旅にっき 【2004.05.05-11/岩手〜青森・下北半島】 *PART4

5月5日に岩手県東和町でLove Yours、8日に青森県六ヶ所村でりんご娘.のイベントがあるため、それを組み合わせて下北半島へブラり旅。今回はクルマで。


 2004.05.10

 むつ→脇野沢→湯野川→奥薬研→大畑

 昨日で下北半島はほぼ一回りしたことになるけれど、時間の関係で夜間に通り過ぎただけの脇野沢−川内−むつ間をフォローしようと、国道338号を脇野沢へ向かう。ま、半分は郵便局の落ち穂拾いなんですが(^^;;
 その前に、ホテルすぐ近くの旧・大畑線の田名部駅跡を訪問。駅舎はそののまま残され、地元の交流施設に使われているよう(施錠されているため中には入れず)。駅前広場だった場所の横にはJRバスの営業所があり、大湊、脇野沢方面へのバスが発着している。何にしても、活気はほとんどないですねぇ。。。


*(中左)大湊方面 (中右)樺山方面 (右)JRバス発着所

 国道338号、大湊地区の旧道が新道に合流するところに立地するのが、海上自衛隊大湊地方総監部。その敷地内に石造りの洋館、北洋館が建っている。軍港(&航空基地)として第二次大戦までは北方警備の要だった大湊だけに、当時は海軍士官の社交場に使われた建物だとか。現在は、北方の海上防衛をテーマにした展示館になっていて、一般公開もされているもの。
 北洋館以外は現在も使用される海上自衛隊の施設だけに、見学には正面入口で住所氏名などを記入する必要があり。時節柄、いろいろ過敏になっていることもあるのでしょうが、門に車を乗り付けると制止されます(けっこう怖い)。また、北洋館に入ると担当の自衛官がお出迎え。ここでも住所氏名を記入させられ、談笑した後に「では、ごゆっくりどうぞ!」と挨拶され(敬礼まではされませんが)て緊張(苦笑)。なお、自衛官は控え室に入ってしまうので、見学中は自由です。入館時の談笑も、おそらく不審人物かどうかを確認する意味で義務づけられているんじゃないでそか。


*(左)大湊地方総監部・正面入口 (中)北洋館側入口。以前は見学者用に開放されていた? 現在は閉門し、有刺鉄線が張り巡らされている。

 その館内は大きく分けて“第二次大戦までの海軍”、“その後〜現在の海上自衛隊”の2コーナーからなり、その海軍時代の資料は予想以上の充実ぶり。北方海域で起こった唯一の艦隊同士の海戦なども解説され、あまり史実に登場しない、北方艦隊の解説には興味津々。そんな艦船関係の資料はもちろん、第二次大戦を振り返る史実資料、航空機用機銃から陸軍使用の重機関銃まで…第二次大戦時の“実際の戦争”を意識させる資料がこれだけ淡々と展示されている場所は、初めて見たかも。。。ある意味、無秩序に、冷静&客観的な視点で展示されていることが、かえって何とも言えない緊張感を生んでいるんですね。おかげで、ちょっと立ち寄る程度のつもりがすっかり長居することに(苦笑)。


*(左)アメリカ戦艦ミズリー艦上で交わされた降伏文書のコピーも展示される(驚)

 むつ市の外れ、城ヶ沢では城ヶ沢温泉(城ヶ沢グランドパーク)に立ち寄り。7日にも立ち寄り、宿泊不可と聞いてそのまま立ち去ったところなので、入湯だけはしておきたい。浴場は広くて、2つ並んだ大浴槽と小浴槽に蕩々と湯が流れ込み、流れ出している。湯量は豊富なようで、贅沢だなー。これぞ温泉という感じですね。湯は熱めの茶褐色で、かなりの塩味。成分が濃ぃ〜感じで、かなりいいです。奥にはサウナや寝湯もあってなかなか充実しているものの、施設・設備全体はかなり年季が入ったもの。あちこち塗装が変色したり、壁が剥げ落ちかけていたり…それだけ温泉成分が濃厚だとも言えるけれど(苦笑)。平日午前中にもかかわらず入浴客はけっこう多く、利用度は高いよう。


*(右)城ヶ沢からだいぶ川内寄り、角違地区にある城ヶ沢簡易郵便局。

【注】 この城ヶ沢温泉、下北半島日帰り温泉案内さんサイトによると、自分が訪れた3週間後・5月31日をもって営業を休止してしまったとか。源泉配管の故障が原因で、営業再開の見込みは不明。このまま廃止との噂もあるそうで…あの館内施設を見ると、それも否定できないかも…。お湯が良かっただけに残念です。

 ここからすぐ、国道沿い左手に妙な空き地がある。明らかに建物が建っていた跡で…バス停を見ると《下北温泉前》とあり、2003年11月まで営業していた下北温泉、ドライブイン下北・民宿松風荘の跡なのでしょうね。ほとんど更地になっているため、その面影はありませんが…。その泉質は評判だったそうで、城ヶ沢温泉と言い、この地区からいい温泉が消えてしまうのは残念なところ。


*(左)松風荘は建物の一部だけが残り、何かの倉庫として使われているよう

 脇野沢村の中心部で国道338号と分かれ、さらに下北半島の西南端・北海岬方面へと県道175号を走る。脇野沢までの陸奥湾沿いの大人しい海岸線とは違い、津軽海峡の荒波を感じる海岸線へと景観は変貌していく。山が真っ直ぐ海に落ち込んでいるエリアだけに、崖にへばりつく道路の防潮堤は波に洗われ、頭上には崖がせり出しているような区間も。。。それでも、行き止まりの九艘泊集落まで2車線の路面が確保されているのには驚き。
 以前は細々とした道路しかなかったものが、その拡幅工事によって田名部−脇野沢間のJRバスが朝夕だけ延長運転されるようになった区間でもありますね。もっとも、現在はその延長運転も廃止。代替輸送として、村の補助金による脇野沢交通バスが本村との間を1日2.5往復しているよう。ちなみに、その九艘泊へのJRバス時代のルポは『ローカルバスの終点へ』(宮脇俊三・著)にも掲載されています。
 とまぁ、こうした先端、末端、行き止まりには、ついつい行きたくなってしまうんですねぇ(^^;; これ以上先には道がない。しかもそこまでバス路線がある…というだけで、旅情をかきたてられてしまうわけです。


*九艘泊への道

 小さな漁村をいくつか過ぎ、脇野沢から約8km。ちょっとした岬のような部分を大きく右カーブすると、そこには入り江と漁港が広がっていて、奥には民家が建ち並んでいる。ようやく、一種の憧れ(?)の地でもあった九艘泊に到着だー。その立地は、一昨日通った佐井村の福浦や牛滝集落によく似てますね。入り江の大きさ、集落の規模はずっと小さいし、あそこまで険しい立地ではないけれど。
 この“九艘泊”という地名は、源頼朝に追われた義経たち一行の船九艘が、嵐を避けて停泊したことに由来するものだとか。そう、ここは静かな陸奥湾に沿う陸地の外れなんですね。言わば“最後の”静かな入り江。ここから方向を変えて北に延びる陸地は、津軽海峡の荒波に洗われる仏ヶ浦へとつながっていく…その間、牛滝までは道も集落もなく、険しい地形が人間の進入を妨げているエリアでもあるわけで。
 入り江の入口、集落の外れに駐車スペースや公衆トイレが作られているので、とりあえずそこにクルマを止める。いちおう案内図があったものの、半ば朽ち果てている上、イラスト的なマップで位置関係がよくわからない。。。ま、とにかく歩いてみよう。目の前の漁港に沿って歩き始めるとすぐ、入り江の最奥部から山のほうへ伸びる路地があり、そちらにも家が建ち並んでいる。どうやらそこが集落の中心部なようで、奥には小学校もあるらしい。って、路地はそれ1本しかないんですが。。。そして、漁港の中央部、入り江を最奥部からまわりこみかけたところで道がなくなっている。その先には漁師小屋のようなものが何軒か建っていて、そこを抜けると休憩所兼集会所のような建物が。さらにその先には遊歩道らしきものが延びている。


*(左)九艘泊漁港と集落 (中右)県道の行き止まり (右)行き止まりの先、漁師小屋側から県道・集落方面を望む


*(左)入り江の反対側から漁師小屋方面を望む (中)休憩所(らしい) (右)その先は小公園、遊歩道が延びる

 休憩所の周囲は小公園風になっていて、いつ頃なのか、いったんは観光用に整備されたことがわかる。ただし、ここにも案内板の類はなし。実はこの小公園のすぐ先(上の右写真の突端部)が下北半島の最西端・北海岬で、小公園から崖を登った上には《北海岬展望台》もあるらしい…とうのは、後ほど脇野沢のフェリー乗り場でパンフレットを見てわかったこと。現地には何の案内図も表示もなく、展望台への道も気づかなかったんですけど。。。休憩所と書かれた建物は施錠されていて入れないし、もう長いこと使われていないよう。他にはパンフレットを置くような場所もないのだから、せめて案内図ぐらいは設置して欲しいなぁ。
 なわけで、「この遊歩道を進むと北海岬なのだろう」と、その北海岬を通り過ぎ、どんどん遊歩道を歩いていく(^^;; どんどん歩く。延々歩く。静かに打ち寄せる波の音、時折やってくるウミネコの鳴き声以外に聞こえる音はなし。訪れる人もいない遊歩道はあまりに静かで、まさに現実逃避の時空間でしたね…。でもこの遊歩道、満潮時には海没=無人の地に取り残されるのでは。。。この日は天候が今ひとつで、天気予報の降水確率は80%。ここまでは何とか曇天で降られずに来たものの、暗い空に気分も沈んでくる。


*(中左)一部、遊歩道が崩壊してます(^^;; (中右)この海岸線をずーっと歩いてきました (右)入り江に広がるキャンプ場? 

 そんなこんなで海岸線を15分も歩いた頃、大きな入り江に到達。奥には水場やトイレ、バンガロー風な建物が建てられ、キャンプ場として整備されたものらしい。と言っても水は出ないし、建物も長いこと使われていないような…入り江はゴミだらけなので、人が入っていることは確か。夏場だけの営業なのかもしれません。
 と。その入り江の先端まで来たところで…突然。と言う感じで、道がなくなった。小さな岬のような正面は岩場で阻まれ、前に進めない。岩をよじ登って見てみると、そこから先は仏ヶ浦で見たような海岸線が延びていて、岩場には荒波が打ち付けている。確かに、前に進むのは危険だ。。。で、横の絶壁には階段が掛けられている。ここを登れってか…。
 崖地のわずかな隙間を縫って掛けられた木製階段は、一部が砂に埋もれて足場がない。気分はロッククライミングですねぇ。それでも何とか登りきると、わずかな平地に雑木林が広がっている。その先には木組みの展望台があり、道はそこでおしまい。これが北海岬展望台か…と思い込み、景色を眺めてみるも、曇り空でよくわからない。うーん。。。何か釈然としないまま、来た道をまたとぼとぼと引き返していきました。
 あ、この展望台は《海峡展望台》なのだそうです。現地のどこにも書いてなかったですけど。


*(左)崖に階段が… (中左)崖の上から階段を見下ろすと…落ちたら死にます (中右)展望台 (右)展望台から。正面は(たぶん)津軽半島

 とりあえず、クルマで行けるところまで来て、歩いて行けるところまでは行ったわけで。これで、下北半島の最東端(尻屋崎)、最北端(大間崎)、最西端(北海岬)を制覇(^^;;
 クルマに戻る頃には雨がポツポツと降り始め、早々に九艘泊を後にする。
 脇野沢まで戻ると、フェリーターミナル(と言ってもただの桟橋)にも立ち寄り。隣接するレストランで遅めの昼食をとりながら置いてあったパンフレットを眺めていて、先ほどの北海岬展望台の謎が解けたと(苦笑)。このパンフレットはかなーり豪華&しっかりしたもので、下北半島の各市町村で見かけたものの中では最優秀かも? 観光に賭ける脇野沢村の意欲が伝わってくるよう。それが置かれていることからも、下北汽船の津軽半島・蟹田へのフェリー、青森・佐井(牛滝・福浦経由)への高速船が発着するこのターミナルが、観光客向けの案内施設も兼ねていることがわかりますね。だから、先にここに寄れば良かったんだよな(苦笑)。
 小さな待合室では10人ほどの乗客が船を待っていて、皆さん、次の蟹田行きに乗船するよう。さらにフェリー出航時刻が近づくにつれ、観光バスやダンプ、乗用車などが続々と集まってきて…予想以上に利用度が高いよう。青森へクルマで行くなら、蟹田経由のほうが大湊・野辺地経由よりずっと速くて楽ですからね。青森への高速船がフェリー化されればさらに利用度が上がり、脇野沢は下北観光・経済の起点になりそうな気も?


*(左)脇野沢村の観光パンフレット表紙 (中左)下北汽船ターミナル (中右)蟹田へのフェリー・かもしか
(右)脇野沢の特産・黒そいの焼魚定食(\1,500)。激うま!! 身体が冷えていたので焼き魚にしたけれど、刺身定食も食べたかった…

 もっとも、今の高速船(と言ってもただの船)《ほくと》でさえ、時化のときは福浦港に接岸できないようなので、これ以上大きな船にするのは無理なのかも。佐井村には福浦港の改修計画があるそうですが。ちなみに、先ほどの九艘泊にも実は下北汽船の出張所(フツーの民家への委託らしいです)があり、予約すれば九艘泊にも寄港してくれるよう。これも小さな定期船ならではのサービスかも。
 で、佐井村や脇野沢村の長期総合計画なんてものを調べてみると、この《ほくと》は87年6月の就航で、それまで4時間40分かかっていた青森−佐井間を2時間20分に短縮。おかげで1日1往復から2往復に増えたのはいいものの、近年は乗客が減少、船自体も耐用年数の限界まできていて、新造船の就航が必要なのだとか…となると、先行きは不透明ですねぇ。なお、田名部−脇野沢間を結ぶJRバスは港まで入らないので、バスと乗り継ぐ場合は要注意。最寄りバス停までは徒歩10分ぐらい、かな? 先ほどのパンフレットにも、下北汽船の案内は写真入りで運行時刻まで記載されているものの、JRバスに関しては何の記載もナシ。観光アクセスの足として認められていない…と言うより、両者の冷ややかな関係が見え隠れして…。
 田名部を起点に、以前は脇野沢〜源藤城・九艘泊、あるいは川内から湯野川温泉まで入る支線があったJRバス(東北)の路線も、現在残るのは田名部−脇野沢線のみ。それも便数が年々減少し、地元では存続運動が起きているとか…。そもそもこの区間をJRバスが運行しているのも謎なんですが。下北半島の他エリアは全て下北交通バス路線ですからね。各地を見て回って、下北交通が採算の取れなさそうなエリアでかなり“頑張っている”のは実感したし。
 ひょっとして、大湊から脇野沢まで鉄道を延長する計画でもあったんでしょーか? かつての国鉄が野辺地から田名部でなく大湊へ鉄道を伸ばしたのも、大湊が軍港だという(当時の)政治的な背景でしょう。だとすると、防衛網整備のため陸奥湾沿いに脇野沢までの計画線があったとしても不思議はないですが。。。
 ちなみに、かつて大湊線の下北から分岐して大畑へ伸びていた旧・国鉄大畑線(→下北交通に移譲→廃止)も、実は大畑から先、大間まで延伸する計画があったんですね。これももちろん、戦前の北方防衛案に基づく政治的な計画でしょう。一部の橋梁や路盤は完成していたものの、戦争激化、敗戦とともに延伸計画は中止。放置された橋梁などは、下風呂温泉周辺にいくつか残っているようです…って、見てくるのを忘れた(T_T)

 えー、話が横道に逸れますた(苦笑)。
 脇野沢からは国道338号を川内町まで戻り、県道46号(川内佐井線)を湯野川方面へ向かう。この県道は川内川に沿って林間部を走る快適なルートで、途中には渓谷遊歩道も整備されている。もっとも景観が良い大滝には駐車スペースやトイレも設置されているので、ちょっと休憩。小雨模様なので滝を見ただけですが、天候が良ければ歩いてみたいところ。


*(右)陸奥川内郵便局でもらったパンフレット

 大滝からほどなく、町営温泉施設・ふれあい温泉川内(和白温泉)に到着。浴室には五角形の浴槽と正方形の小さな浴槽の2つがあり、五角形の浴槽からは湯がとうとうと流れ出している。掛け流しスタイルで温泉らしいですね〜。やや熱めだけれど適温? な茶褐色気味の湯はやや塩味で、濃厚さもかなりいい感じ。本来は月曜定休のはずなのにこの日は臨時営業していたらしく、いい湯に出会えてラッキーでした。夏の夜には脇の小川でホタルが見られるそうで、また来たいかも。その時期は営業時間を21時まで延長するそう(通常20時)。
 また、館内には映画『飢餓海峡』のチラシや、歴史を感じさせる撮影風景などのモノクロ写真が飾られていました。水上勉の同名小説を原作にしたこの作品、小説の舞台でもある町内の湯野川温泉でロケが行なわれたんですね。他にも、JRバスの運行が廃止された川内小学校(町中心部)−湯野川間には川内交通のバス時刻表(4.5往復)が貼られているなど、観光客アピールとともに町民へも広く利用を促していこうとする町の姿勢が伺えますね。これまた好印象。

 牛滝方面への町道253号が分岐する畑集落を過ぎると、道路脇には「佐井方面は冬季閉鎖中(湯野川までは行けます)」の看板が。湯野川から先は山越えで、佐井村の川目集落まで人が暮らす場所はないですからねぇ。
 湯野川集落に入るとすぐ、左手に廃校となった湯野川小学校が。校庭の桜の木が満開になっていて、思わず足を止めました。今回の下北半島では各地で満開の桜を見かけたんですが、開花時期の遅さからしてヤマザクラなのかな? その校庭の片隅には《閉校記念之碑》が…まだ新しく、いつ廃校になったんでしょうね。ちょっとのぞいてみると、廊下にたくさんの写真が飾られている校舎内もキレイで、今すぐにでも授業ができそうな雰囲気。下北の各地で見かけた廃校はもっと朽ちかけているところが多く、と言うか、廃校ではないのにもっと廃れた雰囲気のところも多かったからですからね。どなたかが大切に管理されているのでしょうが、それがまた余計に物悲しかったり…。

 湯野川温泉では、ガイドブックなどでも必ず紹介されている日帰り温泉・濃々園へ。こちらも川内町の町営施設。
 なかなか風情のある建物の中には、広い休憩室が完備され、廊下にはやはり映画『飢餓海峡』ポスターなどが飾られている。浴室は思ったより狭く、内湯は4〜5人でいっぱいになってしまうもの。ガラス張りの向こうは川内川で、扉を開けると露天風呂への階段が。この露天風呂が変わっていて、内風呂部分の半地下のようなカタチ。川に面した側は何も遮るものがない開放的なロケーションだけに、何とも不思議な構造ですよねー。
 ただ、肝心の湯はイマイチな感じで…単純泉らしく無色透明無味、サラッとした湯で、印象が薄いんですよねぇ。効能はともかくフツーのお湯と変わらない感覚なので、誰でも抵抗なく入れる温泉ではありますが。で、湯上がり後は飲み物を飲みながら一服…と思ったら、休憩室は禁煙。受付のおじちゃんに尋ねると「いや吸える、外、外」と言う。よく見ると、休憩室の外にテラスがあり、そこには灰皿が。なるほど〜。パラソル付きのテーブル&イスが置いてあるので、雨が降っていても大丈夫だと(苦笑)。でも、寒い(^^;;


*(右)テラスから見た露天風呂部分

 当初はここ湯野川温泉に泊まってみようかと思っていたものの、湯がイマイチなのと周囲の旅館数軒が泊まりたいような雰囲気ではなかったため、先へ進むことにする。むつ市内に戻るか、林道を奥薬研に抜けて薬研温泉に泊まってみようか…同じルートを戻るのは面白くないし、迷ったあげくに後者を選択。時刻は17時近く。雨も強くはならないものの、しとしとと降り続けている。
 県道には「佐井方面は冬季閉鎖」と案内があったものの、奥薬研方面はどうなのかがわからない。とりあえず5分ほど佐井方面に走ると、県道と湯ノ川林道(鍋滝林道)との分岐点。地名は「湯野川」なのに、林道名は「湯ノ川」なのね。
 ゲートなどはなく、特に通行止め、閉鎖などの様相もない。もちろんダートではあるけれど。。。以前は四駆に乗っていたため、林道を走りに行った経験も何度か。林道の走り方はそれなりにわかっているつもりだし、フツーの人に比べれば林道ダートへの抵抗感が薄いこともあって、そのまま進んで行くことに。


*(左)(中左)県道からの分岐点 (中右)最初はこんな感じ (右)少〜し、道が怪しくなってきた


*んー、ちとヤバくないか…

 なんとかハンドルさばきで平坦な部分を抜けようとするのだけれど、写真で見る以上に実際の路面は凹凸がひどく、石も大きい。下回りをガリガリこする音が何度も…まぁ、擦ってるのはアンダーガードだから。。。このクルマは下回り全体がアンダーガードに覆われているので、その分、最低地上高が低い。え、なんで? と思うような局面でガリガリ…。


*(左)標高が上がると地質が粘土質に変わってきた。ズルズル滑る (中)峠付近では霧も。峠を越えると、林道の名称が「湯ノ川林道」から「鍋滝林道」に変わるらしい。どちらにしても、道中に道標などは一切なし (右)峠を越えると道が良くなった(^o^)


*(左)と思ったのもつかの間… (中)→(右)残雪。路面はぬかるみ。轍にハマッてスタックしかけるが何とか乗り切る


*雨が強くなってきた (中)路肩崩壊と土砂崩れでクルマ1台通るのがギリギリ (右)またも残雪&ぬかるみ。ヤバいぞ、これ…

 どうも路面がぬかるんでいるよう。左は崖、右は30センチほどの積雪が固まっているので乗り上げられず、通過スペースは1台分しかない。だいぶ暗くなってきて路面の細かい状況はよく見えない…多少ズルズルしながら進んでいくと、道が左にカーブ。その先の路面が見えた途端…げ、完全に沼地化してる…轍を避けられない…と思ったときには既に前輪は通過し、後輪のグリップがなくなる感覚…うわー、なんとか抜けてくれ…ギュルギュル、ズブズブ…ダメだ。。。


*あと1メートル進んでくれれば…左後輪が半ば埋もれ、クルマの腹が路面中央の膨らみにハマッた亀の子状態

 15分ほど自力脱出を試みるものの、どうしようもない。時刻は18時20分。林道に入ったのが17時頃、それから延々時速20〜30km程度で進んできたから…と、今の位置を考えてみる。
 地図を見ると、この先で林道は県道284号(薬研佐井線)に合流するはず。おそらく、湯野川と奥薬研の中間ぐらい? 峠は越えているし、県道に出れば他のクルマに出会えるかもしれない…。先へ進むことにして、歩き始める。携帯はもちろん圏外だし、とにかく電話があるところまで行かなくては。奥薬研温泉の駐車場には、公衆電話があったはず。
 歩き始めると、何度も転びそうになる。暗くてよくわからないけれど、落石がかなりあるようだ。30分もかからないうちに分岐点(合流点)に出た。Y字型の合流点に、斜め左から合流したカタチ。右方向から斜め右へはタイヤの跡があり、道幅も広い。どうやらこれが県道らしい。どちらもダート(砂利道)だし標識も何もないのでよくわからないけれど、県道に合流したら右が奥薬研方面のはずなので、そちらへ歩き始める。


*左が来た道。歩き始めてから振り返って分岐点を撮ったカタチ。

 後から判明したのだけれど、実はここ、湯ノ川林道と重兵衛林道(石ノ沢線)の分岐点。つまり、湯ノ川林道はまだまだ続いていて、県道ははるか先。ということは、この分岐を右に行く根拠は何もなかったわけで…。
 このとき思い出したのは、下北半島のあちこちで見かけた「熊に注意」の看板。冬眠から覚め、空腹で動き出している時期だよなぁ。春だから子供が生まれてるのかなぁ。子熊を連れた母熊は危険なんだよなぁ。こんなところで熊に遭遇したら……(T_T)

 すっかり陽も落ちかけ、もう写真も撮れない明るさ。とぼとぼとぼとぼ…と砂利道&ダートを歩き続ける。道の両側は雑木林でまったく視界が効かないけれど、進行左側を川が流れている。おそらく、大畑川だろう。川面を見ると下流に向かっているようなので、方向は間違っていないはず…。
 と、直角に左へ折れる道が現れた。立派な橋で川を渡り、対岸の林へと消えている。地図には載っていなかった林道らしく、道幅も広い。薄灯りの中に浮かぶ砂利道の轍は、大半がそちらへ向かっているような…。
 いっぽう、真っ直ぐ続く道は上り勾配気味で、道幅も狭め。うーーーーーん。分岐点なのだから、標識ぐらい設置してくれー。
 周囲を見回すと、道端に《ヒバ実験林》と書かれた標柱が建っている。この《実験林》とは、どちらの方向を示しているの!? 前方が奥薬研(大畑方面)なら、そちらから来た車が右に曲がり、川を渡ってヒバ実験林に入っていく…と考えれば、新しい橋と立派な林道にも納得できる。もはや冷静ではない頭をグルグルと巡らしつつ、真っ直ぐ前方へと歩みを進めることに。
 やがて完全に陽が落ち、真っ暗闇に。雨脚も強くなってきた悪天候で、月明かりは雲に隠れてしまっているようだ。本当に真っ暗で何も見えないから、携帯の液晶で足元を照らしながら歩き続ける。充電切れにならないことを願いつつ…。

 やはり、先ほどの分岐を左に行くべきじゃなかったのか…などなど、暗闇では不安ばかりが増してくる。せめて川が見えれば方向も判断でき、安心できるのだけれど、道の両側は深い林。聞こえてくる川の音だけが頼り。左側から聞こえてくる(ような気がする)ので、下流に向かっていることは確かなのだろう…。
 半ばヤケクソ気味に歩き続けると、何やら道端に看板が。救いの神かと駆け寄れば、「落石注意」。それを二度三度と繰り返すうち、怒りがこみあげてくる。そんな注意書きより、方向や現在位置がわかるような道標を立てやがれ!
 で、またしばらく行くと看板が。もう諦めの心境で覗き込むと(暗闇なのでよく見えない)、釣り人相手の禁漁区・入漁券の案内板だった。**滝やら**渕やら渓流ポイントと現在位置が記されていて、自分が大畑川に沿って歩いていることだけは判明(ホッ)。
 自分の位置が確認できる指標は、この釣り人用の案内板のみ。とても有難かったものの、描かれているのは川を模した図案だけで、道路や地名の表記はナシ。道が正しいのか、正しければ奥薬研までの距離は? などの情報はさっぱりわからない…。

 やがて、道にゲートが。数日前に奥薬研で見かけた、佐井方面への県道(砂利道)にあったゲートか!? ようやく奥薬研に着いた!?
 ゲートの数メートル先には、左へ分岐する道が。そして、そこには「→佐井」の表示も…(驚愕)。
 エ!? 一瞬、事態が把握できずに狼狽してしまう。
 「左へ分岐する方向が佐井?」
 30秒ほど考え込んだ後、自分が今まで歩いてきた道は湯ノ川林道(鍋滝林道)で、ここから先が県道なのだと理解する。
 地図上では、奥薬研から佐井へ向かう県道が真っ直ぐで、途中から左に湯ノ川林道が分岐するように描かれている。でも実際には、奥薬研から来た県道を直進し続けると、そのまま湯ノ川林道に入ってしまう。佐井方向へは、ここで直角に右へ曲がらなければならない。だから案内表示が出ているのだ…と。
 何にせよ、これで道が間違っていないことはわかった。このまま真っ直ぐ進めば、奥薬研に着くはず。というか、そう信じなければ、これ以上は歩く気力が湧いてこない…。
 とはいえ、ここからが長かった。砂利道に足を取られながら、ひたすら歩き続ける。足の感覚もなくなりかける中、ただひたすらに歩く。歩く。道路脇から木の枝が路上に倒れ込んでいて、顔面に枝がぶち当たる。真っ暗闇なので、当たるまで気づかない。それを何度も繰り返す。ここ、ホントに県道かよ…。
 どれほど歩いただろうか、道の左側に、切り出した木材が積み上げてある光景を目にする。ようやく人里が近くなったという気配を感じ、少し元気が出てくる。さらに歩き続けると、今度は道路脇に電柱が…。電柱!? 人家などないのに、なぜ電柱? 何にせよ、これも人里に近づいた証拠。さらに元気が出てくる。
 やがて、林の向こうに何やら明かりのようなものが見えてきた。林の上空に、ボーッと光が浮いて見えるような感じ。あれは、ひょっとして…。知らず知らずに足が速まる。蜃気楼なんじゃないかとアホな考えまで脳裏をよぎり、まともな精神状態じゃなかったですねぇ。
 でも、明かりは消えない。少しずつ大きく、はっきり見えるように。そして、道が左にカーブした途端、いきなり視界が開けた。明かりだ。あれは、電気! 路面が舗装路に変わり、奥薬研温泉の駐車場が見えてきた。やったーーー。思わず、涙が出そうに。
 時刻は21時45分。歩き始めて3時間半。疲れた…。

 救援に来てくれたクルマのトリップメーターで計ったところ、スタック現場までの距離は15キロちょっと。確かに3時間以上かかるはずだ…。

 なわけで、駐車場の公衆電話からJAFの救援を依頼(携帯は未だ圏外)。救援到着までの1時間は、電話ボックス内で雨をしのぐ。
 やがてヘッドライトが見え、JAFのクルマ(民間委託なので、むつ市内の整備工場から来た小型トラック)が現れたときは、天の助けに思えましたね。
 降りてきたオッチャンは「で、現場はどこ? 四駆で行かなきゃダメだって言われたんだけど」。電話で詳しく説明したのに…。「だめだめ、JAFの電話は仙台に繋がるんだから、受付はよくわかってないよ」。なるほど、仙台の受付センターに「湯野川から奥薬研に…」なんて説明してもわからんわな。JAFのロードサービス救援専用コールって、てっきり各都道府県毎だと思い込んでいました。東北地区は、全て仙台で受け付けられるそうな。
 でも、「何か飲み物を買ってきて欲しい」というお願いは、ちゃんと伝わっていた模様。オッチャンから缶コーヒーを手渡され、生き返る。ペットボトルのお茶を車内で飲み干してから4時間以上、何も口にしていなかったのだから…。温泉施設内には自販機があるのに、夜間は無人で施錠されているから入れない。ガラス扉越しに見える自販機の灯りが、どれほど恨めしかったことか…。でも、冷え切った身体にアイスコーヒーはキツかった(^^;;
 何とか元気を取り戻し、助手席に座って現場まで案内。時刻は既に23時過ぎ。佐井への県道は、夜になるとクルマの通行が皆無なのだとか。路面に倒れた木々の枝をはじき飛ばしながら、砂利道を猛スピードで飛ばしていく。さすが四駆だ…。
 県道と林道の分岐点まで来ると、そのまま(三分の一ぐらい閉まった)ゲートに突っ込みそうになり、急ブレーキ! ゲートを開けに降りていったオッチャンは、車内に戻るなり「ホントにここを歩いてきたの!? クルマを降りたら真っ暗で何も見えないし。いやー、これは歩きたくないよ」。歩きたくて歩いたわけじゃないっす。
 さらに林道の分岐点。「ホントにこっち? よく間違えなかったねー」。はい…。ヘッドライトに照らし出された路面を見ると、落石がゴロゴロ、路肩は崩壊、斜面は土砂崩れだらけ…。「久々に来たけど、ここまでひどいのは初めてだな。こりゃ、雪解けしたまま何の整備もしてないな」。そ、そうなんですか。
 「救出してからどうする? 湯野川へ戻ったほうが近いんじゃない?」。一瞬考えるも、あの道を戻れる確証はない…。スタックしかけた泥地は雨でさらに状態が悪くなっているだろうし、土砂崩れでも起きていたら、また遭難しかねない。相談の結果、大畑からむつ市へ戻るトラックに先導してもらい、道を切り開いてもらいながら薬研へと下りることに。
 到着した現場では、まずロープで引っ張り出そうとして、失敗。相当深くハマッていたようで、ウィンチを使ってようやく脱出に成功。やはり、重装備の四駆で来てもらわなければ救出不可能だった…。
 脱出後は、猛スピードで突っ走るトラックを追走。というか、ついていけない…。どんどん引き離されていく中、何やら車体下部から異音が…。窓を開けると、「ガガガガー!!」と凄い音がしている。
 クルマを停めて確認すると、左後輪が見事なほどバースト。拳大から頭ほどもある落石がゴロゴロしている暗闇で、タイヤの角を石にぶつけたらしい。気づかずに数百メートルほど走ってしまったため、タイヤが完全に裂けていました。

 「何かあったらクラクションを鳴らして」と言われていたので、「プワーン!!」。トラックが戻ってきてくれて、深夜の山中でのタイヤ交換に。JAFロードサービスの本領発揮とはいえ、一人だったら泣きながら作業してますよ。
 そんなこんなで、奥薬研まで戻ってきたのは午前3時近く。親切なJAF(むつ市の山田板金塗装)と別れ、国道279号まで下りてきた頃には、空腹と疲労でボロボロの状態に。最初に見つけたコンビニで弁当を買い、駐車場の車内で食べた後は…意識を失いました。。。。

 後から冷静に考えると、やはり湯ノ川林道への突入は無謀でした。下北半島の林道をナメてました。
 「雪解け後に何の整備もしていない状態」とはいうものの、数台のクルマが通った形跡はありました。この時期は地元の車も通らないとのことなので、GW期間中に、他所から来た四駆がアタックしたのかもしれません。そこで掘れてしまった轍が、雨で泥田状態にまで悪化していたのでしょう。そこまで考慮すべきでした。
 途中に転回スペースがなく、ひたすら前に進むしかなかったこと。峠付近で一時的に路面が良くなり、「あとは下るだけ」と安直に考えてしまったこと。思い返せば後悔ばかり。実際には、峠を越えてからのほうが悪路だったので。。。クルマを放置したまま後続車が来ていたら、転回もできない場所で大顰蹙だったはず。
 なお、激走!林道録サイトさんの'03夏 みちのく林道レポートを見ると、夏場になれば路面も整備され、ここまでの悪路ではないようです。やはり、5月上旬の下北半島はまだまだ冬だということですね。
 ちなみに、JAFの請求額には《高速・有料道路等特別料金》が5,000円の上乗せ。そりゃま、そうでしょうね。。。


 2004.05.11

 大畑→青森→東京

 コンビニの駐車場で目覚めたのは8時半頃。両足が痛い…。まともに歩けない…。

 とりあえず、旧・大畑線の終着駅、大畑駅跡へ行ってみる。駅前広場がバスターミナルとなり、駅舎内はバス待合所・出札案内所・売店に改装されているものの、かつての駅の面影がそのまま残っているのは嬉しいところ。駅前の有名な《本州最北の駅 大畑》の碑も残されていて。
 さらに、ホームや構内の線路も廃止以前のまま。というのも、大畑線キハ85動態保存会が、2002年から動態保存されたキハ85の運転会を実施しているんですね。素晴らしい企画なので、是非とも長続きさせていただきたいものです。

キハ22(キハ85)
 旧国鉄時代の昭和30年代、各地の普通列車用気動車として製造されたキハ20系の寒冷地仕様タイプ。主に北海道で運用され、一部は東北地方にも配属されていた。キハ85型は、大畑線が下北交通の経営となる際、旧国鉄からキハ22をワンマン改造して移譲されたもの。
 動態保存されるキハ85-2は旧キハ22-150。1962年製で東北地区に配置され、最後は北上線の運用に充てられていた車両。現存する(運行可能な)キハ22型は津軽鉄道(予備車)とここだけなので、貴重な存在。2003年に塗装を旧国鉄色に復元。
 なお、キハ20系の出力増強タイプ、キハ52型は、現在も花輪線・米坂線などJR東北地区で運行中。


*(右)大畑線全駅の復刻入場券セット(\1,000)を購入

 国道279号をむつ方面へ走る途中、プレジャーランド石神温泉に立ち寄り。心身共にボロボロだったので、温泉で癒したかったんです(^^;; 湯は茶褐色で、かなり濃厚な塩味&含鉄分。成分が効きまくる感じで身体も温まる、ひじょうにいいお湯でしたね〜。下北半島の温泉はどこも上々の泉質なんですが、中でもここは素晴らしいです。
 ただし、設備はかなり古く、あちこちガタが来ている感は否めないかも…。併設される食堂の廃れ具合といい、30年前のレジャーランドといった感じ? 利用者数がどれぐらいなのかわかりませんが、平日午前中〜昼頃のこの日はガラガラ。いつ廃業してもおかしくない雰囲気ですが、宿泊施設もあるので頑張って欲しいところ。

 その後は、国道279号〜国道338号(東通村)〜県道7号(むつ東通線)〜国道279号〜国道4号と辿って、郵便局に寄りながら青森市内へ。
 BMW正規ディーラーのアルファオートに立ち寄り、下回り&足回りの点検をしてもらう。東京までの高速走行に問題はなさそうなので、昨年延伸されたばかりだという青森中央ICから東北道に乗り、一気に東京へ。疲労困憊でたどりつきましたとさ…。


*東通村 (左)村役場の建物に驚き (中左)同役場前の銀行ATM (中右)小田野沢付近の雄大なロケーション (右)蒲野沢簡易郵便局


*JR大湊線・有畑駅は、集落の裏路地の奥にひっそりと佇む無人駅。ホームの菜の花が満開。