下北汽船

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 北海道新幹線に関連する話題を調べていたところ、気になるニュースが。。。
 青森と下北半島の脇ノ沢、佐井とを結ぶ高速船:ほくと(下北汽船)が、今年9月の廃止予定から、存続を検討されているそう。
 って、9月の廃止予定すら知らなかったのですが…。下北汽船が第3セクターだということも。
 ほくとが就航する青森-佐井間は、青森県内で唯一、離島航路整備法が適用されている航路。県と国が赤字分を負担し、2004年度の利用者は11,552人(10年前の約半分にまで減少)。単年赤字額は8,877万円。県の補助金が打ち切られる今年9月をもって、廃止予定だったのだとか。
 が、人員削減などコストダウンが成功し、下北汽船をほくと運営会社、かもしか(蟹田―脇野沢)運営会社、精算会社の3社に分割することで、存続の見通しが立ってきたとのこと。ただし、耐用年数9年のほくとが就航18年目となるなど、存続には新造船の就航が不可欠なようです。これらの問題が先送りなので、まだ余談を許さないところではありますね。

 いずれは乗船してみたいと思っていた航路だけに、早めに利用しておいたほうがいいのかなぁ。下北半島をクルマで旅した際、脇ノ沢-むつ間の距離、佐井の不便さ、むつ-青森の遠さを痛感したこともあり、存続が必要な路線だとは思うのですが…。
 もっとも、下北半島では、むつ市(大畑まで?)までの高速道路計画が進んでいて、着工は時間の問題だとか。完成すれば陸路の利便性が飛躍的に上がり、今度こそ運航廃止ということになってしまうのでしょうか。

関連記事
  • 下北汽船:「ほくと」存続検討 3社分割を国、県と調整 /青森 (毎日新聞/2005.05.25)
    (旧リンク先=http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20050525-00000073-mailo-l02)

     第三セクターの下北汽船(本社・青森市)が24日、青森市内で株主総会を開いた。会社側は、9月に廃止を予定していた高速船「ほくと」(青森―脇野沢―佐井)の存続を検討していると報告した。会社を3社に分割する考えで、国や県などと調整を進める。
     廃止の方針が変わった理由について、会社側は「昨年10月に社長をはじめ役員が代わり、役所との信頼関係が増してきた」と説明した。社を(1)「ほくと」の運営会社(2)蟹田―脇野沢を結ぶ「かもしか」の運営会社(3)精算会社に分割するという。
     「ほくと」は県内で唯一、「離島航路整備法」の適用を受け、県と国の両者が赤字分を負担してきた。しかし、利用者は04年度で1万1552人と10年前の約半分にまで減少。単年度赤字は8877万円に上り、県が2968万円、国が残りの5909万円を補てんしている状態だった。
     そのため、県は下北汽船に、人件費などの経費削減を要請。しかし、削減が進まなかったことから、県は今年9月の補助金打ち切りを決めていた。それに伴い、「ほくと」も廃止予定だった。
     04年度決算では、前年に比べて人件費や燃料費568万円の削減が図れたという。「ほくと」の就航が18年目で、耐用年数の9年を大幅に過ぎているといった問題もあるが、下北汽船は「新造船の資金調達を国を含めて働きかけたい」と話した。

全日本海員組合ホームページ/用語解説より

離島航路整備法

 離島航路事業に関する国の特別の助成措置を定めることにより、離島航路の維持および改善を図り、これによって離島地域における日常生活の安定・向上に資することを目的とした法律。今回の改正で、国の補助の算定方式の変更、地方公共団体が主体的に行う助成等に対する自治省の地方財政措置、関係都道府県ごとに国および地方公共団体の連絡協議の場を設けるなど、離島航路のあり方について地方公共団体の意向を反映できるようなものとなった。

離島航路補助金

 離島航路整備法に基づく補助で、離島航路のうち一定の要件を備えた生活航路については国庫補助航路として指定し、国・関係地方公共団体が交付する。これまではその航路の経営により生じた欠損に対して国が75%、地方公共団体が25%相当額を交付していたが、今年度は国が事業の欠損の75%を補助する定率補助方式を改め、標準的な賃率や経費単価に基づき算定する標準化した欠損額を補助する方式を取るなどの改正が行われた。


追記

 青森−脇ノ沢−佐井航路は、2006年1月1日から、シィライン株式会社の運航に。
 同社は2005年9月30日発足で、下北汽船・元代表取締役の濱崎正明氏が代表取締役に就任。下北汽船が抱える負債2億数千万円のうち、3,100万円は同社が引き継ぐことになったとか。下北汽船の代表取締役には、出資元でもある弘南バスの山口健六代表取締役社長が就任。
 気になる今後に関しては、鉄道建設・運輸施設整備支援機構と日本財団の支援により、2007年に80人乗り貨客船を新造するとか。建造費は約4億円だそうですが…。
 また、蟹田-脇野沢間のフェリー航路は、かつてのむつ湾フェリー株式会社が(同名称で)復活し、運航することに。

関連記事・サイト
  • 下北汽船離島航路を新会社へ譲渡 (東奥日報/2005.10.25)
    (旧リンク先=http://www.toonippo.co.jp/news_too/nto2005/1025/nto1025_10.asp)
  • 2-7 下北汽船株式会社 (青森県) (旧URL:http://www.pref.aomori.lg.jp/soshiki/soumu/gyokan/files/2008-0625-0906.pdf)
  • 2 下北汽船株式会社 (青森県) (旧URL:http://www.pref.aomori.lg.jp/soshiki/soumu/gyokan/files/2008-0711-1337.pdf)

    設立の背景

    【青森~佐井航路】
     昭和42年6月、休航中の青森~大湊航路(青森~脇野沢~川内~大湊)と青森~大間航路(青森~九艘泊~牛滝~福浦~佐井~大間、離島航路指定)について、関係市町村および住民の再三にわたる航路再開の要望があり、関係町村と地域住民から出資を募り、昭和42年11月、「下北汽船株式会社」が設立され、青森商船株式会社の休業中の航路・船舶および附帯設備等を譲り受け航路を再開した。
     航路再開後、所有木造船舶の老朽化・ バス路線の開設等があり、航路の統廃合の検討がなされた結果青森~大湊航路が廃止され、現在の青森~脇野沢~佐井航路(離島航路)が開設され運航を開始した。

    【蟹田~脇野沢航路】
     当初青森県が両半島を結ぶ海上交通機関として航路開設を検討したが、経営困難との判断から立ち消えとなった計画を蟹田町が発起人となり、津軽・下北半島の21市町村に航路の必要性を呼びかけ、「蟹田~脇野沢カ-フェリ-開設期成同盟会」を発会のう民間に航路開設を依頼し、青森県・関係市町村および民間から広く出資を募って、昭和54年4月「むつ湾フェリ-株式会社」が当該航路を開設設し運航を開始した。
     昭和61年10月、むつ湾内に航路をもつ下北汽船株式会社とむつ湾フェリ-株式会社の一社体制化を促進するため、青森県が「下北半島生活航路一社体制準備委員会」 を設置し、両社の合併の可能性について検討した結果、昭和62年10月1日をもって合併が成立し、現在の下北汽船株式会社となった。

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