよいよ九州最終日。
まずは竹田市内観光から。竹田は、戦国時代、初代岡藩主・中川秀成によって築城された岡城を中心に広がる城下町。街のあちこちに城下町らしい小道や石畳、石段、土塀、武家屋敷や白壁が残る、いわゆる古都の趣のある街です。
と言っても規模は小さいので、あまり大きな期待をしていくとしょぼーん、ですけれど(^^;; 十六羅漢、瀧廉太郎記念館、廉太郎トンネル、殿町武家屋敷、岡城趾など、定番の観光スポットをまわってみる。
【↑ (左)豊肥本線・豊後竹田駅 (右)十六羅漢】
『荒城の月』の作者として知られる瀧廉太郎が、少年期を過ごした旧宅を復元している瀧廉太郎記念館。ありがち“ハコモノを整備してみました”的な記念館を想像していたのですが、なかなかよくできていましたね。資料等を陳列するだけでなく、建物や庭などをそのまま復元し、その空気感や、当時の環境が創り出す音まで再現しようとする姿勢が潔い。それだけ地味な施設にはなるものの、ここで時を過ごすことで湧くであろう、創作意欲まで体感できるはずなので。
ここの管理人(?)のおばちゃんがまた話好きで、延々とビデオを見せられ、話を聞かされ…東京からの観光客など珍しいらしく、長々とつきあわされました(^^;; 面白かったけれど、滝廉太郎に特別な興味があるわけでもないので…。
滝廉太郎って竹田の出身だとばかり思っていたのですが、違うんですね。生まれも育ちも東京ながら、官吏で大分出身の父親が竹田に赴任したため、ここで少年期を過ごすことになったそう。旧邸の素晴らしい環境も、当時の官邸だからなのでしょうね。田舎の小城下町から音楽の道を目指したことに何となく違和感を感じていたのですが、その経緯を知れば納得。東京音楽学校(現・東京芸大)に進んだのは、本人にとっては既定の進路だったのかもしれません。
【↑ 土蔵や馬小屋(洞窟)も当時のまま。土蔵の二階が廉太郎の自室だったそう】
でも、“瀧廉太郎の故郷・竹田”といったイメージ作りには、ちょっとやりすぎな感も否めない。下の写真の、人が通ると『荒城の月』が流れる“廉太郎トンネル”など、ちょっと…(^^;;
次に訪れた殿町武家屋敷も、思っていたよりも町並みが小規模で、営業車が路駐していたり、市内の抜け道になっていて交通量が多かったりと、ちょっと拍子抜け。だからと言って、生活感のある生きている町並みという雰囲気でもなく…。妙にガランとしていて、今ひとつ風情を感じなかったり。
【↑ (左)廉太郎トンネル (右)殿町武家屋敷】
竹田のいちばんの見どころと言えば、やはり岡城趾。広大な駐車場の周囲に観光みやげもの店が連なり、最低の音質&最大の音量で『荒城の月』が流されているスタイルは、まるで30年前の観光地に迷い込んだかのよう。ちょっと興醒めでしたが、城の構造や立地がよくわかる山城趾は、ただ歩くだけでも興味深かったですね。
残存する石垣も見事なもので、丸いカマボコ型の石累は全国的にも珍しいとか。深い谷、険しい断崖の上に石垣がそそり立つ姿には美しさすら感じられ、天然の地形を生かした名城だったことがうかがえる。この堅牢な山城を攻略するのは容易ではなかったでしょうね。天正14年、島津藩37,000名の大軍をわずか1,000人ほどで撃退したという逸話にも、納得。
【↑ (左)登城口 (右)本丸跡】
市内を一通りまわった後は、名水スポットを目指して郊外へ。
竹田周辺にはいくつもの湧水地があり、竹田湧水群としても知られている。もともと水にこだわりがあるほうじゃないですが、実際に飲んでみると…なるほど確かに軟らかく、飲みやすくていい水でした。
【↑ (左)泉水湧水 右)河宇田湧水】
【↑ 途中で見かけた豊肥本線・玉来駅。付近の扇森稲荷神社をモチーフにした駅舎&駅名標】