旅にっき 【2004.11.23/愛知】

 ORANCHEのイベントステージを見るため、愛知県鳳来町の鳳来寺山で行なわれた鳳来寺山もみじまつりの会場へ。帰路は長篠城趾、湯谷温泉に寄り道。


 2004.11.23

 東京←→鳳来寺山

 自宅を早朝06:40に出発(辛)。東名高速で一路、西を目指す。
 途中、富士川SAにて休憩&朝食。浜っ子丼(\680)は、炊き込みごはんの上にたっぷりの釜揚げしらす、さらに地元特産の桜エビ(釜揚げ)が乗っている海鮮丼で、うまー(^o^) 桜エビの量がちょっと少ないけれど、しらすもおいしいので許す(笑)。写真を取り忘れ(T_T)


【↑SAからの展望は絶景】

 のんびり休憩し過ぎたせいで、その後は一気に浜松西ICまで走り、到着は10:15。途中、清水〜静岡〜焼津周辺で流れが悪くなるのは毎度のことながら、なかなかいいペースかも。目的地の鳳来町へは浜松西IC→R257ルートと豊川IC→R151ルートの二通りの選択肢があるのだけれど、渋滞が少なそう? な前者を選択。同町サイトには浜松西ICから1時間と記されているので、11:30のステージ開始に間に合わせるためには、ちょっと急がねば。
 R257は順調に流れているものの、その流れが遅くてイラつく。30〜40kmのダラダラした流れが延々続き、こちらはトルク&パワーを持て余し気味。回転数が合わなくて疲れるのよ…地方ではよく遭遇する、典型的な流れなんですけどねぇ。静岡県から愛知県の県境が近くなったあたりからはセンターラインのない1.5車線区間が続き、200番代の国道にしては走りにくい(苦笑)。のどかな田舎道をただひたすら、淡々と進んでいく。
 で、このままだとあまり余裕がないなぁと思い始めた頃、突然…という感じで大渋滞につかまってしまう(T_T) JR飯田線本長篠駅手前でR151に合流する、長篠交差点まで1kmほどはノロノロ運転が続く。周囲には鳳来寺山もみじまつり目当てらしきクルマが目立つ。と言っても愛知、静岡ナンバーばかりですが(^^;;
 なんとかR151に合流し、すぐに県道32号線に入ってからは順調な流れ。が、ようやく到着した鳳来寺山・表参道入口はバリケード封鎖され、一般車は進入禁止。。。周辺の民間(臨時)駐車場か、町が用意した大駐車場(800台収容)に停めて、あとは歩きなさいということらしい。
 結局、遠くの駐車場にまわされてしまい、参道入口まで10分強ほど歩くことに。うーん、これなら(おまつりだけを目当てに来るなら)電車&バスのほうが便利でしょうね。本長篠駅との間には臨時シャトル(無料)バスが運行されていて、発着所も参道入口すぐのところ。飯田線も、豊橋−本長篠間は1時間ヘッドの運転なことだし。

 イベントの合間には、鳳来寺山に登ってみようと参道を歩いてみる。いかにも門前町らしい風情を残す参道は、ただ歩くだけでもなかなか味わい深いもの。あまりに人が多すぎて興ざめなものの(苦笑)、静かなときに来ればいいでしょうね〜。
 また、この一体は古くから“火の神様”が奉られる秋葉山への信仰が厚く、各地から秋葉山への参詣道が作られたいたそう。どこの村にも“秋葉講”と呼ばれる仲間組織があり、その代表者が毎年決まった時期に秋葉山に参詣し、お札を受け、そのお札を各家庭に貼ることで火事除けを願ったのだとか。その秋葉山への道“秋葉道”入口が、参道の途中にひっそりと。


【↑参道 (左)歴史を感じさせる旅館が軒を連ねる (右)秋葉道入口】


【↑暖秋のせいか、もみじまつりと呼ぶにはほど遠い、三分程度の紅葉】

 と、そのへんまではのんびりと風情を楽しみながら歩けたものの、肝心の鳳来寺本堂までは遠かった…。
 参道入口から終点(=石段の始まり)までが約1.2km。そこからは延々、石段と山道を登り、深い山中へと入っていく…。石段と言ってもそこらの神社などのものとは異なり、開山千三百年の歴史と信仰心を実感させられる昔ながらの石段。。。一段ごとが高く、また広いんですね。後で調べたところ石段は1425段あるそうだけれど、そんなに少ないわけがない!? と思わせるほどの修行です、この登りは(^^;; そもそも事故のせいでここ2ヶ月ばかり、ほとんど休養生活を送っていたものだから、体力が落ちてるんですよねぇ。。。


【↑(左)石段入口 (中右)土砂崩れの箇所は架設橋で渡る (右)上方に見えるのが仁王門(徳川三代将軍家光が寄進)】

 なわけで、いい加減にヘバってきたところで松高院に到着。が、尋ねてみると石段はまだ半分ちょっとしか登っていないらしい…(T_T) さらに、目の前にはこれまで以上に急激な石段が、首が痛くなるほど見上げるように延々と続いている………。いちばん疲れてきたところで、これまでよりさらに急な石段が続くとは…。これぞまさに修行&苦行(苦笑)。信仰の深さを痛感させられますた。。。
 また、ここまでの所要時間は約40分。そろそろ戻らないと第二部のステージに間に合わない。。。意を決して断念し、引き返すことに。せっかくここまで来たのだから、山頂の本堂、東照宮まで登りたかったのだけれど。


【↑(中)松高院から始まる急石段 (右)さらに続く石段に意気消沈(^^;;】

 イベント終了後は再度登る気力もなく、山を下りる。


【↑鳳来寺山と言えば、やはり五平もち。参道に並ぶ出店で買って食べたものの、いまいち(^^;;】

 もともと信仰心はかなり薄いし(苦笑)、せっかく長篠まで来たのだから、それよりも長篠城趾へ立ち寄ってみたい。と、気分を切り替えて来た道を戻るものの、長篠町中心部手前、R151にぶつかる数km手前からは帰りのクルマで大渋滞。はぁ。。。
 R151に入りほんの数kmで、“長篠の戦い”の舞台となった長篠城趾に到着。
 鳳来寺山もみじまつりの人だかりがウソのように、こちらは訪れる人もほとんどいない、静かなたたずまい。

長篠の戦い

 武田信玄の跡を継いだ武田勝頼は、天正三年(1575年)五月、15,000の兵を率いて徳川領内に攻め入り、500の城兵と城主・奥平貞昌が守る長篠城を包囲。設楽原に進撃した徳川家康・織田信長の援軍38,000と対峙した武田軍は、“甲斐に武田騎馬隊あり”と恐れられた騎馬隊が果敢に敵陣に突入したものの、連合軍の三千人の足軽鉄砲隊の前に敗れ、武田氏没落のきっかけとなった。

 まさに、戦後の世の歴史を変える一大決戦であるとともに、鉄砲隊という戦のあり方を大幅に変える方法論が日の目を見た、史実に残る戦いの舞台となったのがこの長篠城。どんなところなのかと期待感は大きかったものの、何の変哲もない平地とわずかばかりの石垣が残るのみで、その面影はほとんど残っていない。まぁ、所詮は出城、山城であり、“長篠の戦い”の舞台も実際には城攻めではなかったのだから、多くを期待するほうが間違っているのかも。。。城が築かれていたであろう平地=原っぱでは、子供たちが野球をして遊んでいました。


【↑(左)史跡保存館 (中右)本丸土塁】

 敷地内の長篠城趾史跡保存館を見学した後は、《長篠の戦い史跡めぐりコース》として整備された遊歩道を歩いてみることに。と言っても時刻は既に16:30をまわり、そろそろ陽が落ちかけてくる頃。全部を回るのは無理なので、武田勝頼本陣地だけでも見ておこう。
 長篠城趾からはクルマで5分ほど、医王寺の後方の小高い山・医王寺山がその本陣跡地。保存館で聞いたとおり医王寺の駐車場にクルマを停めたものの、それらしき案内は一切なく、当てずっぽうに脇の砂利道を歩き始めると…墓地? さらにその先へ進むと、道は行き止まり。おかしいなぁと思いつつあたりを見回すと、山腹に何やら遊歩道らしきものが。。。どうやら、これが本陣地へ登る道らしい。道はきちんと整備されてはいるものの草生していて、訪れる人の少なさを感じさせます。。。


【↑(左・中)医王寺 (右)その脇を進むと墓地が】


【↑(左)遊歩道入口。左右に登り口があり、右が勝頼本陣地へ、左は天神山陣地へ続く (中・右)またまた山登り(^^;;】

 山と言っても小高い丘のようなところなので、それほど苦労なく登っていくと、それこそ猫の額のように狭い平地に出る。と、そこが山頂で、勝頼の本陣地らしい。うーん、こんな狭い場所が、栄華を誇った武田軍大将の本陣だったのか…木製の櫓が組まれていたので登ってみると、確かに長篠城趾が見渡せる…ような気もする(^^;; この地で、勝頼は何を思い、甲斐へと落ちて行ったのだろう。父・信玄の「三年間は侵攻をせず国を豊かに」という遺言を破ってまで侵攻してきた三河の地で。


【↑(左)山頂(本陣地) (中)長篠城趾を望む (右)遊歩道の反対側入口】

 なお、頂上から反対側に降りてみると、案内表示もある遊歩道入口に出る。フツーはこちらから登るのね(^^;; 医王寺をはさんで左(自分が最初に進んだ側)・右の両側から山頂に向けて遊歩道が造られれていることがわかり、右側から入れば山頂を通って山を下り、さらに別の遊歩道をたどり、真田信綱、真田昌輝らが陣を敷いた天神山陣地に出ることができるよう。せっかく遊歩道が整備されているのだから、要所にもっと案内板(地図)を設置して欲しいところ。
 その天神山陣地跡へは、長篠城趾から医王寺へ向かう途中、長篠荏柄天神社と小さな墓地横から登ることもできる。


【↑(左)長篠荏柄天神社 (中左)小さな墓地。ここから登るとショートカットできる (中右)道路脇のこれが目印 (右)天神山陣地跡】

 と、ここまで歩いたところでとっぷりと陽が暮れ、タイムアウト。山登りばかりで疲れた身体を温泉で癒そうと、近隣の湯谷温泉へ向かう。

 R151から橋を渡って入る温泉街は、狭い路地が一本、天竜川沿いの狭い土地に伸び、その両脇に旅館が肩を寄せ合うように建ち並ぶ小さな温泉地。と言っても、この伊那谷ではいちばんの温泉地(^^;; 温泉街の真ん中にはJR湯谷温泉駅があるものの、案内所などはなくどこで入浴できるのかもわからない。食事&温泉の看板を出す店は数軒あるものの、このテの店は“食事をすれば入湯無料”がスジ。見たところおよそ一人で食事をする雰囲気ではないし、時刻は既に18時近く。宿泊客の食事の準備で忙しい旅館に入るのも気が引けるので、案内板のあった町営施設ゆ〜ゆ〜ありいなに寄ってみる。
 が、残念ながら露天風呂は改装中とのことで、入湯できるのは内湯のみ。それでも料金が\650と変わらないのは。。公共温泉施設で\650は安いとは言えないし。
 もっとも、内湯だけでも十分立派な施設ではありました。湯船に座ってちょうど足を伸ばせる幅×20〜30人は入れる長さの主浴槽(子供が泳いでました)、寝湯、気泡・圧注風呂、サウナが完備され、かなりの広さ。休日夜でけっこうな混雑だったけれど、のんびりと湯に浸かることができましたからね。本来ならさらに露天風呂があるわけで、人気施設だというのも納得できるところ。湯は無色透明無味で、浸かっていると肌にじんわりと効いてくる感じのカルシウム・ナトリウム・塩化物泉(低張性中性温泉)の泉質が心地よい。館内の清掃整備もしっかりしていて、なかなかいい感じ。ただ、休憩スペースがロビーのソファのみで、湯上がりにくつろげる空間がないのは残念かも。

 さぁ、いい気分になったところで、どう帰ろうか…。
 実は東名高速に「23時頃まで渋滞30km」の予測が出されていることはわかっていて、このまま行けばハマること間違いなし。そもそも、トラック街道と化する夜の東名は走りたくないし…。それならいっそ、飯田まで抜けて中央高速で帰ろうか。
 どうも、頭の中のどこかにJR飯田線で飯田とはつながっていて、それほど遠くないという固定観念があったよう。地図を見ながら「遠いなぁ」と思いつつ、それでも向かってしまうのだから、疲労と寝不足と湯上がりでボーッとした思考回路が既に麻痺してます(苦笑)。再びR151を北上し、東栄町に入ったあたりで“飯田まで85km”の表示を目にして、げげっ(苦笑)。と驚いても、今さら遅いんだわ。。。
 その東栄町からは天竜川と離れ、山間部を抜けていくR151。かつて別所街道と呼ばれたこのルートは、遠州三河と信濃を結ぶ街道として、武田信玄の三河攻めでも使われた道筋。ちなみに、勝頼が落ち延びたのは遠州街道で、現在のR153にあたる。
 とまぁ、そんな感傷を真っ暗闇な路面に感じられるわけもないまま、ハンドルを握る(^^;; R151は東栄町の中心部まではほぼ快適なロードだったものの、そこから先は「これでも100番代国道なの?」と思いたくなるような山道が続く。谷沿いに進む道路はどうにも行き場がなくなったところで90度、直角に曲がり、そのままトンネルに…という箇所もいくつか。そのトンネルは1.5車線もないような古びたもので、乗用車同士でもすれ違いたくないもの。もっとも、まだ20時前後だと言うのに、ここから1時間の間にすれ違ったクルマは5台だけでしたが。。。
 なお、この東栄町の中心部近くにはとうえい温泉があり、R151にも案内表示が。近くのバス停を見ると、飯田線の東栄駅から町の中心部を通って温泉まで町営バスが走っているようで、機会があれば訪れたいですねー。

 山間部を最後にトンネルで抜けた先は、愛知県最後の市町村、豊根村。ここまで来ると大半は無人の山中を進むルートとなり、20時過ぎなのに深夜のような気がしてくる。
 途中、湯〜ランドパルとよねの案内があり、分岐点から2kmとのこと。一瞬悩んだものの、立ち寄るとすればここが最後の温泉になりそうなので向かってみる。山間部をしばらく進むとさらに脇道への案内表示があり、村がこの温泉施設に力を入れていることが伝わってくる。そこには“営業中”&“21時まで”の記載もあり、時刻は20:30。何とか間に合った…と思いきや、到着してみると“入館受付20時まで”の表示が。ガーン。。。
 このエリアは自然と歴史的な見どころがけっこうありそうなので、再訪&リベンジを誓うと(苦笑)。

 再びR151に戻り、北上を続けると、いよいよ道路状況が悪くなってくる。センターラインは消え、大型車がギリギリ通れる程度のヘアピン、急勾配の連続する1車線道路。路面にはうねりや穴が目立ち始め、ほとんど補修もしていないと思われ…これで100番代国道!? と、今度はかなり本気で思う(苦笑)。
 集落もまったくない無人の山中が延々と続き、対向車もゼロ。ヘッドライトにいきなり何かが照らし出され…ちょこちょこと山の中に消えていった。あれはおそらく、野ウサギ? さらに進むと闇夜に浮かぶ真っ赤な目玉が…って、仮設信号か。。土砂崩壊、路肩決壊による工事区間が何カ所もあり、それぞれ対面通行になっているのでした。真っ暗闇、無音静寂の空間で信号が変わるのを待つ時間は、かなーり長く感じられる。。。夜に通るルートじゃないなと後悔し始めた頃、ようやく愛知・長野県境にたどり着くものの…今度は下り勾配になる分、かえって緊張する。。。
 と、疲労困憊になりかけてたところでようやく飯田市内に入り、人が住む空間に来たんだなぁと実感させられる。飯田が大都会に思えましたわ(苦笑)。

 飯田ICから中央高速に乗り、あとは東京を目指すのみ。
 中央高速・長野県内のSA&PAでは9月21日〜12月20日までどんぶり街道フェアを実施中だそうで、それぞれ趣向を凝らした丼をメニューに加えている。立ち寄った駒ヶ岳SAでは各SA&PAの名物丼が紹介されていて、見るとどれもなかなかおいしそう。駒ヶ岳SAの代表はソースかつ丼らしく惹かれたものの、辰野PAの“自家製山芋のかき揚げ丼”も魅力的。ちょっと悩んだ末、ここではやはり名物らしい木曽駒(味噌)ラーメンを頼み、辰野PAでゴハンものを食べることに。昼は五平もちと焼き鳥しか食べていないため、かなり空腹だったもので。。。その木曽駒ラーメンの“当店特製肉味噌スープ”は確かにうまく、注文している人が多いのにも納得。
 売店では“スタミナにんにくせんべい”(下伊那郡高森町マツザワMK製)を購入。うま♪ でも、一気に食べると気持ちが悪くなるので要注意(^^;; ニンニクはかなり強いです。


【↑(左)駒ヶ岳SAにて (中)木曽駒(味噌)ラーメン (右)にんにくせんべい】

 再び走り出し、さぁ、辰野PAだ。。。期待しながら入ってみると…閉まってるじゃん(T_T) 時刻は既に23時近く。考えてみれば、SAは24時間営業でも、PAは早い時間に閉店してしまうんだよなぁ。それに気づかないなんて、やっぱ冷静じゃないわ。。
 仕方なく、次のSA、諏訪湖SAの名物“日暮れ茶漬け丼”に期待をかけることに。どんぶり街道フェアの紹介では“グランプリ受賞”となっていることだし。まぁ、諏訪湖SAはこれまで何度も利用しているので、あまり新鮮みはないのだけれど。。そもそも、そんなメニューあったっけ? とか何とか思いつつ立ち寄ってみると、お目当ての日暮れ茶漬け丼は券売機に×マーク。何だよ、昼間限定かよー(怒)。だから見覚えがなかったんだ…。諏訪湖といえばワカサギだよなと自分を納得させつつ、わかさぎ丼を注文すると、ご飯の上にワカサギの天ぷらが“どーん”とてんこ盛りされた丼が(苦笑)。他には何の具もなし(T_T) そりゃ、ワカサギもおいしいけれど、そればっかりではあまりに寂しい…。


【↑諏訪湖PAにて。この写真をちゃんと見てりゃ、わかるって】

 各SA&PAでゆっくり休憩(しないと身体がもたない…)したため、八王子料金所を通過したのは深夜2時近く。さすがに疲れた…。
 あれ? 結局、どんぶり街道フェア参加メニューをひとつも食べてないじゃん(T_T)