旅にっき 【2004.11.26-27/大阪・彦根】

 26日に大阪でステージを見るため、行きは飛行機で。翌日は青春18きっぷを利用して帰京。途中、彦根に立ち寄って彦根城を観光。


 2004.12.26

 東京→大阪

この日の行程

  • 羽田12:30→13:30伊丹 (JAL1515便/B777)
  •  12月1日にターミナルが第1(JALなど)、第2(ANAなど)に分かれてから、羽田空港を利用するのはこの日が初めて。なるほど大混雑だったターミナル内は空いていて、搭乗券の発券、手荷物検査ともこれまでがウソのようなスムーズさ。おぉ〜、こりゃいいやと思っていたら、搭乗手続きがフライト10分前まで始まらないのは相変わらず。それで定時運航できるわけがない。おまけに離陸の順番待ちも相変わらずで、結局伊丹(大阪空港)には20分以上の延着。ターミナル内だけ混雑が解消されても意味ないじゃん。

     宿泊は、いつもの東横イン・谷町四丁目


     2004.12.27

     大阪→彦根→東京

    この日の行程

  • 尼崎10:54→1214彦根 (新快速3444M/223系12連)
  • 彦根駅前→キャッスルロード (湖北バス)
  • 彦根15:34→15:39米原 (774T/221系6連)
  • 米原16:14→16:45大垣 (230F/313系2連)
  • 大垣16:55→18:45浜松 (特別快速2102F/313系6連)
  • 浜松18:51→20:02静岡 (826M/211系7連)
  • 静岡20:13→21:26熱海 (1470M/113系3連)
  • 熱海21:39→22:08国府津 (950M/113系15連)
  • 国府津22:18→23:32新宿 (湘南新宿ライン快速2830E/E231系15連)
  •  大阪から座るため、東西線経由で尼崎から新快速に乗車。
     彦根に立ち寄り、彦根城を観光。国宝に指定されている城って、全国で姫路城松本城犬山城と、この彦根城の4カ所だけなんですよね。

     その彦根城へは、彦根駅から徒歩15分ほどかかるらしい。駅前の観光案内所でバスの便を尋ねると、城の正門前まで行くバスは2時間に1本程度しかなく、次のバスは約1時間後。が、城の裏側にあたる夢京橋キャッスルロードへなら、5分後にバスがあるとのこと。そちらのバスも1時間半に1本程度なので、湖北バスに慌てて乗り込むことに。マイクロバスのような小型バスで、車内はおばちゃんが数人と余所者らしき二人組と自分、計6〜7人ほど。
     ちなみに、シーズン中(4月1日〜18日/4月24日〜11月30日の土日祝日)は、彦根城を始め彦根市街を巡る彦根ご城下巡回バスが、ボンネットバスで運行されているそう。年末年始も運行してくれればいいのに。。。

     バスは彦根郵便局前など市街中心部を通り、5分ほどで着いたキャッスルロード停留所では余所者3人(笑)が下車。
     夢京橋キャッスルロードとは、彦根城・旧中濠に架かる京橋から南西へ伸びる約350メートルの通りのこと。道路両側の商店街は江戸時代の町並みを再現した建築物で、歩道や案内板なども観光客向けに整備されている。彦根城の観光スポットとして整備された…にしては、閑散としていていまいち活気が感じられないのも確か(^^;; 城の正門とは離れているし、個人客はここに立ち寄らないケースも多いのでは? まぁ、観光バスなどが乗り付けるシーズンには賑わうんでしょーが…。


    【↑(中)正面が彦根城】

     夢京橋キャッスルロードから城を目指し、中濠にかかる京橋を渡ると旧武家屋敷跡に彦根東高校が建ち、内壕沿いの道路に出る。右に行けば正面入口(表門)、左に行けば大手門の分岐を左へ。裏側にあたる大手橋・大手門から城内に入ってみると、こちらは訪れる人もまばらなようで寂れた雰囲気。ひっそりと建っている券売所では、この日、何枚の入場券が売れたんでしょう(^^;;


    【↑(左)京橋 (中左)中壕 (中右)内壕 (右)内壕にかかる大手橋】

     城内に入るとすぐに急坂&石段が待っているのは、平城でありながら山城的な作りでもある彦根城らしい姿。全体は小規模ながら、自然の地形を生かした作りとなっていて、天守までの守りはそれなりに堅牢だったと思われる。
     急坂を登り切ったところで表門から登ってくる石段と合流、すぐに天秤櫓をくぐる。豊臣秀吉が長浜城大手門を移築したと言われる櫓で、天秤のような形をしていることからそう呼ばれるようになったとか。こうした構造は国内城郭では唯一のものらしい。


    【↑(中左)天秤櫓 (中右)櫓脇には「鮒ずしや 彦根の城に 雲かかる」という蕪村の句が (右)天秤櫓に架かる廊下橋】

    彦根城

     将軍徳川家康公の命により、大坂の豊臣氏、西国大名の東上に備えるため天下普請として築城される。伊賀・伊勢・尾張・美濃・飛騨・若狭・越前の7ヶ国12大名に助役を命じ、慶長8年(1603)に着工。天守は大津城から、天秤櫓は長浜城から移築され、天守閣は2年足らずで完成。表御殿の造営、城郭改造など、城下町の完成は1622年。

     この間、佐和山城から移った初代城主・井伊直継の弟・直孝(徳川秀忠、家光、家綱の三代にわたって将軍の執政)が大阪冬の陣に出陣し、その功績によって家督を継いで二代目城主となる。これらの功により3回加増され、譜代大名としては例のない30万石となる。彦根35万石といわれるのは、このほかに幕府領5万石の預かりがあり、合わせてのもの。

     なお、幕末に桜田門外の変で暗殺された井伊直弼は15代目城主。


    彦根観光協会サイトより引用・加筆。原文があまりにも拙いので…(苦笑)。

     ちょっとしたつづら折りを登ると太鼓門櫓。本丸の表口を固める櫓門で、ここに太鼓を置いて城中への合図に使ったことから太鼓門櫓と呼ばれるようになったとか。佐和山城の城門を移築したものではないかと考えられている。


    【↑(中・右)太鼓門櫓】

     この太鼓門櫓を抜けると本丸で、国宝指定される天守閣がそびえている。近世の城郭で天守が現存しているのは、弘前、松本、犬山、丸岡、彦根、姫路、備中松山、松江、丸亀、松山、宇和島、高知の12城。うち、国宝に指定されているのは松本、犬山、彦根、姫路の4城のみ。

    ●天守閣の見所  *彦根観光協会サイトより

     国宝彦根城天守は北西に附櫓(つけやぐら)が、さらに長い多聞櫓が連なる。破風は変化の妙に富んでいる。天守一層目の軒に並ぶ八つの「へ」の字形の切妻破風は、それぞれの大きさと奥行きに変化をもたせ、二層目は、南北を切妻破風、東西を入母屋破風とし、南北に唐破風を設けている。この切妻破風、入母屋破風、唐破風を組み合わせた類い希な美しさは見逃せない。

     また、彦根城の天守は、長方形(梁行に対して桁行が長い)で、表門から登ると目に入る東の面や、琵琶湖側から望む西の面は、そそり立ち端正である。逆に南、北の面はどっしりと幅の広い安定した面もちである。また一層目は、大壁の下に下見板が取り付けられ、窓は突き上げ戸になっている。


    【↑天守閣 (左)本丸側より(南面) (中)南西面 (右)西の丸側より(北面)】


    【↑天守閣内部 (左)天井 (中左)保存されている鯱 (右)階段はかなり急】


    【↑(中左)最上階 (中右)最上階より琵琶湖を望む (右)彦根市街中心部を望む】

     天守閣からは、来たのとは反対側の西の丸方面に降り、裏門である黒門から出て玄宮園へ。天守閣にはそれなりに観光客の数も多かったのだけれど、その大半は表門と天守閣を往復するだけで帰ってしまうよう。城の裏側にあたる西の丸側は訪れる人も少なく、静かないい雰囲気。


    【↑(左)西の丸跡 (右)城裏側は彦根山をつづら折りに登っていく山城の風情】

     黒門橋で内壕を渡ったところが楽々園。

    楽々園

     旧藩主の下屋敷で、槻(けやき)御殿、黒門外(前)屋敷とも称される。第4代藩主・井伊直興により造営され、1679年(延宝7)に完成、その後数回にわたり増改築が行なわれた。全国でも数少ない、現存する城郭御殿建築で、往時は能舞台も備える広大な建物だったらしい。現在は書院や地震の間、雷の間、楽々の間など、数分の一が残るのみ。井伊直弼もこの屋敷で誕生したのだそう。


    【↑槻御殿(木材はすべて槻を使用した豪華な造り) (右)江戸時代には珍しい耐震構造を備えた地震の間】

     その槻御殿から見渡せる庭園が、第4代藩主・直興によって1677年(延宝5)に造営された玄宮園。
     全国各地の庭園からすると規模は小さいけれど、景観のまとまりと美しさの点ではかなりのもの。彦根藩の栄華を感じさせます。


    【↑彦根城天守閣を望む景観は絶景】

     この玄宮園を出ると、一通り城内外をまわったことに。
     最後にまだ立ち寄っていなかった正門(笑)を眺めて、行きのバスで見かけた彦根郵便局へ。郵便局のある市街中心部は城から徒歩5分強、駅からは徒歩10分といった感じ。城の周囲には旧・武家屋敷跡の雰囲気が散見できるものの、取り立てて見るようなスポットが残されていないのは残念なところ。


    【↑(左・中左)彦根城正門 (中右・右)市街地に点在する城下町風情】

     と、郵便局まで行って気づいたのは…通帳を持ってくるのを忘れたよ〜(苦笑)。仕方なく新しい口座を開設することに…って、印鑑が必要だよー。郵便局裏手の商店街を歩いて文房具店を探し、何とか三文判をゲット。城内見物のときは時おりパラつく程度だった雨が本降りになり始め、うぅー(T_T) そんな雨にもめげず、駅へ歩いて戻りつつ彦根駅前郵便局にも立ち寄り(^^;; どちらも城の絵柄入りゴム印ですた。
     彦根駅前には井伊直政の銅像も建っていて、なかなか情緒のある駅前風情ですなぁ。


     さぁ、あとは帰るだけだ(^^;;
     東海道本線の難所(苦笑)、米原−大垣間は、彦根方面からの普通列車にはすぐの発車で接続するものの、予想通りの大混雑ぶり。なので予定通り(苦笑)、1本遅らせて列の先頭に並ぶ。その間、ホームの立ち食いうどんを食べるのも毎度のこと(^^;;
     接続する新快速からは思ったほど乗り換え客がなく、閑散としたホームで拍子抜けしていると…15:57着の北陸本線142M(419系3連)が同じ7番線ホームに入線してきた途端、乗り換え客がドッと列を作ったのには驚き。あとで調べたらこの列車、数少ない福井−米原間の直通列車なんですねぇ。北陸方面から東京へ戻る18きっぷ利用者のスジだったのね。。。にしても、大垣行の入線直前に同じホームに入れなくても…おかげで、ホームは一時期、混乱状態に。

     大混雑の列車が大垣に着くと、大半の乗客は接続する浜松行・特別快速に乗り換え。てろてろとホームへ行ってみると車内は大混雑。次のスジにするか〜などと思いながらのんびり先頭まで行ってみると、後方3両は大混雑なのに、階段から遠い前方3両はガラガラ。編成が短くて18きっぷ時期には各列車が大混雑するJR東海エリアですが、さすがにこの時間帯は快速を3連で運転するような暴挙には出ないらしい(苦笑)。名古屋からは先頭車まで大混雑となり、6連でも足りないぐらい?
     ちなみに、浜松からの接続列車も(この区間では異例の)7連。こちらも階段に近い後方4両は立ち客大勢、増結分になる前3両はロングシートがびっしり埋まる程度の乗車率。途中での乗降はあっても静岡までほぼ変わらない乗車率なのも毎度のこと。いつもこの区間を乗って思うのだけれど、静岡県内の通勤・用務圏は想像以上に広い。浜松→島田・藤枝あたりまで乗り通す客の多いこと。浜松で席を確保しないと、ヘタをするとそのあたりまで座れないですからねぇ。

     静岡からは、運転本数は多くても短い3連が基本。大混雑なことはわかっているので、接続を1本遅らせてホームの列に並ぶ。こちらも始発時に座らないと、富士を過ぎるまで立ちっぱなしになる可能性が大。
     しかし、この浜松−静岡−熱海間は、トイレなし編成が基本のようになっているのは勘弁だなー。113系までトイレなしだもの。おまけに静岡駅構内のトイレは(駅の規模・乗降客の割に)狭くて、浜松方面からの列車が到着するといつも長蛇の列。トイレの列に並ぶか、列車に座るための列に並ぶのかの二者択一を迫られる(苦笑)。浜松までの列車も大混雑で身動きできず、大垣から熱海までトイレも一服もできず(T_T)

     JR東海も、名鉄と対抗する愛知県内はサービス改善の姿勢が見られるものの、独占市場の静岡県内は車両の近代化も遅れ、サービスも悪すぎ。その落差が激しすぎる。ガラガラの熱海からの列車に乗り込み、JR東日本管内に移ってホッとする…なんて、やっぱおかしい(苦笑)。各社とも、少しはJR西日本を見習って欲しいものだわ。。。