旅にっき 【2004.07.23-08.02/九州→四国→静岡】 *PART2

 長崎(STL長崎)、鹿児島(アクターズスクール鹿児島)、名古屋(キャレス名古屋校)、徳島(ココナッツJr.)、掛川(ORANCHE)、浜松(T.C Sprout)でイベントを見るため、各地での観光を交えつつ、飛行機&青春18きっぷを利用して長期遠征へ(^^;;


 2004.07.26(Mon)

 名古屋→徳島

この日の行程

 この日は青春18きっぷを使っての移動日(^^;;
 東海道本線の難所、名古屋から米原への快速は、珍しく5連だったおかげで座れる。平日は大垣での乗換がないため便利だけれど、ふだんのように大垣で乗客が入れ替わらず、大半が米原まで乗り通す。青春18きっぷシーズンで、東海→関西への便利なスジですからねー。
 いっぽう、山陽本線の難所である姫路−岡山間は、相変わらずの113系3連。入線(岡山発1316M/14:42着)してきたときは6連、それも姫路寄り3連は転換クロスシート改造車で「おぉ(^o^)」と思ったものの、その3両は切り離し回送(T_T) この区間での転換クロスシート車編成は、姫路寄りに併結されることが多いよう。混雑を見越して(米原からの)接続1本前のスジにしたのは正解で、入線時はガラガラだったものが、接続する新快速2本が到着すると乗換客でかなりの混雑に。相生で立ち客がほとんどいなくなり、岡山が近づくにつれて混み出すパターンもいつも通り。平日でもこの状況なのだから、やはりこの区間の移動は“難所”ですよねぇ。乗車時間も長いし。
 岡山からの《マリンライナー》は、この日の行程で唯一“座れないかも”と予想した通り、児島まで座れず。本来ならここも接続を1本遅らせないと、岡山から座るのは難しい。

 高松からの高徳線列車は5連で驚いたけれど、始発時は座席がほぼ埋まる程度の乗車率。高松市内の小駅でもけっこうな乗降があり、志度、オレンジタウンあたりまではその状況が続く。市内の通勤通学の足としての定着ぶりは、予想以上かも。高松の通勤通学圏も広いなぁ。


【↑高松駅で発車を待つ375D】

 JR四国グループのよんてつ不動産が開発したオレンジタウンは、さぬき市(2002年4月1日、大川郡の津田町・大川町・志度町・寒川町と長尾町が合併誕生)の丘陵地帯に広がる四国最大のニュータウン。線路は丘陵地帯の谷間を通るのでニュータウン自体はほとんど見えなかったけれど、かなり広大なエリアですねー。ただ、わずかに見えたエリアでは、分譲地がかなり余っているようにも…?
 ここでようやく車内が閑散としてきて、ローカル線らしい雰囲気に(^^;; 香川県内最後の中心駅・三本松を過ぎると1両に数人ほどの乗車率となり、ガラガラなまま徳島との県境を越えていく。ただ、徳島県に入ると板野を始め、各駅からそこそこの乗車があったことには驚き。この時間帯から徳島へ向かう人の流れが、けっこうあるんですねー。徳島到着時には、座席が5割程度埋まる乗車率になっていました。
 しかし、対向列車との交換待ち、優等列車の通過待ちの多さには参りますねぇ。いったい何回あっただろう…。この375D列車の高松−徳島間の所要時間は2時間32分。ところが、1本前の高松17:01発369Dは1時間55分で徳島に着いてしまうんですね。他列車もおおよそ2時間の所要時間なので、375Dの遅さはハンパないです(^^;;


【↑引田駅で13分間停車の交換&通過待ち…のはずが、特急の遅延で18分停車に(^^;;】


【↑夜9時でも深夜のような雰囲気の徳島駅】

 徳島からは牟岐線列車に乗り換えて一駅、阿波富田で下車。宿泊予定のホテル野上屋は市内を流れる新町川の河畔に建ち、徳島駅からは徒歩10分以上かかりそう。でも、阿波富田駅からであれば徒歩5分程度で着くんですね。歩くか(牟岐線への)接続待ちをするかの選択では、やっぱ歩かないほうがいいかと(^^;;
 その阿波富田駅は、住宅街を見下ろす高架上に狭いホームが1面だけ。まるで仮設駅のようだけれど、開業は1934年(昭和9年)で、朝夜は特急《剣山》&《むろと》が停車(驚)。高松市内で見かけた高徳線の小駅同様、牟岐線沿線から市内南部への通勤・用務に便利な駅なのでしょうね。そう言う自分も徳島市内線として利用したわけで。


【↑阿波富田駅。駅周辺には自転車がいっぱい】

 チェックイン後は、ホテルで教えてもらった近くのラーメン店・阿波屋へ行ってみる。真新しい店の前には“中華そば専門店”の看板が。。。“徳島ラーメン”じゃないの?
 徳島ラーメンと言えば、コクのあるとんこつスープに醤油ダレを加えて煮込んだ真っ茶色の濃いスープに、豚バラ肉と生玉子入りな“すきやき風ラーメン”がそのイメージ。「徳島の人はこれをおかずにゴハンを食べる」とモノの本に書かれているものを期待していたのだけれど。。。
 とりあえず入ってみて、素材やら食べ方やら、うんちくが数多く書かれたメニューから名物らしい“阿波屋そば”(\700)+肉盛り飯(\300)を頼んでみる。そのラーメンには、確かに煮込んだ豚バラ肉が乗っているものの…量は少しだけ。肉で麺が見えないようなものをイメージしていただけに…? 玉子も生玉子ではなく煮玉子で、やはり抱いていた徳島ラーメンのイメージとは違う。まぁ、ラーメン+肉盛り飯の組み合わせでそれを実現しているとも言えますが。茶褐色のスープは、なるほど。伝統的な(?)徳島ラーメンとはやや異なる、新・徳島ラーメンといった感じですかね。
 とは言え、お味は上々♪ 徳島産黒豚と阿波尾鶏からとったスープ、肉は信州で専用に醸造した醤油で煮込み、ネギは九条ネギ、麺は讃岐うどんのような麺を特殊製麺…だそうで、素材にこだわったラーメン。また、徳島名産・すだちが付いてくるのも嬉しいところ。うんちくによると、残り1/3になってからかけろとのこと(^^;; きゅっきゅっ。うまー♪ 爽やか〜。
 しかし、店内はガラガラ。この店が東京にあったら、行列は間違いないでしょうねぇ。。

 店は新町川にかかる両国橋の河畔なので、帰りに橋の上から川面を眺めてみる。市内では8月の阿波踊りに向けて前夜祭的なイベントが始まっているらしく、川岸がキレイにライトアップされている。橋の欄干には阿波踊りの像が建ち、それが光を受けてキレイに輝いている光景は、ちょっと印象的。

 橋のたもとの公園ではチャリ暴厨房が夜遅くまで遊んでいる。平和だ。深夜になるとクルマ暴ヤンキーが爆音を立てて走り回り始める。これは平和じゃねー。


 ホテル野上屋

 この日からホテル野上屋に連泊。
 大浴場があるのは嬉しいところ。それほど広くないものの、やはり足が伸ばせるのは(^o^)
 玄関を入ったロビーは、ちょっと時代を感じさせる、30年前の観光ホテルと言った風情。建物全体も古いものの、清掃は行き届いているようであまり古さを感じさせないかも。
 予約していたのは《本館和室10畳バストイレ付インターネット無線LAN客室内可(限定3室・インターネット接続無線LAN客室部屋)》で、1泊\5,250。さすがに和室10畳は広々としていて、一人で占有するのがもったいないほど。座卓や浴衣など備品も問題なく、ビジネスホテルと言うより旅館に宿泊している感じ。これならのんびりとくつろげそう。。。

 が…。接続を試みた無線LANは×。旅の窓口の掲示板でも同様の書き込みを見かけたので、半信半疑ではあったのだけれど…窓際までPCを持っていって、ようやく強度が接続不可〜20%になる程度。部屋の真ん中に置かれた座卓の上では、100%接続不可。何でも基地局アンテナが建物外外、2車線道路を挟んだ反対側の駐車場に立てられているそうで、自分が宿泊した402号室(角部屋)は、無線LAN可な10畳和室3部屋の中でもっとも電波が弱いのだそう。って、これで“無線LAN可”はちょっとひどい。
 フロントから人が来て言うには「高さを稼げばマシになる」とのこと。そこで、窓際に移した座卓の上に化粧台を乗せ、その上でPCを使ってみると、何とか不安定ながらも繋がっている。でも、これでは中腰でPCを津合わざるを得ない。和室でくつろぐどころか、無理な体勢での修行に近い(^^;; と苦情を言うと、今度はフツーのOAチェアを持ってきて、これに座れば大丈夫…ってねぇ。わたさ、徳島まで無線LANの接続テストに来ているわけじゃないのよ。そもそも、何が悲しくて和室でOAチェアを使わなならんの。
 なわけで、和室でくつろぐどころか、夜中までバタバタして疲労困憊。結局、この日は接続を諦め。
 なお、翌日は多少状況が良くなり、部屋の真ん中でも何とか(何度か途切れつつも)アクセスできるように。周囲の影響を受けやすい無線LANだけに、日によって強度が変わるよう。それでも、ホテルが“無線LAN接続可能”として予約を受け付けるレベルじゃないと思いますが。

 また、部屋の蛍光灯が切れかけていて点滅しっぱなしなのにも閉口する。さらに、洗面台の照明は接触不良らしく点灯せず。
 翌朝、フロントに直しておいてくれるよう頼んで外出し、帰ってくると…なんとそのまま。再度フロントに言うと「替えたんですが、他のモノを替えてしまったようで…」。チカチカ点滅している蛍光灯を替えずに、他の何を替えたと言うんだか。しかも、「担当者が戻るまで待って下さい」と言われたまま、交換に来るまで40分以上も待たされることに。“担当者”って何だよ。交換作業ではホコリが部屋中に舞うし、ガタが来ている洗面台照明のほうは、修理不能。

 結局、2日続けて落ち着かない夜を過ごすハメに(T_T)。
 部屋の(特に窓の)遮音性も低いため、外部騒音も容赦なく入ってくる。深夜まで周囲でヤンキーが騒いでいて、さらに落ち着けず。ホテルに面した道路は交通量が多く、朝は7時から通勤? の改造バイクの爆音で叩き起こされ…環境はお世辞にもいいとは言えないですね。

 さらに。ホテルには無料レンタカーがあるというので、翌日は一日これを借りて動くことに。
 どう動こうか、牟岐線の運転本数では効率的に回れないなぁ…と思案していただけに、これは有り難い。
 が、出かけようとフロントへ降りていくと、「え? クルマですか?」と言われてしまう。昨晩、確かにお願いしたんですが…と言うと、しばらく待たされてOKに。車種は懐かしのチェイサー、昭和末期のGX71(^^;; かつては一世を風靡したクルマでしたね〜。スタイリッシュさは今見ても感じるところだけれど、およそ1年は洗車していないのではないかと思われる内外装は汚れまくりで、ゴミや灰皿も前使用者が残したまま。フロントウインドウの内側は激汚れで、暗くなると前がよく見えない(苦笑)。
 まぁ、走りに問題はないし、無料で使わせてもらってどうこう言うのもね。
 が、エアコンが効かないのだけは勘弁…。外の猛暑に比べればマシなものの、スイッチをオートから最強に変えても、ダクトからはぬる〜い冷風しか出てこない…。これ、エアコンのガスが抜けてるよ(T_T) 仕方なくスタンドでチャージを頼んでみると、旧フロンガス仕様のため整備工場に持ち込まないと不可という、予想通りのお答(^^;; 仕方なく、Tシャツ1枚で汗だくになりながらのヘロヘロドライブを余儀なくされることに。夕方になって気温が下がってくれば、Tシャツ1枚では肌寒い程度には効くんですけどね。。。
 ちなみに、ガソリンは満タン返し。って、走り出してから気づくと、最初から1/3しか入ってないじゃん…。電話で尋ねると使った分だけでいいと言うので、帰りがけに30リッター入れてみる。メーターは半分ちょい。うーん、10リッターぐらいは寄付したかな(^^;;

 なわけで。
 サービス精神は旺盛だし、いろいろ趣向を凝らして集客努力をしている点は認めます。建物の古さを差し引いても、宿泊料金は良心的(と言うより格安)だし。
 ただ、その全てに詰めが甘過ぎ(苦笑)。

 といった内容をまとめて旅の窓口掲示板に書き込んだところ、こんな回答が(一部抜粋)。

  • 無線LANの件

  •  「お泊まりになられたお部屋種3室のみがこの問題点がありますのでそのような問題が起きたときに対応できるPC作業用の椅子/机をその階に常設いたします。」
     →そーゆー問題じゃないと思うんですが…。

  • 部屋の遮音性の件

  •  「角部屋の位置から云って騒音が音楽に感じられる方(そのようなリピーターさんも多い)には問題外ですがそうでない方がご滞在の場合にはお部屋を変更させて頂く事に致しました。」
     →騒音を音楽に感じるほど修行は積んでないですねぇ。窓をサッシ化するだけでも全然違うと思いますが。

  • レンタカーの件

  •  「あくまで無料ですのですべてにご辛抱くださいね。エアコンはガス抜けではなくよくききます。お客様がA/Cボタン押し忘れでは?」
     →おちょくられてるんでそか。

  • 照明交換の不手際の件

  •  →返答なし。

     ダメだな、こりゃ。


     2004.07.27(Tue)

     徳島→日和佐→徳島

    この日の行程  レンタカーで一日、牟岐線沿線をドライブ。

     足もあることだし、特にプランを考えることもなく行き当たりばったりの牟岐線沿線ツアーへ(^^;;
     昨晩はあまり寝られず朝に二度寝してしまったため(苦笑)出発が遅くなり、由岐町日和佐町までは行くとしても、それより先は難しそう。。。

     国道55号線はずっとバイパスが続き、立ち寄ってみたいスポットは何も現れない。郵便局すらないんだものなぁ(苦笑)。ま、とりあえず羽ノ浦町を目指そう。週末にはココナッツJr.のイベントを見に来る予定なので、下見を兼ねて。後に台風直撃でイベントは中止となり、意味ナシの下見になってしまいましたが(T_T)


    【↑羽ノ浦駅】

     羽ノ浦からは国道を離れ、県道をのんびり走る。予定を決めないクルマ移動だと、結局は郵便局&駅巡りになってしまうんだなぁ(苦笑)。気まぐれで立ち寄った新野駅では、巨大なリュックを背負った数人の外国人旅行者が列車を待っていて驚き。こんなところで降りて何をしているのかしらん。って、他人のことは言えないか(^^;;
     阿波福井駅付近で国道55号に合流し、由岐を目指す。


    【↑(左)阿南市郊外の県道羽ノ浦福井線 (中・右)新野駅】


    【↑阿波福井駅は駅舎内にうどん屋が。陽のあるうちに先へ進みたいので帰路に寄ろう…が、帰りにはもう閉店していた(T_T)】

     阿南市から由岐町に入ると、鉄道は海岸近くを進むものの、国道は山間部をトンネルで貫いていく。このあたり(室戸阿南海岸国定公園)は複雑に入り組んだリアス式海岸のすぐそばまで山肌が迫っているため、平地が少ないんですね。国道55号線から由岐町中心部へは、国道から分岐した県道で由岐坂峠を越える山越えルートとなる。


    【↑(右)由岐坂峠。遠方にはかすかに海が見える】


    【↑由岐駅。(中)駅舎には水槽展示ホール:ぽっぽマリンを併設。この日は休館日で入れず】


    【↑(左)県道由岐大西線・大井峠付近の潮吹岩展望台から。 (左)浸食で貫通した洞窟がある潮吹岩 (右)付近に広がるリアス式海岸線】


    【↑夏季のみ営業の臨時駅・田井ノ浜駅。 (中左)右手が駅。ホームから目の前の海水浴場に直結 (中右)駅入口。駅舎や改札はもちろん、案内標識すらナシ】


    【↑木岐駅。駅の前後には山が迫り、駅周辺だけが小さな平地となっている】


    【↑(左)木岐駅入口 (中・右)駅周辺の、のんびりとした光景は時間が止まったかのよう】

     木岐から日和佐までは、山越えで国道55号線に戻るか、海沿いに山座峠を越える旧街道の二通りのルートがあり、選んだのは旧街道ルート。これがまたくねくねとヘアピンが連続する狭い山道で、昔はこの道しかなかったのかと思うと、このエリアがいかに難所であったのかを実感させられましたね。行き交うクルマもほとんどなく、峠を越えると一気に下り、ようやく日和佐の海が見えてきた頃には正直ホッとしますた(^^;;

     日和佐へと下る途中の道筋には、荒波で浸食された洞窟:えびす洞が異彩を放っている。標高52メートルの岩山の内部が幅32メートル、高さ31メートルに渡って貫通している姿は、なかなかのもの。クルマ2〜3台が停められるほどの狭い駐車スペースの端から遊歩道が延びていて、その巨大洞窟を間近に眺めることもできる。


    【↑(左・中左)えびす洞・遊歩道 (中右)周辺は切り立った崖 (右)えびす洞】

     えびす洞から日和佐方面に下るとすぐ、えびす洞温泉の一軒宿、ホテル白い燈台が道沿いに建っている。道路と海岸に切り立つ崖との間の、わずかなスペースに建てられた白亜の姿は、ウミガメの産卵で知られる日和佐・大浜海岸からも見ることができる。逆にホテルからは太平洋と日和佐海岸を一望にでき、なかなかのロケーション。ちょっとしたリゾートホテル風?
     フロントで尋ねると温泉は天然温泉だと言うので、一浴びしましょ(^^;; 身体中、汗だくなので。。。ただし、温泉はそれほど広くはない内湯だけのようで、薄茶褐色の湯はやや塩味(ナトリウム塩化物泉/循環加熱)。景観が素晴らしい露天風呂は無色透明の湯で、こちらは真水の沸かし湯?
     また、脱衣場には背中に見事な入れ墨を彫ったお二人が、上半身裸の姿で「シャバ」だとか「ムショ」だの単語が飛び交う、かなーりリアルなおしゃべりの真っ最中…。ここまで来て入浴しないのも悲しいので、とっとと服を脱いで、平然としたフリ(苦笑)で浴室へ。一日ここで過ごしているらしく、湯上がり休憩の間にこちらが入浴したよう。自分が湯船から出ようとすると、ちょうどお二人が入ってきて…図らずも入れ違いで、ホッ(^^;;

     日和佐まで山を下りてくると、ウミガメの産卵地・大浜海岸はすぐ。
     なだらかで美しい浜辺は、ただそれだけでも立派な景勝地でしょうね。周辺も意外なほど“何もない”環境で、逆に言えば、ウミガメ産卵地の環境を守ろうとする姿勢が感じられます。みやげもの屋やら何やらが所狭しと並ぶような観光地を想像していただけに、その何もなさにはかえって好印象。


    【↑(右)前方山腹に見える白い建物がホテル白い燈台

     海岸沿いで目立つ人工建造物は、国民宿舎うみがめ荘と、隣接して建てられるうみがめ博物館カレッタだけ。ここでは、ウミガメの生態や環境保全について知ることもできる。それによると、ここ大浜海岸に産卵上陸するウミガメはアカウミガメで、世界各地にウミガメの大規模産卵上陸地はあるものの、アカウミガメのそれは世界でも大浜海岸だけらしい。貴重な場所なんですね。
     国民宿舎との間には人工池があり、1950年(昭和25年)から飼育されるアカウミガメが何匹も雄大な泳ぎを見せてくれます。と言っても、その巨大な身体からすれば池が小さ過ぎるようで、すぐ壁にぶつかってしまう姿はちょっと可哀想でも。。。


    【↑(左)うみがめ博物館カレッタ (中)屋外水槽と生後54年のアカウミガメ】

     このアカウミガメは、1950年、日和佐中学校の生徒たちが日本で初めて(世界的にも珍しい)ウミガメの生態研究を始めた際、産卵後の子ガメから飼育を始めたもの。もう50年以上も生きているんですね…。その研究開始のきっかけは、同中学の生徒が1950年6月18日、大浜海岸に産卵のため上陸したアカウミガメの死体を発見したことからだとか。当時は戦後の食糧難の時期でもあり、県外から流れてきた人間が食用に殺したということらしく…。環境問題や動物保護などの考えがまだ未熟な、食生活すら困難だった時代に保護研究活動が始まったことには驚かされますねぇ。

     なお、その後の日和佐町によるアカウミガメ保護政策をまとめると…

  • 1960年:ウミガメの飼育が町立水族館に引き継がれる。
  • 同年から大浜海岸でのウミガメの産卵が公開され、絶滅の危機にあったウミガメ保護を広く訴えかけていくように。
  • 1965年:ウミガメ保護監視員を置くようになる。
  • 1967年:文化財保護法によって日和佐町のウミガメが天然記念物に指定。
  • 1973年:本格的な保護政策を開始。
  • 1985年:うみがめ博物館カレッタが完成。飼育中のウミガメも同所に移される。
  • 1995年:町が《ウミガメ保護条例》を制定。「教育、広報活動を通じてウミガメ保護の必要性について町民の理解を深めるよう努める」いっぽう、町民は「町が実施するウミガメ保護に関する施策に協力しなければならない」ことに。
  •  なるほど、海岸の美しさと“何もなさ”は、こうした努力で保たれてきたものなんですね。。。
     うみがめ博物館カレッタにはウミガメ上陸数が記録されていて、それによるとこの日までの今年のウミガメ上陸頭数はまだ数頭。ここ数日間はゼロで、本格的な産卵時期はもうちょっと先になるよう。やはり記録される年間上陸頭数(平均80頭近く)の推移によると、ここ10年ほどは年々減少傾向にあるようで、ちょっと気がかり…。ただ、年間10頭ちょっとだった年も過去に何度もあり、減少の後にある年、急激な増加という歴史を繰り返しているようなので、一概に不安視することはないのかもしれませんが…。

     ちなみに、この大浜海岸にアカウミガメが大挙して産卵上陸してくるのには、以下の理由が考えられるそう。

  • 砂質(粒径)が産卵に適した大きさである。
  • 海岸の沖合いに岩礁地帯があり、エサ(魚介類や海藻)も豊富で、カメの交尾や憩いの場になる。
  • 海岸に光や音を出したり、野犬など人工、自然の障害がない。
  • 日差しが強い。
  • 砂浜が広く、産卵場所が波に洗われる心配がない。


  • *参考:財団法人地域活性化センター編集、インターネットマガジン《月間 地域づくり》2002年8月(第158号)「ウミガメと共存するまちづくり目指す

     大浜海岸でのんびりしたこともあって、時刻はもう夕方。急いで日和佐駅のある町の中心部を抜け、日和佐港をはさんで入江の反対側にある日和佐城へ向かう。


    【↑日和佐駅】

     同城は町郊外の小高い山の頂上に建つ山城で、町内のどの場所からもその姿を見ることができるため、町のシンボル的な存在でもあるよう。再建物だとはわかっているものの、やはり“城”と名が付くものには足跡を残しておかねば(^^;;
     が、つづら折りの山道を登り切り、よーやく着いた…と思ったところ、入口のほうから管理人らしきオジサンが降りてくる。ひょっとして? と尋ねてみるとやはりそうで、「この暑さじゃ来る人もいないし、今日はもうおしまいだよ〜。申し訳ないね」と(T_T) 開館時間は09:00-17:00で、現在の時刻は16:50。まぁ、仕方ないか。。。(残念) 白亜の天守閣(再建)の城内は、町の歴史民俗資料館的な装いになっているはずなんですが…。

    日和佐城 (同サイトより引用)

     元亀・天正(1500)年代の初め頃、日和佐の豪族日和佐肥前守が、阿波の南部侵入を目指す土佐の長宗我部勢を防ぐためにこの地に城を築いたと伝える。日和佐肥前守が造った城は、天正十三(1585)年蜂須賀家政が、阿波に入国した際に廃城になったといわれているため、当時の城の形態に関しては、全くわかっていませんが、城の構えは、山城であったと考えらる。
     現在は、昭和53(1978)年に日和佐勤労者野外活動施設として完成した、白亜の天守閣が建っている。


    【↑(左)駅前より日和佐城を望む (中)日和佐港からも城が見える (右)日和佐城

     日和佐には千羽温泉(ホテル千羽)という温泉もあるものの、陽のあるうちに立ち寄りたいところがもう1カ所あるため、先を急ぐ(というか、徳島方面へ戻る)。
     お目当ては、日和佐の一駅、徳島寄りの牟岐線・北河内駅。なぜお目当てかと言うのは…まぁ追求しないで(^^;;


    【↑(左)北河内駅周辺 (中)駅入口 (右)無人駅化以前は駅舎があったと思われる駅前】


    【↑(中左)木岐方面 (中右)日和佐方面】

     さぁ、あとは帰るだけ。国道55号線をひたすら徳島市内を目指して走る。
     それにしてもこの国道55号線。阿南から先はそのほとんどがバイパス化されていて、どこをどう走っているのかさぱーりわからない(^^;; 旅の情緒めいたものもほとんど感じず、走っていても面白くないんですねぇ。まぁ、片側2車線の立派な道路で走りやすいのは確かですが…が、どこで何をやっているのかわからないのでスピードを上げることもできず(苦笑)、信号もけっこうあるため、意外に時間がかかる。徳島までは感覚的なもの以上に距離があるというか。。。徳島県は東西に長いというイメージだったのだけれど、意外に南北も長い。。。
     国道や牟岐線の内陸部には高速道路の建設が進んでいるようで、時おり、その高架を垣間見ることも。この距離と所要時間を考えると、確かに高速道路ができると便利になるでしょうね。ただ、現実の利用度は…。

     小松島を過ぎて徳島市内に入るあたりからは大渋滞が始まり、この区間だけは高速が欲しいかも(苦笑)。
     ホテルへ戻る前に、帰り道からほとんど寄り道ナシで立ち寄れる徳島ラーメン店:開運亭で食事。ガイドブック類にもよく掲載されている店で、でてきたラーメンはその写真で見ていた通りの典型的な徳島ラーメン! 地元では、このテのラーメンを(やはり有名店の)“巽屋系”と呼ぶらしいですね(^^;; 本家のほうも一度食べてみたいけれど、余所者には立ち寄りにくい場所だからなぁ…。
     焦げ茶色のスープは見た目以上にマイルドで、やや甘口。甘辛く煮込んだ豚バラ肉がいい味わいで、なるほど“すき焼き風ラーメン”だわ。ただ、個人的にはもう少しこってりしたスープのほうが好みかも。おいしいのだけれど、一緒にゴハンをパクパク食べる…と言うには、やや物足りなさも感じるので。まぁ、実際にはこれぐらいのほうが食べやすくていいのかもしれませんが。。。
     また、お会計の際には45円が入ったビニール袋を渡されました。“始終ご縁がありますように”の意味だそうで、面白いサービスかと。


    【↑肉玉小\550+小ライス。量は“肉玉小”でもけっこうあり。“中”はなく、あとは“大”と“特大”】

    *参考リンク→徳島ラーメン総合サイト:徳島麺's倶楽部


     2004.07.28(Wed)

     徳島→鳴門→脇町→高知

    この日の行程

     頑張って早起き(^^;;
     徳島での待ち時間には、キオスクで徳島名産、孔雀の《なると金時》(10個入り/\900)を購入。ホームのベンチで朝食代わりに2〜3個食べてみると、なかなかおいしい。でも、食べ出すと止まらないね、これ(^^;; 1コずつの包装紙が商品を紹介する新聞記事を印刷したものなのは、アイデアかも。


    【↑徳島駅】


    【↑なると金時】

     徳島からの鳴門行列車はキハ40系4連で驚き…って、ふだんなら通学列車なので当然か。夏休みのはずのこの日も、なぜか車内は高校生が多く、各ボックスが数人ずつ埋まる乗車率。途中駅で制服が入れ替わるので、沿線には高校が多いんでしょうね。終点・鳴門の一駅手前の撫養まで、けっこうな混雑でした。


    【↑鳴門駅。駅員氏手作り(?)の花壇や生け垣など、構内の隅々まで手が入れられていて気持ちいい駅でした】

     鳴門駅前からのバスには、自分以外にも観光客らしき乗客が数組。地元の人は途中で下車してしまい、残った観光客は自分を含めて3組。1人が大塚国際美術館で下車し、亀浦口で自分が下車。残った男女ペアは終点の鳴門公園まで行くんでしょうね。朝のこの時間から路線バスで訪れる観光客が複数いることに、ちょっと安心。


    【↑(左)鳴門駅の売店で“すだちジュース”発見! さっぱりすっきり味 (中・右)バス車内や駅には、甲子園出場を決めた鳴門第一の応援が】

     ただの道路上の亀浦口バス停でバスを降りても、何の案内もないので周囲をキョロキョロ。と、100メートルほど離れたところに漁港へ降りていく道があり、それらしき建物も見える。行ってみるとやはりそこが亀浦漁港で、“それらしき建物”が高速観潮船うずしお汽船。同社のサイトにはバスでのアクセス方法が記されておらず(クルマの客以外は無視?)不安だったけれど、まぁ、これなら迷うこともないか。
     乗り場はまさに漁港の一角にあり、のんびりとした雰囲気。乗船券売り場は待合室兼みやげもの屋になっているものの、他に乗客はナシ(苦笑)。この日は08:30が干潮(南流)なので、09:00発の便にはそれなりに乗船客がいるのでは…と思ったのだけれど。近年は人気のアクアエディ(水面下の渦が見られる特殊船)や大型観潮船を持つ鳴門観光汽船のほうが人気で、老舗のこちらは乗客が減っているよう。路線バスでのアクセスはこちらのほうが便利なのだけれど、そんな需要は少ないでしょうからねぇ(苦笑)。発着地の漁港が狭く、大型バスが横付けできなかったり、駐車場の収容台数が少ないなどの点から客離れが進んでしまったよう。鳴門公園からの帰りのバスは鳴門観光汽船の発着地・亀浦観光港を通ったけれど、そちらは周囲が広く、いかにも観光地然とした趣きでしたから。。。


    【↑(左)亀浦漁港 (右)高速観潮船うずしお汽船乗船券売り場&待合室】

     ただ、アクアエディは朝一番の出航が09:15とやや遅くなってしまうのが難。また、大型船よりも小型船のほうが間近で渦を見られて迫力なはず…という理由から、今回は高速観潮船うずしお汽船を利用することに。
     そもそも、この時間帯には亀浦観光港を経由するバスがないため、必然的に亀浦漁港発着になるわけで。
     高速観潮船うずしお汽船が発着する亀浦漁港と鳴門観光汽船が発着する亀浦観光港とはけっこう離れていて、鳴門駅−鳴門公園を結ぶバス路線(鳴門市営バス:鳴門起点、徳島バス:徳島起点)の全便が亀浦漁港を経由するのに対し、亀浦観光港を経由するのは日中の便のみ(徳島バスは日中のみの運行)。そのため、朝や夕方の亀浦観光港からの乗船(鳴門観光汽船)に路線バスは使えないと。こうした事情は時刻表やガイドブック(観光関連サイト)からはなかなか把握することができず、現地に行って確認できたことなんですけどね。観光客=クルマ利用が前提の情報しか発信されていないのは、近年どこへ行っても感じることですねぇ。

     なお、その日の干潮、満潮については鳴門市が開設している鳴門NAVIや、各観潮船会社サイトなどで確認できます。
     いろいろ調べてみると、まず、いちばんダイナミックにうず潮が見られるのは大潮時。が、この週の大潮は週末までないため×。それでも連日、中潮なので、小潮の日よりは大きなうず潮が見られるらしい。大潮時は満潮・干潮の前後2時間、中潮時は同じく前後1時間半ぐらいがうず潮の見頃なのだそう。と、ここまでは一般的な観光ガイドやサイトでも触れられていること。次に、満潮(北流)と干潮(南流)では、どうやら干潮時のほうが渦をダイナミックに感じられるらしい…ことは、あまり触れられていない。1日2回の見頃に差をつけると、観光客減につながるからでそか。。。
    *参考:小橋(おばし)靖(やすし)の「塩の世界」と「鳴門海峡の渦潮(うずしお)」サイト内鳴門海峡の渦潮(うずしお)ページ

     なわけで、この日は中潮日の干潮30〜40分ほど後に訪れることになるので、それなりにダイナミックな渦が見られそう? 乗船時刻の10分ほど前に08:30発の便が戻ってくると、そちらには数人の乗客が。本当はその便がベストなのだけれど、列車で徳島方面から来るなら、これ以上早くは無理(^^;;

     乗船した船は予想以上に小さく、こんな小型船で大丈夫? と思ったけれど、まぁそのほうが面白いか(^^;; 出発時刻になっても出航しないのでおかしいなと思っていると、どうやらホテルからの予約客を待っているよう。その一向数人がホテルのクルマで送られてきて、5分遅れで出航。干潮時刻はどんどん過ぎていくし、少しでも早く行きたいんだけどなぁ。ま、乗客一人ではこちらも何も言えない。。。
     港内を出るとエンジンが壊れるんじゃないかと思うほど全速力で飛ばし始めるものの、揺れは思ったほどではない感じ。デッキに出て淡路島とを結ぶ大鳴門橋を眺めていると、その真下まで来たあたりで「そろそろですよ〜」の声。あ、もう? 出航してから5分も経っていないような…。デッキには係員が出てきて、「あそこ!」とか「右!」など、渦ができそうなところを指さして教えてくれる。なるほど、今にも大渦ができそうなタイミングで教えてくれるんですね〜。でも、最初のうちは「どこどこ?」と探しながらカメラを構える頃には渦が収まりかけている…の繰り返し。そのうちにこちらも慣れてきて、「あそこ!」「おぉ!」と、けっこうな数の(規模の)渦を見ることができました。現れては消え、またちょっと先に現れては消え…手を伸ばせば届きそうな位置でうごめく渦を見ていると、まるで生き物のように見えて面白いこと。この感覚は、大型船やアクアエディの水中展望では味わえないものでしょうね。やっぱ、この船で良かったかも。。


    【↑(中左)川の急流のような流れが海上にでき、穏やかな海面との境目には段差ができている (中右)5分ほど遅れて鳴門観光汽船の大型船がやって来た
    (右)さらに10分後、こちらがそろそろ戻ろうかという頃、同じくアクアエディがやって来て、大型船の後ろをついてまわる】

     実際にうず潮の中にいた時間は、10分間あるかどうか。それでも十分に堪能できるものなんですね〜。けっこう満足して亀浦漁港に戻ると、次の便を待つ人が10人ほど。これから行っても遅いかも。。。切符売り場で預かってもらった荷物を受け取り、こちらは鳴門公園を目指して歩き始める。
     切符売り場のおばちゃんは「裏手の階段を上れば遊歩道があるから、歩いても10分ぐらい」と気楽に言っていたものの、鳴門公園ははるか山頂になるため一気の山登り(^^;; 猛暑の中でこれは辛い…荷物がなければまだマシなのだろうけれど…。歩いている人など皆無で、遊歩道の終点、大鳴門橋架橋記念館エディの裏手まで登り詰めた頃には人目もはばからず「はーはーぜーぜー」。並んでいる売店前の休憩スペースに転がって、すだちシャーベットを食べながら人心地に。。。全身汗だくでフラフラなお客を見て、売店のおばちゃんがちとビビッてました(苦笑)。歩いてくる人などいないんでしょうねぇ。


    【↑(左)歩く人もいない遊歩道 (右)すだちシャーベット。爽やかな味】

     目の前の大鳴門橋架橋記念館エディでは、大鳴門橋の橋桁内に設置された全長450メートルの遊歩道・渦の道との共通割引入場券を販売中。大鳴門橋架橋記念館エディ:\600、渦の道:\500の計\1,100が\800になるそうなので、購入。まずは渦の道のほうへと歩いてみる。
     すぐそばが橋…というイメージだったのだけれど、記念館から渦の道の入口までは、炎天下を10分弱ほど歩かなくてはならない。すぐ後ろに小学生の団体が来たため急いだこともあって、ヘロヘロな身体と頭がさらにヘロヘロになった頃、ようやく到着。ちなみに、小学生は北海道から来たそうな。ほぉー。
     遊歩道は意外に長く、渦が巻いているほぼ中心部まで行くことができる。おそらく、架橋工事用の足場を整備したものなのでしょうね。ところどころ直角に曲がったり、一気にまっすぐ進んだりを繰り返しながら、最奥の展望スペースまでは10分弱。その床面にはタタミ一畳ほどのガラス窓が計8カ所埋め込まれていて、眼下&真下に渦を見ることができる仕組み。これはなかなかのアイデアもので、渦がだいぶ収まってきた時間帯なため迫力は今ひとつなものの、先ほど船で走った海を上から眺めるのは不思議な気分(^^;; 単純な施設だけれど、観潮船とセットで見ると予想以上に楽しめるかも。


    【↑(左)最奥の展望スペースに床窓が (中)窓から眼下の海を望む (右)通路からはフェンス越しに45メートル下の海を見下ろせる】

     大鳴門橋架橋記念館エディに戻ってからは、大鳴門橋建造の歴史やら、四国各地の石橋や吊り橋についてお勉強(笑)。いちばん興味深かったのは、かずら橋の掛け替え行程を説明するビデオだったりして(^^;; ビデオや模型が数多く用意されていて、こちらもなかなか楽しめる(考えられた)施設ですね〜。それこそ、小学校の社会科見学には最適かも(苦笑)。

     では、バスで鳴門駅方面に戻ろうか…と思ったものの、大鳴門橋架橋記念館エディの周辺をうろうろしてもそれらしき場所が見あたらない。記念館の前は大きな駐車場になっていて、その中にバス停はない模様。別の駐車場への案内があるのでそちらかと歩いていっても、やはり駐車場が広がるのみ。そこには周辺案内図があったので見てみると、バス停は少し下のほうにあるらしい。仕方なく、ぐるぐる螺旋状に山を登ってくる車道を下り始めると…駐車場の真下、大きなカーブを曲がった先にありました。山の中腹になる位置なので、頂上の記念館や駐車場周辺を見渡しても見つからないわけだ…。
     急カーブの道路の待避スペースのようなところに作られた鳴門公園バス停(路線バスの起終点)には、鳴門市営バス(鳴門行)と徳島バス(徳島行)が仲良く並んでいる。徳島バス(徳島行)のほうが先の発車なのでそちらに乗り込むと、乗客は2組(^^;; ここまで歩いてくるだけでも汗だくなので社内の冷房で人心地ついていると、発車間際になって、朝のバスでも一緒だった男女ペアがやってきた。ずいぶんとのんびり過ごしていたんだなぁ(^^;;
     彼らがやってきたほうを見ると、山の上に向かって遊歩道らしきものが伸びている。どうやらそれが、記念館周辺とバス停とを結ぶルートらしい。おそらく、駐車場の端っこに遊歩道の出入口があるんでしょう。そんなの、歩いてきてからバスに乗ろうとしている人間にはわかんねー。もうちょっと案内をちゃんとして欲しいなぁ。駐車場の案内だけはやたら親切なのに…まぁ、それだけ路線バスを利用する観光客が少ないということでしょうね。駐車場近辺の賑やかさに比べ、バス停付近には休憩処&みやげもの屋が一軒のみ。それも、開店休業のような状態で営業中なのがうら寂しい。。。


    【↑鳴門公園バス停で発車を待つ徳島バス。左上方に見えるのが高速&大鳴門橋。右手の山を橋と同じ高さまで登ったところが記念館&駐車場】

     先ほどの二人組は関西方面への高速バスに乗り継ぐようで、運転手に教えられたとおり、小鳴門橋を渡った徳島バス営業所で下車。すぐ横には高速道路の高架があり、地上と高架上のバス停へはミニケーブルカー(スロープカー)で結ばれているらしい。一度乗ってみたいかも(^^;; そのスロープカーは、バス営業所とは道を挟んだ反対側、高速道路の高架をくくぐったところの鳴門市観光情報センターの裏手に乗り場があるそう。路線バスの停留所からは一見するとわからない位置なため、周辺の案内表示がもう少し必要なのでは。その二人組もあさっての方向に歩き始めてしまい、運転手が慌てて「こっちこっち」と教えてあげていました。
     ちなみに、関西方面との高速バス(本四海峡バスなど)には、鳴門公園口、高速鳴門の二つのバス停があり、鳴門公園口はまさしく鳴門公園のすぐそば。ただし、関西方面からのバスの降車専用で、徳島方面からの下車や、両方面への乗車は不可。いっぽう、高速鳴門のほうは関西方面からの下車、同方面への乗車が可能。そのため、先ほどの二人組も鳴門公園から路線バス→高速鳴門から高速バスで関西へ向かったのでしょう。

     鳴門では郵便局に立ち寄ったおかげで、1時間近い列車待ちに(^^;; あまりの暑さに待合室から動く気力もなく、ベンチで昼食代わりに“なると金時”を食べて過ごす。待合室も吹き抜けで非冷房だけれど、外にいるよりはずいぶんマシなので。。。
     いったん徳島まで戻り、徳島線列車に乗り換えて穴吹を目指す。ここでは初めて1000形気動車に乗車。JR四国が1990年、ローカル線の老朽車両取り替えのために製造した車両で、車内は通路を挟んで片側が固定式クロスシート、反対側がロングシートという変わった作り。クロスシートに座っているとロングシートに座った乗客からの視線を感じる…ものの、お互いに目を合わせることはないので、これはこれでローカル線向きなのかも? これだけ運転距離の長いローカル線だと、乗車率の高い区間と低い区間が極端になりますからね。クロスシートだけ、ロングシートだけでは、それぞれの区間の乗客に利便性を保つことが難しいだろーし。


    【↑キハ1000形。3ドアの中央部のみが両開き】


    【↑列車交換待ちの牛島(うしのしま)駅にて (右)交換列車はキハ185系・特急《剣山8号》】


    【↑穴吹駅。山間の小駅ながら、立派な瓦葺き駅舎が“うだつ”の街・脇町への玄関口を感じさせる】

     穴吹駅と“うだつ”の街・脇町との間には路線バスがあるものの、運転は1日4往復。この時間帯はバスがないので、タクシーで脇町へ向かう。
     穴吹町脇町との間には吉野川が流れているため、両町を結ぶ穴吹橋が完成し、穴吹から鉄道を利用できるようになったときの脇町は町を挙げて祝ったとか。かつては吉野川を利用した水運が物流の手段で、対岸を走る鉄道の利用は悲願だったそう。って、時代を感じさせる話ですね。今や吉野川の北岸・脇町側に高速道路が開通し、インターチェンジもできて繁栄するいっぽう、南岸の穴吹町側は時代に取り残されたような姿を見せているので…。
     その両町の間には潜水橋が残っているので、タクシーでそちらを回ってもらう。遠回りかと思ったら、運ちゃんによると“うだつ”の町並みへ行くのなら距離は変わらないとのこと。その舞中島潜水橋は、クルマ社会からは取り残され、昔懐かしい姿を残している…ものを想像していたら、何のことはない、立派なコンクリート橋(^^;; 行き交うクルマもけっこう多く、現役の橋としてきちんと整備されているようですね。ただ、欄干も何もない橋はやっぱり怖い(^^;; 運ちゃんは慣れたハンドルさばきで渡っていくけれど、自分で運転して渡るとしたら、おっかなびっくりでしょうねぇ。


    【↑舞中島潜水橋 (脇町側から穴吹側を望む)】

     そして、脇町へ。
     「このへんからが“うだつ”の町並みだから」と降ろされたのは、まさに保存された“うだつ”街の西の外れ。役場や脇町劇場などがあるのとは反対側の、言ってみれば裏側の外れという場所。とことこ歩き始めると、すぐ右手に郷土資料館が現れる。ここは観光協会も兼ねているので、パンフレットや地図をもらって、また歩き始める。
     1.5車線程度の舗装道路の両脇には“うだつ”の町並みがずっと続いていて、様々な特殊建築が残る建物の前には、それぞれ案内・解説板が設けられている。その中には喫茶店、みやげもの店などを開いている家もあり、一軒ずつのぞいていても飽きがこない。歩いてる人もほとんどなく(観光客も見かけない)、静かで時が止まったかのような町並みには不思議な魅力を感じましたね。以前にここを訪れたことのある知人から「何となく半日もいてしまった」と聞いていたけれど、確かに、のんびりしようと思えばいくらでも時を止めていられる空間が、そこにはありました。

    うだつ(卯建)

     町家の妻壁の横、隣家との境界部分に目隠しのように張り出した袖壁のことで、防火の役目を果たしたことから別名“火よけ壁”とも呼ばれる。江戸時代には富の象徴ともされ、富裕な家はこの卯建をあげた立派な家を造っていた。
     この脇町“うだつ”の町並み(南町通り)は道の両側約430メートルに渡って藍商の屋敷が続き、各家が白壁に黒本瓦の、それぞれ趣向を凝らした造りを見せる。伝統的建造物は88棟、環境物件(石垣や井戸等)は65件、修景物件(母屋、塀等)は94件。通りに面した母屋のうち伝統的な町屋は50戸あり、うち22戸が間口四間半(9m)以上の規模となっている。
     その特徴は、屋根は本瓦葺き、2階の窓は防火に重点をおいた“虫籠窓”、2階の屋根の両端にしっくい塗りの“卯建”が見られること。最古の建物は1707(宝永4)年の棟札まで確認されている。
     脇町の“卯建”の歴史は江戸時代、阿波藩主・蜂須賀家政の時代に遡る。脇城代に任ぜられた第一家老・稲田植元によって奨励された阿波藍の藍商が栄え、脇町は藍商人の町として発展してきた歴史を持つ。その藍商たちが競うように建てた屋敷の建ち並ぶ南通りが現在の“うだつ”の町並みで、かつて脇町の中心はこの南町にあり、南通りは明治以前の本通りでもあった。
     地元では町内全戸が保存活動に参加、町並み保存と修復に努め、1984(昭和59)年には《脇町の文化を進める会》が発足、多彩な文化活動を行なってきた。建設省からの《手作り郷土賞》や《日本の道百選》選定を経て、1988(昭和63)年には町当局が市街地景観条例を制定するなど保存対策を進め、同年9月16日に保存地区を決定。文化庁によって全国で28番目の《重要伝統的建造物群保存地区》に選定される。
     なお、ことわざの「うだつがあがらない」とは、この卯建から生まれたもの。

    (脇町産業観光室発行パンフレット、脇町公式サイトなどから引用抜粋。)


    【↑(左)脇町うだつ郵便局も本瓦葺き。場所は“うだつ”町並みの北西、徒歩10分弱でちと遠い(^^;;
    (中左)西外れから見た“うだつ”町並み (中右)中心部から東方向を望む】


    【↑(左)もっとも古い(宝永4年建築)国見家 (中左)卯建と虫籠窓(2階部の格子状の窓)がよくわかる家 (中右)格子造り
    (右)格子造りがひときわ長く伸びる家。2階部には虫籠窓がいくつも見られる】

    虫籠窓(むしこ窓)

     格子のような窓で、木や練り土に漆喰を塗ったもので堅牢に作られている。本来は盗難除け、部屋の明かり取り、風通しを良くするために作られたものだが、時代とともに装飾的な面が強くなった。

    格子作り

     細かい角木を縦横に間をすかして組み合わせ、窓や出入口に取り付ける建具。出格子などは、旧商家が威勢を表す建築様式でもある。


    【↑(左)しとみ戸 (右)各戸の裏手には吉野川とつながる水路&藍などの河川交易で栄えた船着き場跡が連なる】

    しとみ戸(蔀戸)

     格子組みの裏に板を張ったもので、日光を遮り、風を防ぐ働きをする。昼は蔀梁(しとみばり)の内側に設けた戸決(とじゃくり)に納めておき、夜は降ろして戸締まりとする。

     しばらく歩いてみたものの、喫茶店やみやげもの店を営業している家以外はほとんどが実際に生活されている家のため、中に立ち入ることができるのは数軒のみなよう。その公開家屋も吉田家を除けば未整備で、人が住んでいた頃そのままの状態で公開されている。あらためて町並みを眺めると(非公開ながら)空家になっている家も数軒あるようで、古い家を保持していく苦労がうかがえるところ…。


    【↑ほぼ未整備な公開住宅の裏側。蔵は崩壊しかけてました…】

     その公開家屋の中で、内外観ともきちんと整備され、ひときわ目立っているのが脇町指定文化財でもある吉田家。
     2001年から公開されたというこの吉田家は、脇町でも一、二の豪商だったという藍商《佐直》の主人、吉田屋直兵衛が1792(寛政4)年に建築させたもので、間口は十一間、奥行き三十間。商家としてはかなり広いもので、主屋や質蔵など5棟が中庭を囲んで建つ藍商の典型的な家屋配置なのだとか。その内部はすべて公開されていて、かなり広い。ゆっくり見て回ると優に30分はかかるほど(^^;; 下手な武家屋敷よりも遙かに立派で、当時の豪商の羽振りの良さを感じさせますね〜。

     あまりの猛暑に訪れる人もまばらなようで、受付の方(当家の方?)とちょっとおしゃべり。東京から来たと言うと驚かれ、列車で来たと言うとさらに驚かれ、鳴門を見てきたと言うとまたまた驚かれ(苦笑)。列車で徳島県内をまわる観光客って、そんなに少ないんでしょーか。。。


    【↑吉田家でもらったうちわ】

     のんびりと旧商家を堪能した後は、とことこと町の中心部へ向かって歩いていく。と、すれ違った地元のおじいさんが「案内しましょうか?」と声をかけて下さる。時間に余裕がないので丁寧にお断りしたものの、ここでは住民の方がボランティア案内をして下さるそうで、有り難いことです。地元が一体となって保存活動を続けている一端を感じたり。

     “うだつ”の町並みを抜けたところが町の中心部を流れる大谷川で、川の両脇には商店や飲食店などが軒を連ねている。ちょっと川沿いを下ったところには巨大なショッピングセンターもあり、歴史空間からいきなり現実の街に迷い込んだ感じ(^^;; とは言え、この川沿いの光景もまた味わいのある町並みなんですけどね。いいところだなぁ。
     そう言えば、アテネ五輪の競泳女子800メートル自由形・金メダルの柴田亜衣選手って、この脇町出身(穴吹高校)なんですよね。訪れた頃はまさかそんな一大事(笑)が起こるとは思いもよらず、町のどこにも「頑張れ!柴田亜衣選手」なんて垂れ幕もありませんでしたが。。。今はどうなんでしょうね〜。

     その一角に建っているのが、脇町劇場/オデオン座。1934(昭和9)年に建てられ、歌舞伎や浪曲などが催されていた芝居小屋は、かつての街の栄華を感じさせる建物です。戦後は映画館として利用されていたものの、1995年に閉館。取り壊される予定だったものが、映画『虹をつかむ男』の舞台となり脚光を浴び、町指定文化財として創建時の姿に修復、一般公開されることになったそう。
     受付が無人なので入場料\200を置いておそるおそる中に入ってみると、おばちゃんが慌ててやってきて受け付けてくれました(^^;; 閉館時間近く(開館/09:00-16:30)なので、館内清掃中だったよう。「今日はお客さんもほとんどなくて、もう閉めようかと思っていたところで」…申し訳ないです。。。真っ暗だった館内に明かりがつき、全貌が見渡せるようになると…ほぉ〜。こりゃすごい。花道、まわり舞台、大向(おおむこう)、うずら桟敷、奈落などがきちんと復元されていて、往年の芝居小屋の原型を見ることができる。


    【↑(左)舞台正面左側、花道&うずら桟敷 (中左)2階、大向から舞台を見る (中右)奈落。ここに降りると、ひんやり(^^;; (右)全景(パンフレットより)】

    大向(おおむこう)

     観客席の2階正面にある低料金の客席。常連客や劇通が多く、「大向をうならせる」=芝居上手、とも例えれらた。

    うずら桟敷

     1階左右両側の桟敷と2階の桟敷を支える柱の間に2本の横木を渡す、歌舞伎劇場特有の構造。見た目が鶉籠に似ていることからこの名称が生まれた。

    奈落

     舞台や花道の床下空間。まわり舞台や迫りを動かす仕掛けがあった。

     駆け足で劇場を見学した後は、再び“うだつ”の町並みへ。その中間点にある吉田家の真裏が道の駅《藍ランドうだつ》になっていて、その前は国道139号線へとつながる交通量の多い町道が走っている。クルマで来る場合は、この道の駅を起点に裏側から“うだつ”の町並みの中間点へ入ることになるのかも。
     実は先ほど吉田家の人に最寄りのバス停の場所を尋ねたところ、しばらく思案の後に「道の駅にはバス停があったはず…」とのお答え。クルマ社会だし、地元の人でもほとんどバスは利用しないんですねぇ。。バス時刻までは20分ほどあるはずなので、町並みの中の喫茶店に入ろうとしたところ、17時ちょっと前でどこも店仕舞いの最中。参ったなと思っていると、またまた吉田家の方が「裏(町並みと道の駅の間)に喫茶室がありますよ」と割引券をくれたので寄ってみる。なるほど、こちらも吉田家の経営なんですねぇ。蔵があった部分を改築したと思われる和風な喫茶室は広くてキレイで、いかにも観光客向け。道の駅から案内に従って散歩道を歩いてくると、この喫茶室の横を通って吉田家の脇で“うだつ”の町並みに出るわけで、吉田家が観光の起点になっていることがよくわかると(^^;; まぁ、整備された施設は道の駅、吉田家、脇町劇場ぐらいなので。。。


    【↑道の駅《藍ランドうだつ》】

     猛暑も収まってきた夕空を眺めながら《脇町道の駅》バス停でバスを待っていると、無人のバスがやってきた。よそ見をしていたらクラクションを鳴らされ、慌てて「乗りますー」の意思表示。乗り込んでみると他に乗客はなく、通過されてしまってもおかしくなかったかも。。。

     で、実は旅に出る前にさんざん調べてもよくわからなかったのが、この区間の路線バス。
     もともとは国鉄バス時代からの阿波線(穴吹−脇町、脇町−鴨島、鴨島−鍛冶屋原)を引き継いだJR四国バスが運行する路線だったものの、1999年3月末をもって廃止。また、徳島西部交通バスが運行していた穴吹ー阿波池田間の北岸線(吉野川北岸経由)も同日限りで廃止(中間区間の美馬町西村ー三好郡足代八幡裏間は1998年10月廃止)。その両路線を引き継ぐ形で脇町美馬町が共同運行で町営バスを穴吹−脇町−西村間に運行し始めた…こともまではわかったものの、詳しい運行経路がわからない。脇町の公式サイトには“町営バス”として時刻表が掲載されているものの、脇町の時刻は道の駅だけの掲載。先の吉田家で尋ねてもよくわからず、結局はその道の駅から乗ることにしたと。

     が、バス停には《西部バス》の表示が。んー? どうやら、町営バスも運行が困難になり、徳島西部交通がそれを肩代わりするカタチで穴吹−脇町−西村間の運行を再開した…というのが実情なよう。運行時刻は町営バス時代と同じで、自分が乗ったのは穴吹から通学生を乗せて行ったバスが穴吹(の車庫?)へ戻る、半ば回送扱いの便なんでしょうね。どうりで乗客がいないはずだ(^^;; 終点の穴吹まで乗客は自分一人。駅前で降りるやいなやバスは速攻で走り去ってしまい…ひょっとして、自分が脇町で乗らなければ駅に寄らず車庫へ直行していたのかも? 運転手も「乗客がいるのか!?」てな表情で不機嫌そうだったし。。。この状況では、いつ廃止されてもおかしくないような…。


    【↑写真を撮る間もなく穴吹駅前から走り去る徳島西部交通バス。ちなみにこれが最終便】

     なお、徳島西部交通バスには高松−塩江−穴吹間を結ぶ路線(1日2往復)があり、脇町も通るはず。でも、どこを通るのか、乗り場がどこなのかもさぱーり。。。乗ってくるのには使えても、初めて(脇町から)乗るのには使いにくい。同社は公式サイトを持たないので、運行実態がよくわからない…。

     ちなみに、かつて国鉄バス→JR四国バスが運行していた鍛冶屋原は、高徳線の板野から伸びていた旧国鉄・鍛冶屋原線(元・阿波電気鉄道)の終点だったところ。鉄道路線は1972(昭和47)年に廃止&バス転換されたものの、そのバス路線も1999年3月末に廃止。こうした背景を調べてみても、四国がクルマ社会であることを思い知らされます…。

     穴吹からは再び徳島線列車に乗って、終点の阿波池田へ。一駅毎に高校生中心に乗り降りが数人ずつあるものの、夕方の混雑する時間帯にも関わらずキハ1000形2両編成の列車はガラガラ。徳島側からの列車の半数が穴吹止まりなのも納得できる乗車率…かも。。


    【↑阿波池田駅ホームには、ミニかずら橋が飾られる】

     阿波池田からは土讃線で一気に高知へ。と、入線してきたのはなんとキハ32形、それも単行(^^;; 本線なのにローカル線扱いですか。。。このロングシートで高知まで3時間を過ごすのか…。土讃線の普通列車は大半がキハ54形かキハ32形の運用で、いずれにしてもオールロングシートなことはわかっていたものの、いざ乗り込むとやっぱり落ち着かない。
     乗客は4人組+1人+自分の6人と、制服姿の高校生が4人。高校生4人は県境手前の大歩危までに下車してしまい、残った6人は全員が青春18きっぷ利用者と思われ…高知県に入って大杉までは、乗降客なし。つまり、一般客はゼロ。青春18きっぷシーズンでなければ無人の回送列車になっているところで、この運用にも納得せざるを得ないか。。。途中、一度だけキハ58・2連の編成と交換したけれど…。


    【↑(左)阿波池田で発車を待つキハ32形 (中・右)小歩危で交換待ち10分停車】

     とは言え、ロングシートの車両を投入する意味はまったくナシ。国鉄末期に投入された車両のため、汎用かつコストダウン最優先の製作=ロングシートなだけですからね。トイレなしの車両を長距離の普通列車に運用するものだから、乗客からの苦情も多いらしいし。まぁ、キハ1000形にしてもトイレはなく、駅のトイレを利用するよう車内アナウンスをしていましたが。
     って、四国の気動車でトイレ付きな車両は、キハ40系と余命わずかなキハ58系だけなのか…。単線区間がほとんどで列車交換待ちの長時間停車が多く、駅のトイレ利用も何とかなる…からってねぇ。結局、この列車も交換&通過待ちだけで所要時間を40分はロスしているような。JR四国の普通列車は、ちょっとひどすぎ。


    【↑大田口駅では対向&通過列車待ち、山間・暗闇の無人駅で15分の小休止。運転手も駅舎で一服(^^;;】

     大杉で2人、土佐山田で3人の一般客が乗り込み、ようやく“まともな列車”らしくなったところで(苦笑)、後免に到着。20分停車の間に後続の土佐くろしお鉄道からの直通列車が先に発車するとのことで、乗客全員がそちらに乗り換え。
     やってきたのは同鉄道オリジナルの9640形で、型番は“くろしお”をもじったものだそう(^^;; 車内は半分がロングシート、半分が転換式クロスシートで、クロスシート部に座ってみると背もたれの高さに驚く。身長180cm以上の自分が座っても頭部がすっぽり隠れるほどで、当然、視界には前の座席の背部しか映らない。そのため独特の密閉感があって、なかなか落ち着ける居住性でした。キハ32形とは雲泥、天と地の差(苦笑)。

     高知駅に到着した頃には、さすがに疲労困憊。思えば長い一日だった(^^;;
     駅から宿泊先のホテルタウン錦川までは、徒歩15分ほどでけっこうな距離。ホテルは市内中心部にあるものの、駅が町外れにあるパターンは、地方都市にありがち。
     通りすがりのラーメン屋《めんめん》で、ラーメン+半チャーハン(\750)の夕食。この時間では飲み屋とラーメン屋しか空いていない…と言うか、駅からホテルまでの間は寂れた町中を抜ける裏道ばかりで、飲食店がほとんどない(苦笑)。高知のラーメンとは? と思ったものの、フツーのあっさりしょうゆラーメンで拍子抜け。けっこう旨かったけれど。


     ホテルタウン錦川

     この日から連泊したのは、市内廿代町にあるホテルタウン錦川。このホテルタウングループは市内に低料金のビジネスホテルチェーンを展開して、うち数軒は客室で有線・無線LANでのネット接続も可能。ただ、駅から近いところは既に満室だったため、ここにしたと。
     駅からは徒歩だと15分はかかる上、道筋もわかりにくいとは言えないもの。ただ、到着してしまえば、繁華街や県庁、高知城などへはほど近く、市内を動くベースには便利な立地。それでいて裏通りにあるため、周辺環境はけっこう閑静。当日もほぼ満室だったようで、駐車場に停められたクルマのナンバーは四国各県や関西地区のもの。県外からのリピーター的な利用者が多いんでしょうね。
     部屋は値段相応に広くもなく、やや狭い。が、設備にはまったく不満なし。洗面台や浴槽も必要十分で(広いわけではないですが)、デスク周りなどでも何かしら不備に困ることもなく。テレビは21インチと大きいし、空調も個別で、この内容でシングル\4,700? と思ってしまうほど。
     また、宿泊客は朝食を1階喫茶室にて\100で食べられることにも驚き。パン、コーヒー、ジュース、サラダ、卵という典型的なモーニングサービスながら、\100はすごい。内容もしっかりしていて、これはお値打ち(^^;;

     いっぽう、問題点はと言えば…まず、建物の構造。やはり低料金ホテルのそれで、遮音性に関しては×ですね。隣室の音が盛大に聞こえるので(^^;; まぁ、これは予想されたことでもあるけれど。。。二晩とも隣室が静かな宿泊客で良かったと。
     それと、コインランドリー。ホテルは1階が駐車場で、フロントは階段を上がった2階部。コインランドリーはその1階、駐車場の片隅にあり、各フロアからはエレベーターで行き来する。が、1−2階の間が夜10時以降はストップしてしまうため、その時間帯は洗濯物を抱えてロビー→外階段→ホテル入口をまわらなければならない。部屋着で外に出るのは気が引けるし、冬は辛いなぁ。また、洗濯機・乾燥機はクルマが止まっているすぐ横に設置されて、排ガスでけっこうな汚れよう。あまり気分は良くないかも。。。その洗濯機・乾燥機とも1台ずつしかないので、使えないときは全くダメかも。。。
     とまぁ、いくつか問題はあるものの、コストパフォーマンスはかなりのもの。高知はビジネスホテルの争いが激しいのか、低価格でのサービス充実が目立つようですねー。

     なお、アクセスに関しては、近年、各地方都市で増えつつある100円循環バス:よさこいぐるりんバスの追手筋一丁目バス停からなら、徒歩数分の近さ。
     2路線のうち、高知駅→追手筋一丁目は《東西コース》。ただ、各地の循環バスと同じく一方通行でかなり大回りするため、実際には歩いたほうが早いかも。高知駅発最終が18:15なのも、列車で来てのチェックイン時には使いにくいかも。
     逆に、ホテルから高知駅へ向かうなら《南北コース》。こちらは寄り道なしに駅を目指すので、チェックアウト時にはかなり便利。また、先ほどの《東西コース》は追手筋一丁目を出た後、はりまや橋を経由してカルポートなど市内中心東部をまわるので、ホテルからそちらに向かう場合も便利でしょう。